表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
破壊者たちの黄昏  作者: 内海むま
第二話 朝と夕
11/15

「来ませんよそんな未来」

 東南九条駅、-1番出口から私立睡蓮高校へ至る街道には、やはり学生向けの店が多い。しかし今はほとんどの店はそのシャッターを下ろしていた。


 「当然か。被害にあったのが学校だけとはいえ、あれだけのことが起こったからなあ」


 霧江は歩きながらキョロキョロと周囲を見回していた。一方の零一は、黙ったままその三歩後ろをついてゆく。

 やはり油断ならない。零一はつい先刻の霧江の動きを思い出す。一瞬にして背後から目の前へ。人間の動きとはとても思えなかった。これは魔法でも有り得ない。瞬間移動は非常に高度な魔術で、長い詠唱を必要とする上、正確な着地点を指定できず、どんな長い呪文を用いても数十メートル単位でのズレが生じる。そのため遠距離移動ならともかく、戦闘時など近距離での実用性は高くない。こんな狭い範囲で正確に位置を指定し、かつ詠唱がほとんどない瞬間移動魔術など聞いたことがなかった。

 彼はその背中をじっと見る。季節はずれのそのコートの下。まともな人間の体があるのかさえ怪しくなってきた。彼は思い浮かべる。そうだ、あの機体。まるで悪魔のようだった。それに乗っていたこの女が本物の悪魔でもなにもおかしくはない。


 「そんなに警戒しなくとも。別に取って食ったりはしないよ」


 ふと、彼女は立ち止って零一を振り返る。零一も一歩遅れて止まり、三歩の距離は二歩へ縮まった。


 「いくら信用できないとはいえ、あんまりビクビクされるのもな」

 「別にビクビクはしていないですよ」

 「していなくとも、君に疑心と恐れはあるだろう。ふむ、完全に無表情というわけではないんだな」


 そう言って、霧江はまた前を向いて歩きだした。


 「だが、やっぱり顔にあまり変化が出ないタイプのようだ。私はね、人の表情からそいつがだいたい何を考えてるか読むことができる。魔法でも超能力でもなく、直感でなんとなくわかる。しかし、君の顔はわかり辛いな」

 「……」

 「まぁ気にするほどでもあるまい。知り合いにいつも無感情、無表情で本当に何を考えているか分からないやつがいて、そいつよりは幾分かマシだよ。まだ人間らしい」

 「……身近な人間の死を悲しめないのにですか?」


 と、言ったあとで零一ははっとして口元を押さえた。彼女が言った「人間らしい」という言葉に釣られたのか。今の言葉は、彼が今までずっと悩んでいた事柄だった。自分の幼馴染が、親友が、あんな無残な最期を遂げたのに彼は悲しむことができなかった。いや、彼らの死を知った一瞬。あの時だけは悲しかったのかもしれない。でもあの時は自分が生き残るかどうかの瀬戸際、いつまでも悲しむ余裕などなかったから、すぐに切り替えて生き残ることだけを考えるようになった。

 そして、今、自分の安全は少なくとも保障されて、彼らが死んだこともはっきり理解している。いまなら思う存分彼らの死を悲しむことができるはずなのだ。できるはずなのに、しかし出来なかった。自分の中に、たとえ親友の死でさえ見切りをつけ、仕方ないと割り切ってしまえる冷酷な部分があることに彼自身が戸惑っていた。

 それは彼の心の軟い部分だ。そんなものをよく知りもしない他人に、よりによって悪魔かもしれない女の前で吐き出してしまうとは。

 しかしやはりずっと彼を悩ませていた事柄だ。ひょっとしたらこの女が何らかの回答をくれるかもしれないと、もしかすると心のどこかで期待していたからなのかもしれない。


 「悲しめない、とはどういうことだい?悲しみとは自然に湧き上がってくるものだ。やろうと思ってするものではないよ。悲しくないということは悲しむ必要がないということだ」

 「必要がない、だって?」

 「そうとも。例えば、君がそいつらのことを心の奥底では嫌っていて、いなくなって清々したと思っているとか」

 「そんなことは――!」

 

 ない、と言いかけて、思いとどまる。本当に「ない」のか?

 魔法を使える彼らを羨んでいたのは事実だ。その羨望は心の中で憎悪に変わってはいなかったのか。いや、憎悪である必要はない。さっき自分で考えていたじゃあないか。自分の目の前で、自分に使うことが出来ない魔法を使い続ける彼らを、本当は、心の中ではいなくなってほしいと思っていたのではないのか。


 「だとしたら俺は最低のクズだ……」

 「そうでもないよ、世の中そんなやつばっかりだ。例えば夫に先立たれた未亡人をその夫の葬式の日に即寝取る夫の親友とかね。そういう連中は表面的にはしっかり悲しんでるが、内面はどうか知れたもんじゃない。表に出した感情はね、自分さえをも誤魔化してしまうものさ。泣くという行為はね、自分の心にも大いに響くんだよ。心の中では大笑いしていても、表面に出した泣き声でかき消すことが簡単に出来るものなのだ。君は感情を表に出さないから、彼らより心の底の部分が目立つだけさ」

 「でもクズに変わりはないでしょう。そんな連中と一緒なら」

 「『ばっかり』という言い方が悪かったかな。言い換えよう。これは『すべて』の人間に対して言えることだよ。人は誰でも良い面と悪い面を持ってる。そして誰もが感情を表に出し、悪い面を裏に隠して必死になって取り繕おうとする。君はそれが他人より少し下手なだけだ。ただそれだけで至極全うな人間だよ」


