Episode:98
「話が決まりました。その水を抜きます」
少女が首をかしげる。
「ですから、今あなたがいる水を――あぁ、その意味自体が分かりませんか」
考えてみれば、物心ついてからずっと水の中だ。それを抜くといっても何のことか分からないだろう。
「そうですね……このガラスの内と外では、環境が全く違います。そしてこれから、私たちと同じ環境に変えます。分かりますか?」
今度は何となく通じたようで、まだ不思議そうながらもグレイシアが頷く。
「初めてのことなので驚くでしょうが、大丈夫ですよ。それに先ほど言っていたよりも、ずっと安全なようですから」
少女の表情が緩んだ。やはり怖かったのだろう。
「タシュア、そっちはもういいか?」
「ええ、いつでもどうぞ」
タシュアの答えにファールゾンが頷く。
「分かった。えーとそこのお前!」
「お前じゃない、ラヴェルだ」
「偉そうに叔父上の名前を言うな。ともかくお前、清浄靴出せ。あと羊水をきる準備だ」
グレイシアを発生させた研究者に、ファールゾンが命令する。様子からしてこの2人、普段からもいがみ合っていそうだ。
「清浄靴くらい、自分でその辺から……」
「うるさいな、この子の容態がいつ変わるか分からないのに、そんな時間をかけさせるのか?」
言っていることは正論だ。
(――言われたほうは怒りそうですがね)
もっともここで怒れば、自分の立場が悪くなるだけだろうが。
「循環させたまま、流出量の設定を上げてくれ。少しずつ減らすんだ」
「わ、分かった」
周囲は忙しそうだが、タシュアたちの仕事はない。出来るのはグレイシアについて、声をかけるくらいだ。
水の中の少女はきょろきょろしていた。何かが始まったのは分かるが、何が起こるのか分からない、そんな不安そうな顔をしている。
「大丈夫ですよ。みんなあなたのために、一生懸命やっていますから」
本当なら撫でてやりたいところだが、ガラスの向こうに手は届かない。
そうやって声をかけながら待っている間に羊水は徐々に減っていって、グレイシアの背の高さくらいになった。
驚いた少女がばたばたと暴れだす。
「落ち着いて、大丈夫です」
ルーフェイアも隣で水槽に手を当てる。言葉を介さずに話しかけているのだろう。
どちらの言葉が効いたのか、グレイシアが暴れるのをやめた。ただ水の外は怖いようで、必死に潜っている。
だがさらに水は減っていって、少女は身を屈めた。