「実験台にさせてくれ」
魔法使いと普通の人間を隔てる一番の差異とは何だろうかと考えたとき、ほとんどの人間がまず魔力の有無を思い浮かべるだろう。しかしこれは正確ではない。多いか少ないかの違いはあれど魔力とは本来どんな人間にも、いやどんな生命にも備わっている。魔力核という、見ることも触れることも出来ないが、確かに存在している臓器のようなものが人間の体内には(だいたい心臓の付近ではないかと言われているが)ある。魔力核の中に魔力があるうちは、その人間は魔力を使うことはできないし、その人間の魔力を外から感知する方法も存在しない。魔力核から、同様に見ることも触れることもできない器官。魔力回路に流れ出て初めて魔力を使えるようになり、外からでも感知できるようになる。だから正確には、魔力核から魔力を外に出すための機能、この魔力回路が目覚めているかどうかだ。
魔法使い同士の間でできた子供でもない限り、大抵の人間はこういった機能を眠らせたまま一生を終えるが、ごく稀に成長と同時にこの機能を目覚めさせる者もいる。少数の例外はあれど、そういった人間は二次性徴が始まるすぐ前には核から回路へ魔力を、たとえ微量であれど、流すことが出来るようになっている。
政策は国によって様々だが、日本では魔法使いに関する行政機関である魔力省が全国の小学校を調査、子供たちの中からそういった微弱な魔力を感知し、各地の魔法学校に通達。魔法学校は担当地区の子供達宛に入学案内を送る。なぜそうまでするのかと言えば、さまざまな理由があるのだが、一番の理由はこの世に魔物と呼ばれる危険な生き物が存在することによる。魔物は大抵が魔力を感知して獲物を探すので、回路を覚醒させた子供を放置することは魔物をその場へ誘い出すのと同義となり、魔物はその子供や周囲の人間に対し言いようのない惨劇を引き起こすことになる。そういった事故、事件を防止するため、魔法の才能を持つ子供の探索は国家をあげて行われているのである。
夕陽零一に入学案内が来たのは、小学六年生、二学期の頃のことだった。幼馴染の秋月良平と春川芽衣の所にも同時期に来て、自分たちは特別な存在なのだと、三人で喜び合っていた。当時から三人はいつも一緒だった。小学生で、男子と遊ぶ女子、女子と遊ぶ男子なんて今日び珍しいだろうが、そのくらい仲が良かった。三人は互いに特別な存在だと思っていた。
だが、いつしか隔たりが出来てしまっていた。原因は、夕陽零一が、魔法使いの中でもさらに稀な『クチナシ』だったことによる。少なくとも彼はそう思っている。
『クチナシ』とは、核から回路へ魔力が流れ出しているものの、体質的に呪文を詠唱できない人間をさす、魔法使いの間で使われるスラングだ。
クチナシ、口なし。呪文を唱えられないあいつは〝口なし〟だ。
魔力回路にある魔力は呪文によって体外へ放出され、呪文によってあらゆる現象へ返還される。まず呪文を唱えなければ何も始まらないのだ。魔法世界において呪文を唱えられないことは、喋る事のできないことと同じだった。
魔法使いが人間の世界において特別な存在ならば、彼は魔法世界において特別な存在だった。彼が夢に見ていたのと真逆の形、この世界では彼は障害者だった。普通の学校で一般的なクラスに編入された障害者がどんな扱いを受けるか、だいたい想像はつくだろう。
なまじ高い魔力を持っていたばかりに、人間の世界に帰ることも出来なかった。一度魔力核から流れ出した魔力を止める方法はないのだ。人間と魔法使いの境界の上で、彼は抜け出せない闇の中にいた。幼馴染の二人は彼の味方をしてくれていたが、次第に彼のほうから遠ざけるようになっていた。零一は、他人を信じることが出来ないようになっていた。正確には、魔法が使える人間を、信用することができなくなっていた。
しかし、どんな世界にも弱者に手を貸したがる物好きはいる。
彼はその人のことを生涯忘れないだろう。彼女がいなければ、彼は今も闇の中を彷徨っていただろうから。
彼女は中学二年の時の担任だった。名前は、澤田律子。若かったが優秀な魔導師で、人気の高い、やさしい先生だった。零一は彼女のことが大嫌いだった。魔法使い不審に陥っていた彼が、それでもそんな人間を信用するようになったのは、彼女が善意で彼を助けようとしたわけではなかったからだろうか。
ある日、澤田は零一を呼び出し、こう言った。
「クチナシでも魔法を使える方法を思いついた。実験台にさせてくれ」
教育者にあるまじき言動である。普段とのギャップに面食らった零一はしばらく言葉を返せなかった。その沈黙を肯定と勝手に解釈した澤田は、それからほとんど毎日、強引に零一との課外授業に臨んだ。
