「彼には資格がなかっただけだ」
《おはようございます。AS『イレーネ』の破損に伴い、新たにAS『アイリ』がインストールされました。再契約をお願いします。ご主人様》
零一は唖然として真上を見た。薄暗いコックピットの中、サファイアのように青い何かが淡く点滅している。声はそこから発せられているようだ。
《……えーっと。ご主人様ー?どうかしましたか?》
合成音声にしては人間臭い口調。それが発する言葉の意味を考え、零一ははっとして、抱えていた遺体を見る。
「えーっと、そこの……なんだか解らないが、そこの君。残念だけど君の主人はもう亡くなってるぞ?」
《……?何を言ってるんです?私のご主人様はあなたじゃないですか》
「……なんだって?」
零一はもう、わけがわからなくなってきた。ただでさえありえないシチュエーションの中にいるのに、更にわけがわからなくなるというのか。
「ちょっと、待ってくれ。意味が解らん。何で俺が君のご主人様なんだ?」
《だって、この機体の魔力紋照合システムにあなたの魔力が登録されていますもの》
魔力の性質は一人一人異なっている。その違いは、あるフィルターを通して見ることで波紋として視覚化出来、それを照合することで、本人かどうか確認が出来る。これは指紋照合や網膜照合よりも安全で確実なシステムである。今、AS『アイリ』が零一を主人だと認識しているのは、『イレーネ』が削除され『アイリ』に書き換わる際、霧江がベレトのシステムへ介入を図り、山辺大尉のデータを削除してそこにいた少年、即ち零一の魔力紋を新たに登録したことによる。最も、このことを彼らは知る由もないが。
《とにかく、早く契約して機体の再起動を!でないと――》
『――死ぬぞ?』
通信機からか、また別の声が割り込んだかと思うと、強い衝撃が彼らを襲った。
「何だ!?」
大型の蜂が、ベレトに取り付いている。下に隠れている零一に気づいたのだろう。機体が少し持ち上がり、小型の蜂が隙間から機体の下へ入り込んできた。
「くっ!」
零一は山辺の遺体を放ってハッチを上る。上りきったところで、一匹の蜂が山辺の遺体に取り付いた。彼はハッチが閉まる寸前まで、引きずられてゆくその体を見ていた。
『早くし給え、少年。そのままでは君もいずれ死ぬ』
通信機から何者かの声が聞こえてくる。若い女のようだが、ひどく冷徹な声だ。
しかし、その声の言う通りでもあった。ガンガンという音と、軽い衝撃。この機体がどのくらい持つのかはわからないが、このままではいずれコックピットがこじ開けられる。そうなればさっきの遺体の男のようになるだろう。駄目だ、自分は生き残らなければ。
「わかったよ、おい、どうすりゃいいんだ」
待ってました、といわんばかりにその青い宝石はチカチカと明滅を繰り返した。
《私に手を翳してください。それだけで大丈夫です》
言われたとおり、青い宝石に向けて手を翳す。その輝きがいっそう強くなり、まぶしさのあまり零一は目を閉じた。直後、何かに引っ張られるような感覚。そして、体の中の何かが、外へ流れ出してゆくような感覚に襲われる。
《魔導力同調開始。契約完了。魔力回線接続開始。魔導核回転開始。DF『ベレト』システム復旧。全周囲モニター起動》
コックピットの壁、天井。彼の周囲に外の風景が映し出される。
風景といっても、いまベレトの周囲には群がる巨大な蜂ばかり。零一は小さくなって蜂の巣箱に投げ込まれたような気分になった。
《ベレト、再起動完了》
「よし、で、どうやって動かすんだ?」
とにかくこの群がる蜂達をどうにかしなくては。零一は座席までよじ登った。ベレトがうつ伏せの為、座席は地面に対して垂直な壁に設置されているようになっている。
《あ、待ってください。今立ちますから》
そうアイリが言うと、コックピット内部が大きく揺れた。
ベレトは両手と膝をついて立ち上がる。その間零一は必死に座席にしがみついていた。
《ああっ、ごめんなさい。対衝撃フィールドの展開を忘れていました》
アイリの言葉と同時。ふわ、と体が少しだけ浮いたような感覚。零一はシートに座り、正面を見据えた。
