Episode:60
「まったく、ついにあなたまでおかしくなりましたか? 誰と話しているのです」
「え? あれ?」
確かに声が聞こえたのだけど、言われてみればこの部屋にはあたしとタシュア先輩、それに一緒に来た研究者の男の人だけだ。
なのに声がどこからか告げる。
「そこの、中」
あたしは言われるままに、本棚の中へ手を差し入れた。指先に触れたスイッチらしきものを、押し込んでみる。
「ほう……」
舞台の緞帳のように、上へと上がっていく壁。
身をかがめて、その壁をくぐって……。
――水が満たされた大きな水槽。
まず目に入ったのはそれだった。中に何か大きなものが入ってる。
ゆらゆらと揺らめく膜のようなもの。折りたたまれた長い棒のようなものと、曲線を描く肌色の――。
「いやぁぁぁぁぁっ!」
それが何か気づいた瞬間、思わずあたしは声を上げた。
足がすくむ。動けない。
自分の悲鳴が遠くから聞こえる。
水槽の中は、死の世界だった。死んでる。全員。みんなあたしと同じ髪で、同じ肌色で……。
何かとんでもないものがあるのは予想してた。そうじゃなきゃタシュア先輩が、あんなに怒ったりはしない。
でも辿りついた先に、こんなヒドいものがあるなんて思わなかった。
「いったいどうしたのです」
「先輩、あ、あれ……」
後ろから聞こえた声に思わずすがりついて、奥を指差す。こんなところ、どうやっても一人なんかじゃ居られない。
「なにをそんなに――!!」
先輩の言葉も途中で止まった。
でも、当たり前だ。こんなものをいきなり見せられて、何も感じないほうがおかしい。
「――なんてことを」
タシュア先輩の、抑揚のない静かな声。声音からは何も聞き取れないけど、ものすごく怒ってそうだ。
そんな先輩にすがりついて、泣く。それ以外に何もできない。
どこからか声が聞こえた。
こんなの嫌、出して、苦しい、助けて……。
言葉以前の、感覚と感情の世界。
たくさんの声が渦巻いて、頭の中がかき回される。自分が細切れになってどこかへ行ってしまいそうだ。