女教師との二人っきりの課外授業とは、なんともいかがわしい響きであるが、零一にとってそんな甘い時間はやってこなかった。彼女は、魔力回路は魔力を流し続けることによって、少しずつ成長している点と、魔力回路に通う魔力は周囲の器官の機能を活性化させている説(魔法使いは普通の人間の数倍心臓が丈夫であるというデータがある)に注目し、多大な負荷を強引にかけることによって、短期間で魔力回路を通常の数百倍成長させることができるという理論の下、零一に指導を行った。それは完全に実験であり、零一にとっては思い出したくもない過酷な時間だった。実験は一年間続き、零一の魔法は完成した。
それは呪文による変換なしで、魔力を魔力のまま運用する技術。実験によって彼の魔力回路は全身、体中あらゆる部位に行き渡るようになった。行き渡らせた魔力は、学説通り、身体のあらゆる部位を活発化、能力を向上させた。これが、彼が唯一使える魔術。身体能力強化の正体である。
すべての実験が終わった日、彼女は資料をまとめ彼にこう言った。
「今までありがとう夕陽君。私の実験台になれてよかったな。そう遠くない日、クチナシであることを誇れる日が来るぞ。また会おう。その時は君が礼を言う番だ」
そして、彼女は学校を去った。それからの零一は、一転してレアスキルの持ち主としてもてはやされ、一流高校である私立睡蓮高校から推薦をもらうまでになった。
◆◆◆
「なるほどね、君はリツの教え子だったか」
「知ってるんですか?澤田先生を」
零一の身の上話を聞いて、霧江は納得したように頷いていた。
とある喫茶店。窓際の席で、朝月霧江と夕陽零一は向かい合って座ってコーヒーを飲んでいた。
「ああ、会いたいかね?」
「……あんまり」
そう言って視線を逸らす零一を見て、くくく、と霧江は喉の奥で笑った。
「まぁ、なんだ。ハードだったろう彼女は」
「実験の内容は思い出したくもないですね。感謝はしてますが」
霧江はもういちど笑って、うんうんと頷いた。
「まぁ、これで合点がいったよ。君が強い魔導力を持っていた理由が」
「魔導力……?」
聞きなれない単語に、彼は首をかしげる。
「君のいう身体強化魔術のことだ。魔力を魔力のまま運用する力を、我々は魔導力と呼んでいる。名前を付けたのはリツだ。君もそう呼ぶといい」
「はあ」
「そして魔導力は、この間君が乗ったDフレームの動力でもある。君を乗せたのは、自然にあのレベルの魔導力を身につけた人間がどれほどのものか見たかったからだ。その辺のあてははずれたがね」
「そりゃ、残念でしたね」
「だがそれ以上の収穫だったよ。リツに訓練を受けたクチナシだったとはね。Dフレームのマスターには君のように呪文の詠唱が出来ない人間のほうが相応しいのだ。最近の研究で明らかになったことだが、普通の魔法使いはね、口のあたりに魔力回路の解放線を持っているのだ」
そう言って、霧江は口を開いてその前で右手人差し指をぐるぐる回してみせた。
「この解放線から、呪文に乗せて魔力を放出する。ところがね、この解放線があると普段呼吸をしたり、普通に喋っているだけでも少しずつ魔力を消費してしまうのだ。普通の魔法使いは常に魔力を消費し続けながら生きているのだよ」
今度は零一の口の前に人差し指を向ける。
「しかし君にはそれがない。普段生きているうち、全く魔力を消費せずに済んでいるのだ」
「でも、魔力って寝れば回復しますよね」
「無論。だが、Dフレームの運用には致命的なのだ。人工精霊と契約し、証として両手に紋章が浮き出てきているだろう?」
零一は自分の両掌を見る。そこには確かに正三角形をあしらった紋章が刻まれている。
「正三角形は悪魔ベレト召喚の際、その怒りを鎮める結界に描かれるものだ。と、余計な話だったかね。その紋章は人工精霊を通し、Dフレームの核に魔力を送るための解放線の役割を果たすものだ。口にあるそれとは違って、自由に開閉できる。無論、Dフレーム運用の際には開きっぱなしになるのだが」
霧江は一呼吸おいて、
「それで、だ。普通の魔法使いは興奮すると口にある解放線が活性化する。呪文を唱えやすくするためだと考えられているがね。その現象はDフレームに乗っている間にも起こるのだ。興奮状態になるのは当然だからね。口の解放線は、活性化すると契約でこじ開けた両手の解放線より優先して魔力を放出するようになる。しかしDフレームのコアは、起動に必要な魔力を常に吸い上げようとする。その結果――」
「魔力が枯渇して、死ぬ。か」
「仲介の人工精霊を巻き込んでね」
零一は霧江が言ったことを完全に理解できたはいなかったが、ともかくクチナシだったお陰であの機械に乗っても死ななかったのだ、ということは理解し、納得した。
さて、この二人が何故一緒に喫茶店でお茶なんぞをしているのか。この後もこの二人の会話は続くが、それより先にそのことについて、少し時間を戻し説明しておきたいと思う。
説明ばっかりっすね
この設定。理解するの大変だと思いますが
がんばってください
そしてごめんなさい
しばらくこんな感じかもです。