 聞いて、零一は黙り込んでしまった。それならば感情を表に出せない自分にとって、彼らの死を悲しめないことに戸惑い悩むことは、感情を表に出す代わりに自分の悪い面を取り繕おうとする代償行為なのだろうか。そうかもしれない。しかし、そうは思いたくなかった。そんなことはないと声を大にして言いたかった。だがやはりこれも、きっと取り繕うための愚かしい行為になってしまうのだ。


 「ともかく、そんなことでくよくよ悩むことはないよ。誰もがそうなんだ。むしろその悩みを忘れないように心にとどめておけば、少なくとも君は何もかもを表に出した感情で覆い隠すような、愚かな偽善者だけにはならなくて済むだろう。」

 「そう、ですか……」


 彼の心の奥底で望んでいた解がこれだったのかはわからない。しかし、零一はほんの少しだけ楽になれた気がした。

 彼は一度深呼吸をすると、全身に気を入れなおす。彼女は零一に優しい言葉だけをひたすら並びたてて、その弱さにつけこむようなやり方はせず、至って冷静な意見を述べてくれた。だからといって安心は出来ない。何せ悪魔かもしれないのだ、そういうやり方で懐柔する気かもしれない。

 心に引っかかっていたものが一つ取れて、少し勇気がわいてきた気がした。もし悪魔だとしても、どうせ物理的に逃げ切るのはさっきの瞬間移動からして不可能だろうし、ともかく話くらいは聞いてやろう。そういう心境だった。


 そんな彼の心の中を知ってか知らずか。霧江はようやく開いている店を見つけ「ここはどうだい」と聞いてきた。

 喫茶『アポロ』

 昔ながらのいい喫茶店で、零一は入ったことはなかったが、学生に限らず町に住む人々の間でも人気の高い店だ。

 

 「ああ、いいですね」


 やる気になった零一は霧江より先に立って、喫茶店のドアを開けた。カラカラと小気味良い音が鳴って、エアコンの効いた心地よい冷風が肌を撫でた。



◆◆◆

 店の中はかなり空いていた。50席ほどあるが何人かがまばらに座っているだけだ。やはりあんな事件が起こったからだろう。周辺の町には被害がほぼなかったようだが、巨大な蜂の群れが生徒たちを運んでゆくという光景は目撃されていた。あるいはヤジウマやマスコミで溢れているかもしれないとも考えたが、そういうのは最初の数日で飽きたのだろう。


 「窓際が良いな。君、そこの席にしよう」


 霧江は入り口すぐ近くにある窓際の席を指す。

 彼女はコートを着たままで奥側の席に座った。


 「コート、脱がないんですか?」


 零一は手前側の席で椅子を引きながら聞いてみた。


 「んん?ああ、これかね」


 椅子にもたれたまま、霧江は下に視線を落とす。


 「脱がないのではなく、脱げないのだよ」

 「何故?」

 「下は全裸なのだ」

 「なんですと!?」


 がたん、と零一は勢いあまって座ろうとしていた椅子を倒してしまった。客の視線が一瞬だけ集まる。


 「冗談だ、君」

 「な……なんだ」


 椅子を起こし、ひと息つきながらようやく座る。



 「友人の発明家の試作品でね。中に魔力で稼動する小型のクーラーが仕込んであって、どんなに暑い日でも快適に過ごせるというコートなのだ。少し重いのが難点だが、意外と快適でな。君も着てみるか?」

 「いや、遠慮します。女物だし。っていうか夏にコートは恥ずかしくありませんか?」

 「そうか?」

 「なんというか、目立ちますよ。変な方向に」

 「……そうかもしれんな。だが少し待ってほしい。もしこの発明品が今後流行すれば私は最先端を今突っ走っていることになるじゃないか」

 「来ませんよそんな未来」

 「……そうか」


 霧江は残念そうにコートのボタンをはずし、脱いで椅子の背もたれにかけた。中の服装はTシャツにジーンズと割と普通で、零一が先ほど想像した様な異形でなければ全裸でもなかったが、今のやり取りでもはやどうでもよくなってしまっていた。


 「さて、何を飲む?」


 言って、霧江はメニューを開いた。


 「コーヒー、アイスで」

 「私もそれにしよう。何か食べるかい?御馳走するぞ」

 「いえ、結構です」

 「そうか?まぁ、それなら」


 ちょうどその時、ウエイターが水とおしぼりを持ってきた。


 「君。アイスコーヒー二つ。それからこのエビフライカレーと、ミートスパゲティーとカニクリームコロッケとタマゴサンドを頼む」

 「アイスコーヒーがお二つ、エビフライカレーがお一つ、ミートスパゲティーがお一つ、カニクリームコロッケがお一つ。タマゴサンドがお一つですね。畏まりました」

 「……」

 

 伝票に書き終えるとウエイターはすぐさま去って行った。無駄に動きがいいのは暇だからだろうか。

 

 「……一人分ですか?」

 「無論」


 なんというか、やる気を出してそうそうこの女が悪魔だのなんだのビビっているのが馬鹿らしくなってきた気がしないでもなかった。いやまてきっとこれもこちらの心に隙を生むための作戦に違いない。そう思い直すが、自分の心の中で一人空回りしているという気が、やはりしてしまう零一だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