Episode:107
「名前は? そう、グレイシアって言うの。あら、ルーフェイアにつけてもらったんだ」
一人で話し始める。だが内容から察するに、どうもグレイシアと意思疎通が成立しているようだ。
グレイシアがまっすぐに、カレアナの瞳を見つめている。
「ちょっとだるいみたいね。でもそんなに痛くはないのね。いいことだわ」
性格にはそうとう難があるが、さすがに母親なだけあって、カレアナは子供の扱いに長けているようだった。
「――ええ、そうね。でも大丈夫。ただ、ここから移らないとダメかもね」
少女の頭を撫でてやりながらカレアナが言う。
「……念話がいちいち口にするものだとは、過分にして知りませんでしたね」
タシュアが言うと、カレアナは初めて気付いたという顔になった。
「あらやだ、私言ってた?」
「ずいぶん耳が遠い上に、耄碌までされたようで。いっそ引退されたらどうです?」
「出来たらしてるわよ」
相変わらずマイペースで、取り付く島もない。
「それにしても、私たちが散々始末をした後でのこのこ来るとは、総領というのはいい商売ですね」
「しょうがないじゃない、これでもプラジュから、高速艇で飛ばしてきたのよ」
プラジュというのは海を隔てた西大陸、ワサール南部のリゾート都市だ。少し沖合の小さな島が何故かシュマーの所有で、宿泊場所になっていた。恐らくは用事か何かで、その辺りに居たのだろう。
たしかにあそこから来たのなら、これでも早い方だった。
――褒めるつもりはないが。
遠距離をすっ飛んで来なくてもいいから、こういうグレイシアがやられたような所業を、やめさせてほしかった。それが上に立つ者の責任であり仕事のはずだ。
「え? 何?」
カレアナのほうは、タシュアの言葉にも堪えた様子は無い。全く変わらぬ顔で、またグレイシアを覗き込んだ。
「あぁ、汚しちゃったのね。いいわよ、すぐ変えてあげるから」
さすがに手慣れている。
「ちょっと見せてね……あーあ、誰もやってくれなかったのね、可哀想に。これじゃ気持ち悪いでしょ。タシュア、そこの毛布取って」
いきなり頭ごなしに言われる。
「そのくらい、自分で取って頂けますか?」
「何言ってんの、あたしこっちで手が空かないの」
平然と言い返して、カレアナはタオルを手に取った。
「誰か、お湯持ってきてちょうだい。タシュア、ほら早く毛布」
人の話など全く聞いていない。
だがタシュアはそれ以上言わず、黙って毛布を渡した。グレイシアにこんな思いをさせたのは、自分のミスだ。