読みやすい文章とは
なろう小説に限らず、読みやすさは「絶対」である。
「誰が読んでも理解できる文章」
こう言うと、安っぽくも聴こえるかもしれない。
だが、理解されない文章は、文章としての価値も持たない。
筆者は、読者に対し、伝えたいことを伝えて、なんぼである。だとすれば、その対象も多いに越したことはない。
難しいことを語ってはいるが、平明な文体。
これこそが至高といえる。
難しいことを婉曲に、難しい表現でダラダラと語る馬鹿がいる。いわゆる「賢いつもりの馬鹿」である。
読者に切りつけたいのならば、スパっと切ればいい。切られたことにすら気付かぬ、鋭利で洗練された言葉によって。
◇
枕が、本文のような長さになった。
さっさと本題を述べよう。
読みやすい文章。
それは「簡潔明瞭」な文章のことである。
一文、一文が短く、テンポよく配列された文章。
テンポを作るなら、サビ以外は短いほど良い。
一文とは、読点(「。」)までのひとつの文。
長くとも(=大サビでも)40文字までには収めたい。それ以上の長さになるようなら、一文を二文にでも分解する必要がある。
一文とは、読者がひと飲みに咀嚼(咀嚼)できる文の長さの単位でもある。口の大きさに多少の個人差はあれど、食べやすい方が良いに決まっている。
食べやすく切り分けたからといって、味が落ちるということはない。もし落ちるのだとすれば、それは料理人(=筆者)の腕の問題である。
最大で40文字。
適度に句点(「、」)も入れつつ、喉に詰まらない調理を。
平仮名と平仮名が繋がる部分にも、目印として句点を入れるのもいい。これは読者への配慮であって、見栄えを気にするところでもない。
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時代を超えて読まれる文章には、必ず明瞭さが存在する。
我々は、詩人ではない。
格好をつけているつもりで、おのぼりさんのようなファッション(=文体)で、街を練り歩く方が、恰好も悪い。