「勘……かなぁ?」
スパゲッティーの皿を下げてウエイターが去っていくと、霧江はまた口を開いた。
「専門家の見解では、一ヶ月後にはもう次の狩りが行われるだろう、ということだ。もちろんそれよりも遅いかもしれないし、ずっと早い場合だってあるだろう」
皿には小さめのカニクリームコロッケが三つと、パセリ、千切りにしたキャベツが少しと、半分に切られたプチトマトがふたつ、きれいに盛り付けられていた。ソースは別に小さなカップに入っている。霧江はコロッケの一つをフォークでさらに小さく切り、ソースをつけて口へ運んだ。
「おお。うまいなこれ。君、一つ食うかい?」
「……いらないですよ」
さすがにあの光景を思い出した直後に食欲がわくほど零一は図太くはない。
確かにコロッケはおいしそうではあるが。真っ二つになったプチトマトが妙に目につく。皿から目をそらさずにはいられなかった。
「そうか。まあ、いい。話の続きだ。そんなわけで今やっているのは、さっき言ったような国内外にある、いままでバラバラだった様々な対怪獣組織下一つにまとめようという取り組みだ。私が今現在所属しているのは倉元研究所という。魔導力、Dフレームの研究を主に行っている機関。そしてこの日本で唯一Dフレームを保有しているところでもある」
一息ついて、コーヒーを飲む霧江。食べる速度はかなり速いが、飲む量は少しずつ飲むように調整しているのを見ると割と考えて食べているのだろうか。
「よって今まで通り、この先日本で怪獣が出現した場合、直接的な戦闘は我々の役目になる。防衛軍の中ではDフレーム部隊を作ろうという動きもあったが、ただの軍人ではDフレームを満足に扱えないという前例ができてしまったからもう無理だろう」
前例とはあの大尉のことか。彼の死について『諸々の犠牲になってもらった』と言ったが、それは軍に兵器を渡さないために仕組まれたことだったというのか。
「私としても彼を死なせるつもりはなかったんだが、あの場合はな……」
当初の予定ではクラーケンにぶつけ、大尉は死ぬ思いをするだけで済んだはずなのだが、未知の怪獣の、しかも大規模な群れを相手取ることになり、大尉に構う余裕は消えた。
「……あんたは自分が直接手を下したことがないと言ったが、それと同じことなんじゃあないのか?」
「君に言わせれば同じなのかもしれないな。だが言ったろう?彼には諸々の犠牲になって貰ったと」
怪訝そうな顔で霧江を見据える零一。対して霧江は涼しそうな表情を浮かべたままコーヒーを啜った。
「もともと、軍でのDフレーム運用をごり押してきたのは上層部のさらに一部の連中だけでね。そもそも軍内部でのDフレーム運用については反対派のほうが多いんだ。当然だろう、どんな優秀な軍人であろうと乗りこなせるようなものじゃない。乗れるのは魔力保有量が高く、体質的に余分な魔力を消費することもなく、そして若くて魔力の回復が早い人間だ。年齢でいえばだいたい14~20歳ぐらいが適している。要はそういう子供を集める必要がある。少なくともこの日本で子供を軍隊に入れるなんてことは出来ないからね」
公にやると世間から批判を浴び、極秘裏にやったとして、いざバレたときにはスキャンダルになる。防衛軍の大半の人間はそのリスクを避けたがっていた。
「まぁ、推進派の連中ははその辺りをものの見事に勘違いしていたがね。優秀な人間ならば乗りこなせるはずだとか。我々が特殊な兵器を譲らないための方便だとでも思っていたのだろう。だから反対派の連中は、頭の固いオヤジ達を黙らせるためにあの山辺大尉を送り込んできた。きちんしたデータを示して納得するまで説明を繰り返すことだってできたが、連中はよりわかりやすく、素早く解決する方法を選んだ。こちらもそれに便乗させてもらったがね」
さく、と霧江はカニクリームコロッケの欠片をフォークで突き刺した。
「ともかく君はアレに乗るための全ての条件を満たしているし、おまけに操縦の才能もある」
「才能って……ないですよ俺にそんなものは」
「あるよ。何せ初めてなのにあれだけベレトを動かせたのだから。少し訓練すればすぐに戦力になるだろう。そのくらい貴重な人材だから、心配しなくとも大尉のようなひどい扱いを受けることはないよ」
「……と言われてもですね……」
いつの間にかコロッケは最後の一個になっていた。霧江はプチトマトを刺し、口へ運ぶ。
「まぁ、なんだ。いきなりこんな怪しいヤツから仲間になれだの言われても、そうそう首を縦には振れないだろう。別に、どうしても君じゃなければいけないというわけでもないんだ。特別な人間が必要とは言ったが、ようは一定の基準さえ満たせていればいい。死と隣り合わせだし、補充はきくようになってる。君の代わりがいないわけじゃない」
言って、フォークを置き、真っ直ぐに零一を見据える。
「しかし、どうしても君でなければならない理由が一つだけある」
「なんですか、それは」
「ASだよ。君が乗らない場合、君と契約したあのASは消去される」
