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 英雄王は、一つ角を持つ聖なる獣に跪いた。その瞬間、英雄王の聖痕はまばゆく輝いた。

 聖なる獣は美しい乙女へと変化し、英雄王に告げる。

「そなたに力を与えよう」





 薄い合板でできた軽そうな扉に、くすんだ汚らしい銀色のドアノブ。

 セレイガは、誰が触れたかも分からないそれを素手で回すことに嫌悪を感じて、ドアの前で立ち止まった。手袋を持ってこなかったことを、心の底から後悔する。


 セレイガは、本日をもってこのかけ橋学園に入学した。

 今日からセレイガは、全てのドアを自分で開かなければならない。椅子は自分で引かなければならず、インク壺もピクルスの瓶の蓋も自分で開けねばならない。セレイガは生まれてからこれまで、ピクルスの入った瓶なるものも見たことが無いのに。


 このかけ橋学園はそういった学校だ。

 王族も平民も、この学園では平等に扱われる。王族や貴族はここで、この学園でしかできない経験をする。会ったことも無い立場の人間と共に、今日からここで学ぶのだ。


 セレイガはパテリュク王朝の王子として、優秀な成績をこの学園で修めねばならない。

 そのために今日まで多くのリハーサルを行ってきた。ドアを開ける訓練、庶民的な料理の食べ方の学習、一般人を相手に命令しないで話す練習。

 しかしやはり、予想と現実は違っている。現実にここに存在するドアノブは、想定したものよりも明らかに不潔そうだった。まさか教室に入る前にこれ程の難問に出会うとは。


「……あの」


 それでも、祖国の誇りを一身に背負っている身として、セレイガは泰然とこの難問を通過しなければならなかった。彼は焦りを努めて顔に出さないようにしながら、教室のドアの前に立っていた。


「ええと、あの」


 やや高めの少女の声が聞こえて、セレイガは振り返った。


「ええと、ス、すみません。ええと、通る。先に通ります」


 ふわふわした、少女が居た。


 彼女はセレイガよりもかなり小柄で、同じ学園の制服を着た少女だった。まだ共通語に慣れていないのだろう、少し舌足らずな戸惑いがちな口調で言い、セレイガの顔を見てにっこり笑った。

 セレイガは呆然と彼女を見ていた。


 彼女の肌は輝くように白く、目は濡れたように黒かった。顔も手足も鼻も口も、全てが小さく、髪は短めで背中の半ばまでしか届いていない。その髪は、途中で色が変わっている。根元から首くらいまでは柔らかな栗色をしていて、そこから毛先までは真っ黒だ。


 ふわふわした少女だった。

 呆然とした。


 彼女は小さく、美しく、そして目の前に居た。

 まさしく彼女だった。


 セレイガの血液と魔力が、急速に彼の体中を巡る。ドクドクと体中の脈拍が、目の前の彼女にも聞こえるかと思うくらいの音を鳴らし始めて、こめかみは痛いくらいに熱を持った。

 彼女は困ったように曖昧に微笑んでいる。


 衝撃だった。


 パテリュク王朝の五代国王、英雄王サマルシュオルサラは、聖なる獣に跪いて誓約し、偉大な加護を得た。強大な力を得た英雄王は即位し、敵国軍を駆逐し、パテリュク王朝全盛期を築いた。

 もう、四百年も昔の話だ。


 その聖なる獣の名は伝えられていないが、多重世界共通語に置き換えれば、一角獣というところだろう。

 その獣は輝くような白い毛並み、黒いたてがみと、栗色の一本の角を持っていた。そしてその聖なる獣が乙女の姿を取った時、彼女は透き通るような白い肌と、黒と栗色の二色の長い髪を持っていたという。


 セレイガは呆然としたまま跪いた。ザラリと床の砂埃に触れたが、そんなことはどうでも良かった。


 少女はセレイガの行動に驚いたのだろう、目を見開いている。朝の明るい光を背負って、彼女の髪がふわふわと輝いている。

 セレイガは体の奥から、何か熱いものが生まれようとしているのを感じた。こめかみががなりたてるように、熱く熱く輝く。


「私のユニコーン。どうか、あなたに誓約することを許して欲しい」


 緊張で声がかすれそうだった。目線を落とすと、彼女の小さな足が見えた。

 小さな白い靴は、ところどころ黒く汚れている。最高級の絹の靴を履くべき彼女が、何でできているかもよく分からない薄汚れた靴を履いていることを許しがたく感じる。しかしそれと同時に、セレイガにはその汚れすらも侵し難い清らかな何かに思えた。その爪先に口付けがしたいと、衝動的に手を伸ばしたが、彼女はセレイガが触れる前に怯えて一歩退いた。


 セレイガは少し残念に思ったが、確かに突然足に触れようとするなど、あまりにも無礼な行為だったと思い当たる。とんでもない失態を犯しそうになった。セレイガは顔を上げた。

 彼女が何を考えているのか、その笑顔からは読み取れない。困っているのか、悲しんでいるのか、怒っているのか。ただ彼女は、曖昧に笑っている。


「私のユニコーン。あなたに永遠を誓おう。どんな時もあなたの呼ぶ声に応え、全てのあなたの願いを叶え、あらゆるものからあなたを守ろう。どうか、私がそう生きることを、許して欲しい」


 セレイガが彼女の顔を見つめると、彼女は曖昧な微笑みのまま、小さく首を傾げた。


「すみません。私、ワ、分からないです」


 わずかな眉のひそみから、彼女が困っていることが読み取れて、セレイガは慌てて更に説明しようと口を開いて、止めた。彼は、動きを止めた。何故だか気付いたのだ。


「私、あなたの言っていること、ヨく、あまり、分かりません。あの、なんだか、チガウと思います」

 セレイガは、気付いた。彼女は断ろうとしている。


「私、違うと思います。私はユ・ニ・コーンではありません」

 慌てて彼女の答えを遮ろうとして、セレイガはギョッとした。こめかみの熱さが、ふっと遠ざかったのだ。こめかみに手をやって、彼はこめかみに埋まった聖痕が力を失ったことに気付いた。


 呆然とした。


 気付いてしまった。


 セレイガのユニコーンは彼を拒絶したのだ。

 嘘だと、違うと頭で考えながらも、彼の聖痕はその事実を理解していた。


 唐突な彼の申し出を、ユニコーンが断るのは当然のことかもしれない。何度でも誓約を願い出ればいい、まだいくらでもチャンスはある。


 しかしセレイガは、衝撃を受けていた。

 彼は、信じていたのだ。

 出会った瞬間、彼女は自分を受け入れてくれると。二人の間には運命があり、出会った瞬間互いにそれに気付くのだと。自分は選ばれる存在だと。


 いつかセレイガはユニコーンに出会い、選ばれて王位に立つのだと。これまでそのように扱われて続けて来たし、そう信じてきた。彼はパテリュク王朝の、次の王位を継ぐ、ただ一人の輝かしい王子様なのだから。

 今日まで彼は、選ばれ続けてきたのだから。


「ええと、あの」


 彼女はショックを受けているセレイガを見てから、助けを求めるように周囲を見回した。気が付けば二人の周りでは、同じ制服を着た同年代の男女が集まり始めていた。跪いて呆けているなど、セレイガとしてはありえない醜態だったが、今は気にもならなかった。


 ただ、自分が選ばれなかったことを思っていた。

 自分が今日からは、選ばれ続ける存在でなくなってしまったことに、彼は気付いてしまった。気付いて、呆然としているしかなかった。



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