《衝撃が全くないわけではないので、ベルトはしっかり締めてくださいね》
「お。おう」
言われて、零一はシートベルトを手探りで探し、締める。
《では操作説明を……っと、その前に、ちょっと魔力お借りしますよー》
「――ッ!?」
零一は、体の中が熱くなるのを感じた。そして、先ほどと同じように体の中の何かが、先ほどよりも強烈に、外へ流れ出してゆく感覚。
同時に、ベレトの機体が青い輝きに包まれてゆく。魔力を回線から全身の外装に行き渡らせたことにより、ミスリル銀が反応して発光しているのだ。数匹の蜂は異変に気づき、離れてゆく。
《バースト!》
外装に蓄積させた魔力を一気に放出。群がっていた蜂を衝撃が襲う。小型は爆発四散し、大型は吹き飛ばされる。
《よーし。すっきりしましたよご主人様》
「あ、ああ……」
ようやく周囲の風景もまともに見れるようになったが、零一は今の現象に慄いていた。さっきの感覚は、まるで魔力を吸い上げられているようだった。否、実際そうに違いない。さっきの男、この機体を操縦していたであろう男、彼が死んだ原因は、まさか……。そして、目の前にある青い宝石を見る。機体を動かしたのはこいつだ。そうだ、ここはコックピットなんかじゃあない。都合のいいことを言って、俺はこの機体を動かすための動力にされたんじゃないのか。
冗談じゃない、と。零一はあわてて、シートベルトを外そうとする。だが、あわてている為か手が滑ってうまくいかない。
《それでは操作方法を説明しますよー、ご主人様?》
いつの間にか、両手元にそれぞれ操縦桿が伸びてきていた。
《大丈夫ですか?気をしっかり保って置かないと、核に全部魔力もって行かれちゃいますよー?》
「……どういうことだ、そりゃぁ」
ただ動力源のために入れられたと思ったのは早計だったか?しかし油断は出来ない。警戒しつつ、零一は操縦桿を握る。
《本当に何も知らないんですねぇ、ご主人様なのに。良いですか?Dフレームを動かすのはあなたの魔力です。魔導核が必要分を吸い上げて、機体全体の魔力回線に行き渡らせるようになっています。ですが戦闘機動時のデータ不足によりリミッターがまだ未完成なので、ふとした拍子に一気に吸い込まれちゃうこともあるんですよ。一応、致死量までは吸い込まれないように設計されてるんで死ぬことはないと思いますが》
「じゃあなんでさっきの男は死んだんだよ」
《さっきの……?》
アイリはベレト内部のメモリー内を検索する。しかし、山辺大尉に関する記録はベレト内部から削除されている為、彼女には零一が何を行っているのか解らなかった。
よって彼女の変わりに質問に答えたのは、通信機の先にいるあの冷徹な声だった。
『彼には資格がなかっただけだ。だが、君はどうやらそれを持っている』
「資格……?」
『そうだとも。ところで君、彼のように無残な死に様を晒したくなければとっとと戦い給え。でなければ無駄に魔力を垂れ流してやはり死ぬことになるぞ?生き残りたければ戦うのだ、少年』
『生き残りたければ』か。状況に、というか連中に、流されている気がする、というか完全に流されているが、しかし他にどうしようもないだろう。まだ蜂はいる。この機体を動かして倒すのが一番生き残る確率が高いに違いない。無理やりに自分を納得させ、霊一は操縦桿を握りなおす。
《では改めて操作説明を。といっても、初めてのようなのでセミオートで対応します。こう動け、とイメージしながら感覚で操縦していただいて構いません。こちらで対応して同調させます》
「なんだそりゃ、結局お前が動かすんじゃないか。俺いらなくね?」
《いいえ。私単体では先ほどのような、ただ立ち上がる動作や、バースト攻撃、みたいに単純な動きしかできません。精密な操作をするにはあなたのイメージに機体の動きを同調させることでしかできないのです》
「……?よくわからないが、兎に角、イメージで動かしていいんだな」
《はい。存分に暴れちゃってください。ただ、さっき言ったように、魔力を持って行かれすぎないように注意してくださいね。精神を集中させていれば必要以上に持っていかれることはありませんので》
「わかった。行くぞ」