「ASって……あの機体に乗ってた青いやつのことですか。確かアイリって言った」
「そう、その人工精霊だ。君と契約した、な」
零一は手に浮かんでいる紋章を見る。そしてサファイアのような青い光と合成音声にしては人間臭い口調を思い出す。
「でも何故……?」
「ASは搭乗者ががDフレームに魔力を流すための仲介役として搭載されるが、契約できる人間は一生に一人で取り消しはきかない。そして一度コックピットの精霊核に入ってしまうと二度と抜け出せず、契約主から定期的に魔力を供給されないと消滅する。君以外の人間をパイロットにするなら消去しなければ別のASを搭載できない」
「アイリを殺したくないなら、俺がパイロットをやるしかないってことですか」
「そうとも。ASはパイロット以上に替えがきく、いわば消耗品だからね。だが、君なら彼女を助けてやれるだろう」
「……脅迫みたいに聞こえますが」
「脅迫ではなく、親切だよ。我々に彼女を助けてやる義理はない。義務もない。必要もない。意味もない。だが君がもし、彼女を助ける意味が見いだせるというのなら話は違ってくるということを教えてやっただけで。そもそも君が、あの小さな消耗品のために自分の人生を投げ捨てられるような人間かどうかが私にはまだ分からない」
そう。霧江に脅迫するつもりは一切ない。そもそも彼は、心の底では憎んでいたかもしれないが、それでも長い付き合いだったはずの友人たちの死に際して一切悲しみの浮かばない人間だった。死んでしまったものは仕方ないと割り切ってしまえる人間。そんな彼が、少し言葉を交わしただけの人工精霊を助けるためにそこまでするようには思えなかった。脅迫というよりは、この夕陽零一という人間のまだ見えない部分を知るためのテストのようなものだ。
「……」
零一は手のひらを見つめ、黙り込んでしまった。
迷っているのか。だとすれば何でもかんでも簡単に切り捨ててしまえる人間というわけでもなさそうだ。だが急いで決断を迫るとあっさり切り捨ててしまうかもしれない。そう考えて、霧江は背もたれのコートの内側のポケットから、茶色の封筒を取り出した。
「特別に時間をやろう」
「時間……?」
「ああ。出来ればパイロットは早急に決めたかったんだが、猶予がないわけじゃない。魔力供給の断たれたASが消滅するまでは……そうだな。今日からだいたい二週間ちょっと、といったところか。それまでは待てる」
「……」
「もちろん、強要はしない。君がこちらに来ることを選ばなくとも恨みはしないし、そうなったら今後君の私生活に一切関わりもしないだろう。君がまた怪獣に襲われるなんてことがなければ、だがね」
そう言って、その茶封筒を零一に差し出す。
「封筒の中には必要な書類が入ってる。君があれに乗って怪獣と戦う気になったら、書類に必要事項を書いて、二週間後の同じ時間にまたこの店に来てくれ。それと、そこにはこの間のメガス撃退の報酬も入っている。手切れ金として受け取ってくれてもいい。とにかく君のものだ」
零一が受け取ると、霧江はまたフォークを取り、最後の一つになったコロッケに手をつけ始めた。
「……」
零一は黙って封筒を見つめる。
「まぁ、ゆっくり考えるといい。私個人としては、君に来てほしいがね」
空になった皿にフォークを置くと、霧江は立ち上がり、コートを羽織り、伝票を取る。
「良い返事を期待しているよ、零一君」
そう言って、彼女はカウンターへと足を運んで行った。
◆◆◆
店から出て、駅へ向かう。途中、後ろから声がかかった。
立ち止まって振り向くと、詰襟の学ランに学生帽をかぶった、背の低い少年が立っていた。年のころは15か16。髪は短く、釣り眼気味だがあどけなさの抜けきっていない幼さの残る顔立ち。
「……へたくそな勧誘でしたね」
「ユウか。別に構わないだろ」
「構いますよ。所長は首に縄をかけてでも連れて来いと言っていたじゃあないですか」
「私に所長の命令を聞く義理はないよ」
霧江は前を向き、再び歩を進める。ユウと呼ばれたその少年は早足で彼女の横に並び立つ。
「ですが、少なくとも現状では、彼の代わりが務まる人間を見つけることはできません」
魔導力の扱える人間は限られている。新たな魔導力使いを育成するための訓練機関も整っていない現状、あの零一という少年は、今の日本では数少ない魔導力使いであるうえ、パイロットとしてのセンスも持ち合わせている。替えの効かない希少な人材だ。
「そうなったら私が倍働くさ。本音を言うと、彼を採用したい気持ちとしたくない気持で半々なんだ。優秀だが、だからこそいざという時まで取っておきたい人材でもある」
「そういう人材だからこそ、今我々が確保しておくべきなのでは?」
「そうかもしれない。だがまぁ、来ると思うよ。あいつは」
「その根拠は?」
そう聞かれると、霧江は少し立ち止まって考えて
「勘……かなぁ?」
と答え、早瀬ユウを大いに呆れさせるのであった。