「そういうお前はどうなんだよ」
魔法使いの素質を秘めた人間は、その年齢になると魔法学校から手紙をもらう。
そんなふうにして始まる小説が大流行したのはまだ記憶に新しいだろう。その小説はさまざまな言語で訳され、世界中で出版、映画にまでなった。
世界中の誰もが知るであろうその小説だが、実はハーフフィクションであることを知る者は少ない。
少年魔法使いが闇の帝王と戦ったという事実はないが、素質あるものには魔法学校から入学案内が届くのは純然たる事実である。もちろん、ここが日本であろうとも。
◆◆◆
2010年7月18日
梅雨明けがやってきた。
学生たちは久々に傘をささずに登校する。とはいえ、快適な登校というわけにはいかなかった。梅雨明けの後に待っているのはひどく蒸す夏の暑さだ。うだるような熱気の中で歩かねばならない。それは、魔法学校の生徒といえど例外ではなかった。
「暑い……」
私立睡蓮高校に通う少年、秋月良平はハンカチで額の汗をぬぐう。まったくひどい暑さだった。これでまだ夏の本番は始まったばかりだというから気が滅入る。
「おっはよー良平!」
背後から明るい声。ちらりと振り返ると茶色いツインテールが目に入った。同じクラスの元気娘。冬樹洋子だ。スタスタと走って良平の隣に並ぶ。その背は、良平より頭一つ分小さい。童顔で小柄、まるで小さな子供のような体型だが、不思議と体力はある。
「この暑いのによく走るなお前」
「えっへへー」
横目で洋子を見る。流石に汗はかいているものの、良平のようにドロドロしたものではなく、ランナーがかくようなさわやかな汗だ。
「良平、今日の小テスト勉強した?」
「あー」
嫌なことを思い出してしまった。先週から予告されたことだったが、今日は午後の授業で魔法生物学のテストをやることになっていたのだ。
「まぁ一応……?」
とりあえず、曖昧な返事だけ返しておく。
「その口ぶりはやっていなかったと見えるわね」
洋子の反対側に、いつの間にか別の少女が立っていた。すらっと背の高いポニーテール。端正な顔立ちの美少女。夏目めぐみだ。
「めぐみちゃんおはよー」
「おはよう、洋子」
めぐみは上半身を少し傾け洋子に笑顔を向ける。
「そういうお前はどうなんだよ」
良平は両目を半分閉じてめぐみに視線を向ける。
「私?もちろんばっちりよ。当然でしょ」
「へー、めぐみちゃんは凄いな~」
「って話題振ったくせにお前もやってなかったのかよ」
良平の突っ込みに、えへへ。と洋子はちょっと舌を出しながら笑った。
「いやー、わたしもやばいなーと思って。実は仲間を探してたり」
「おまえなぁ……」
「仮にも名門校に通っているんだからあなた達、少しは自覚を持ったらどう?」
と、めぐみはため息をつきながら言った。
彼らの通う学校。私立睡蓮高校といえば知る人ぞ知る有名校。一流魔法大学へ多くの進学者を輩出している。魔法学問の分野ではトップクラスの高校である。
「じゃあめぐみちゃん、休み時間にヤマ教えてっ」
洋子はキラキラした笑顔でめぐみを見つめる。
「またそうやって私に頼ろうとして……」
「俺からもお願いします」
良平もギラギラした笑顔をめぐみに向けた。
「キモイ」
「ひでぇ!」
「ねーめぐみちゃーん。おねがい♪」と洋子。
「おねがい♪」と良平。
「よしじゃあ洋子にだけ教えてあげる」
「俺は!?」
「キモイからやだ」
「むびゃー!!」
ムンクの叫びのようなポーズをとり、奇声を発する良平に、めぐみは自転車のタイヤで潰されたカマキリの死骸を見つけた時のような視線を向けた。
「……あの、もうやめるからそんな目で見ないで」
良平はがっくりと肩を落とし目じりに涙を浮かべた。
◆◆◆
昼休み。
私立睡蓮高校の校舎は五階建てで南向き。体育館はL字型の校舎と合わせてコの字になるように建設されている。体育館は三階建てで、一階には講堂も兼ねている広いメインアリーナ、二階はその半分の大きさで、それぞれクラブや体育の授業の科目別で使用されるサブアリーナが二つ。三階は武道場、屋上にはプールが設置されている。一階のメインアリーナは緊急時の避難所にも指定されている場所だ。
秋月良平のクラスは1年C組。校舎の二階にある。彼の席は黒板に向かって一番右端、廊下側の列の後ろから二番目だった。
「良平君、一緒にお昼食べよ」
「おう」
隣の席の少女、春川芽衣は良平の幼馴染だ。ショートヘアーで可愛い系の顔立ち。運動は苦手だが、成績は良く、料理も得意。
料理修業のため、と毎日良平のために弁当を作ってくる。
「ちょっと、テスト勉強はいいの?」
「うおっ!?」
いつの間にか夏目めぐみはが良平のすぐ後ろに立っていた。彼女は自分の気配を消すのがうまい。気づけばすぐ隣に立っている。そういう少女だった。
「お前か……そりゃやるけど、やっぱまず腹ごしらえしないと」
「全く……」
呆れたようにめぐみはため息をつく。
「めぐみちゃんも一緒に食べようよ」
「私はいいわ。早弁したから」
「その手があったか」
ポン、と良平は手と叩く。
「それじゃ、私はあっちで洋子の相手してるからね」
「あ、めぐみちゃん待って」
自分の席へ向かってゆくめぐみを芽衣が呼びとめた。
「私にも教えて?」
「……もう。さっさと食べて早く来なさいよね」
めぐみはもう一度ため息をついて、自分の席へ戻って行った。彼女の席は良平の席の丁度反対側。左端、窓側の列の後ろから二番目の席である。
「お前も勉強してなかったのか?」
「ううん、ちょっと自信ないところがあるから確認しようと思って」
「へー、お前は凄いなぁ」
「そんなことないよ。当たり前のことをしているだけ」
その当たり前のことを出来る人間が、この世にどれだけいるのだろうか。良平は優秀な幼馴染をもったものだとしみじみ思った。
「じゃ、食べよっか」
「だな。あれ、そういや零一どこだ?」
良平はキョロキョロと周囲を見回した。
「零一くんならさっき教室から出てったの見たよ」
零一、とは彼らのもう一人の幼馴染である。フルネームは夕陽零一。
どんなときでもマイペースな男で、気が向いたときしか勉強しないからか成績もよろしくない。
「あいつテスト大丈夫なのか?」
「案外一人で猛勉強してたりして」
「あいつが?たかが小テスト相手にそんなことしねーだろー」
そだね、と、その光景を想像したのか芽衣は笑った。
だがその頃、図書館でおおきなくしゃみが響いたことを彼らが知る由もない。
それは、いつも通りの平和な日常だった。
だがこの後に起こる出来事を、彼らはまだ知らない。
未来は予測できない。魔法を使える彼らでもそれは同様なのである。