登場人物を考える
「何よりも重要なのは、登場人物たちの魅力」
そう語る編集者も、少なくはないだろう。
実際、登場人物に大きな魅力があれば、ある程度の部分は、大目に見られもする。
だが、きっちりとした作品を作りたいのであれば、やはり先に「世界観」が来る。物語作りでキーとなるのは、登場人物たちとその世界との「関わり方」にあるのだから。
理不尽な世界に抵抗するのか(冒険譚、立身出世)。はたまた、適合するのか(スローライフ、ヒューマンドラマ)。関係性にも、構造主義的な「テンプレート」が存在する。
―― さて、人物像である。
世界との関わり方が決まったら、掘り下げていくのは、各人の人物像である。手っ取り早いのは「すでに存在するキャラ」の拝借か。
多くの編集者たちが語るように、キャラの魅力が重要であるのなら、他所から引っ張ってくればいい。自分がこれまでに読んだ作品の中から、好きなキャラを引き抜く。俳優でもかまわないし、実在の人物でもいい。要は ―― 自分の中でのオールスターキャストを作ってしまえばいいのである(劇団自分)。
たとえば、ワンピースのルフィを失敬してみる。
しかし、登場させるのは、異世界の中世である。
そうなれば、ルフィもワンピース内のようには振舞えない。如何せん、手も足も伸びないのだから。だとすれば、脇役落ちもある。落ちぶれて、夢を失いつつあるが、もう一度、夢を取り戻すといった設定のキャラで、脇に配置してみるのも面白い。作品に合わせて。
完全にオリジナルのキャラを作るのなら、画像生成AIを使ってみるのも面白い。
筆者が、現在連載中の作品では「バルデ」という男が登場する。一話限りの出演予定であった放浪楽士(=吟遊詩人)。だが、生成AIが非常に魅力的な人物画像を生み出してしまったため、その後、主要なキャストへと成り上がってしまった。
「キャラが勝手に動く」現象であるが、この場合、エキストラで呼んだ役者が「アドリブでのし上がった」という形だ。
―― ちなみに、ここまでで語られてきた創作論は、すべて筆者が「体現できていない」理想の話である。筆者には計画性がなく、行き当たりばったりに書いてきた戒めとして、本エッセイは書かれている。
次回作に生かすための、自分に対する十戒。
そういった面も含めてのチュートリアル書である。
考えてみれば、創作は、自分好みのスターたちをいくらでも呼べる贅沢な遊びともいえる。全部、頭の中で処理するのではなく、ちゃんとした設定表を作れば、創作の自動化もさらに進む。