8.神楽セリカの衝動ーー社畜、心から感謝する
引き続き神楽セリカ回です。彼女は心の底からアニメを愛しています。
その夜の「Rhapsody」は、珍しく落ち着いていた。
客足はゆるやかで、音羽リオと東堂アヤメはそれぞれ常連客と話し込んでいる。
カウンターの端にいる神楽セリカの姿が静かに目に入った。
俺は彼女の目の前に腰を下ろし、少し迷ってから口を開いた。
「……この前のイベント、ありがとう。あの日、なんか救われた気がしたんだ」
セリカが顔を上げる。
銀髪の奥の瞳がわずかに驚き、それから柔らかく細められた。
彼女はグラスを磨きながら、少し言葉を選ぶように間を置いた。
「こちらこそありがとうございました。……私ね、人の心に寄り添うなんて、本当は得意じゃないんです。
でも、あの夜みたいに“届いた”って言ってもらえると、過去の自分も救われるような気がします」
「過去の自分?」
問い返すと、セリカは軽く眼鏡を押し上げ、珍しく自分自身のことを語り出した。
「子供の頃、両親がとにかく教育熱心で。食卓での会話は、だいたい勉強の話か、小言ばかり。
何を言っても『もっと努力しろ』と返ってきて、気づいたら、私は自分の声をしまい込んでいました」
その言葉に、俺の胸の中で何かがきしんだ。
「元々、人と話すの自体得意じゃなかった。学校のクラスでも全然馴染めなくて。
気がつけば図書館に籠って、本ばかり読んでいました」
図書館の静けさ、頁をめくる音。想像すると、幼いセリカの寂しさが胸に迫る。
「そんなある日、図書館で『カードキャプターさくら』の漫画を見つけたんです。
それまで漫画もアニメも、ちゃんと見たことがなかった。
そのページをめくった瞬間、なんというか、世界が急に広がった。
主人公が笑ったり、誰かとぶつかって立ち直ったりするのを見て、胸が熱くなった。
『ああ、こういう生き方があるんだ』って、初めて思ったんです」
セリカの目が一瞬だけ遠くを見る。そこに幼い日の驚きが宿っているのが分かる。
「それから、家でこっそり再放送を見ました。
画面の中では、私が飲み込んでいた言葉や感情を、アニメのキャラクターや歌が表現してくれていて…。
恥ずかしいけれど、本当に何度も救われました。
その時間だけは現実を忘れられたんです」
言葉は静かだが、そこには確かな感謝が混じっていた。
「大人には、子供の時以上に、逃げられない場面がたくさんある。
だけどだからこそ、誰かが『今日は辛かったね』って言ってくれる小さな場所が必要だと感じたんです。
私がアニメに救われたように、誰かの明日を保てる場所を築きたい。
それでこの店で働くようになりました」
セリカの声には迷いがない。
俺が改めて感謝を伝えようとした時、彼女のオリジナルカクテルが差し出された。
名は”プラチナ・ドリーム”。
ホワイトラムの柔らかな甘み、エルダーフラワーの香り、ライチの瑞々しさ。
その奥で、きらめく銀の粒子が光のように舌に触れる。
「ちなみに圭介さんも、私やこの店のみんなを救ってくれてるんですよ?」
「えっ?」
思わず声が漏れる。けれどそれ以上、言葉は出てこなかった。
胸の奥がじんわりと温かくなる感覚だけが残る。
彼女は優しく微笑んでから立ち上がり、選曲ボタンを押した。
流れ出したのは――『プラチナ』(1999/坂本真綾/カードキャプターさくら OP)。
セリカの最後の言葉を噛みしめながら、俺は目を閉じ、幼い自分と重ね合わせるようにして、その歌に身を預けた。
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▷ 本日のオリジナルカクテル
・プラチナ・ドリーム
『プラチナ』着想。ホワイトラムで無垢さを、エルダーフラワーリキュールで花のような解放感を、ライチリキュールで瑞々しい少女の心を表現。
読んで下さりありがとうございました。次回からは月島ルナが多く登場します。引き続き宜しくお願いします。




