Episode:86
「時間くらい把握出来なくては、前線では命がいくつあっても足りませんよ。それにここは地下ですから、外を見ようとしても無駄です。自分の居る場所も忘れたのですか?」
「す、すみません……」
完全に癖になっているのだろう、またルーフェイアが謝る。
(進歩のないこと)
そう思いながら、突っ込んで泣かせようとしたときだった。
(ダメっ!!)
殴りつけるような勢いで、カン高い声が頭に突き刺さる。
見れば水槽の中、グレイシアが目を覚ましていた。こちらを睨んでいる。
「グレイシア、私は事実を言っただけですよ?」
(ダメ!)
どうやら理由に関係なく、ルーフェイアをいじめるなということらしい。
「……分かりました、言いません。ですから、怒るのはおやめなさい。身体に障ります」
病身の子に怒りは禁物だ。それだけで体力が削られて、病状が悪化しかねない。
ルーフェイアをおもちゃに出来ないのは面白くないが、グレイシアの容体と引き換えには出来なかった。それに詰まる所、グレイシアの前でやらなければいいだけのことだ。
そうしている間にも気配と足音は近付いて、扉の前へと来た。
が、通り過ぎる。
「やれやれ……どこまで探しに行く気なのやら。ルーフェイア、行きますよ」
「あ、はい」
普段なら放っておくところだが、今は一刻を争う。不本意だが彼らを呼びとめて、ここへ連れてくるしかないだろう。
ルーフェイアを伴って廊下へと出る。
「おや、一応急いでいるのですか」
足音からして速足だとは思っていたが、一行の姿はだいぶ遠ざかっていた。
ルーフェイアが少し大きく息を吸って、声を上げる。
「止まって!」
高く澄んだ声は良く響いて、廊下に幾重にもこだました。
一行が立ち止まって振り向く。
「申し訳ありません、グレイス様。今すぐそちらへ!」
大の大人が何人も、転がるようにして走りだした。
(まったく、いい大人が何をしているのやら)
いつ見てもこの光景は理解不能だ。ルーフェイアが何をしたというわけでもないのに、シュマーの面々は平伏する。
かつての王侯貴族もそうだったが、そこまでかしずかれるのに対し、どれほどの物を相手に返しているのか。