3 真偽の程
岡本松籟は三叉の竜とともにティアの元に向かっていた。ほどなくして岡本は三叉の竜と出会った場所に戻り、透明な壁の向こうでティアがもがいているのを見た。
「岡本様!」
三叉の竜が彼の意を汲み、結界を解除する。その時、ティアの懐にあったまじない袋がかっ、と熱くなった。そしてすぐにその熱は消えた。急に結界がなくなって支えを失い、よろけて倒れそうになったティアを岡本は両腕で支えた。
「ご無事でしたか」
少し顔を赤らめてティアは言った。岡本はそんな彼女の様子にはまったく気づかなかった。
「水城の奴がここにいると言ったんで来た。怪我はないか」
「はい、大丈夫です」
改めてティアは岡本の隣にいる三叉の竜を見た。岡本が何か指示をすると瞬間的に場所が変わり、岡本の家近くにある開けた空き地に出た。三叉の竜は岡本の顔を見る。陽は出てきていたが雨上がりだった。地面はまだ濡れており、雨上がり特有の蒸し暑い湿ったにおいが彼らを包んだ。
(我に指示を与えよ)
うーん、と岡本はうなった。
「とりあえず水城のところに戻れ。こんなの連れて歩けん」
(了解した)
三叉の竜はつい、と掻き消え、後には岡本とティアだけが残った。ティアは答えてもらえるとは思わなかったが、おそるおそる岡本に質問した。
「あの……常闇で何があったのです?」
岡本は上から下までじろじろとティアを見て、それから現在の状態を思い出した。彼女は島長の妻が護衛と称してよこしたのだが、今の彼女はただの足手まといである。もっとも、と岡本は考え直していた。正太郎の偽者や正太郎本人の様子、それに力尽きた彼我の女王のことなどから、彼女にも何か役割があるのだろうと思ったのである。
「家に戻ってから話す」
「あ……はい」
一瞬彼女は動揺して足がすくんだ。これまでなら悩むことなく岡本についていったであろう。岡本はそんなことには構わずさっさと歩いていく。ティアは迷い、その場に突っ立っていた。
「何をしている。来ないのか」
足を止めた岡本が振り向き、意外そうに言った。は、はい、とティアは返事をし、その後をついていった。
岡本は今、家で眠っている。ティア・タムートは深夜、居候している岡本の家を抜け出し、昼間感じたエネルギーをたどって暗い道を歩いていた。彼女が探知したのは地底から沸き起こった大地の力と、空から降りた星神のエネルギーだった。
降るような星空に、貼りつけたような月が輝いている。こんな深夜に出て行くなんてと思いながらも、ティアは注意深く休火山への道をたどっていた。しっかりと防御はしたものの、デサ=ラウ島は夜中に一人で出歩けるような場所ではない。未婚の若い女ならなおさらだ。
幸いに今夜は虫も少なく、夜歩きする獣もいない。まるで誰かが彼女を見守っているかのようだった。
疲れると夜空を仰ぎ、また夜道を歩く。月明かりははるか遠くまで彼女の行先を照らしていた。もう少しだ、ティアがそう思ったときだった。彼女の眼前に一人の男が立ちふさがった。
「ティアちゃんだね」
馴れ馴れしい口調で話しかけてくる。都会の夜ならともかく、こんな人気のない、それどころか生き物の姿も見ないような場所に唐突に現れたその姿に、ティアは思わず身震いした。
「そんな警戒しないでさ、ちょっと話したいんだ。いいだろう」
気持ちを落ち着けてティアは相手の顔を見た。そして不審に思った。
「お前に用はない」
ややきつい口調でティアはそう言った。冷たいねえ、と相手の男が返してくる。
「ティアちゃんの好きな人の話をしようと思ってさ。そう、日本から来たあの岡本くんだ。彼のことを好きなんだろう?」
無視しよう、ティアはそう決めてその脇をすり抜けようとした。その男はティアが写真で見せられたある人物に似ていたが、本人のはずがなかった。本人はここではないある場所にいる。それにこの男は妖術使いであり、かなりの術者であることにティアは気づいていた。日本にそんな手練れがいるとはついぞ聞いたことがないが、警戒を怠らないほうがいい。
「ねえ無視しないでよ」
男がティアの腕を掴む。次の瞬間、ティアはまわりを囲まれたことに気がついた。
「お前……何の用だ」
くっくっ、と男が笑う。ティアの周囲には真っ黒な蝶が無数にはばたいていた。逃げ道をふさがれ、ティアは男に向き直った。
「別に乱暴しようっていうんじゃない。ただちょっとお話したいんだよ、ティアちゃんと」
相手は彼女の名前を知っている。用心をしつつ、ティアは男が話すのを聞いていた。
「この島の神話にさ、彼我の女王ってのが出てくるよね」
少々意外に思いながら、ティアはじっと黙って相手の話を聞いていた。もっと直接的に、岡本松籟のことに切り込んでくるかと思っていたのだ。
「今、常闇に彼女はいない。代わりに日本から来た、水城正太郎君が玉座に座っている」
やはり、と思いつつ彼女は話を聞いていた。この男はおそらく水城正太郎の影であろう。島長を死に追いやった元凶だ。
「で、彼のことなんだけど、つい先日、とうとうこの島に根付いてしまった。彼は気にしてないようだけど、僕は困るんだ。分かるよね?」
にやり、と正太郎の影である男は笑った。
「で、提案なんだけど」
ティアはごくり、とつばを飲み込んだ。相手が何を言い出そうとしているのかさっぱり分からなかった。
「あさって、君の大好きな岡本君は日本に帰ってしまう。そこで僕がちょっとした細工をしておいた。帰りの船には二人分の空席がある」
もったいぶった言い方だった。ティアの様子をうかがい、言葉をつなぐ。
「そう、君も一緒に日本に行ったらいい。君はまだ若くてしかも美人だ。こんな南の島で一生をこの島に捧げて暮らすことはない。恋人と新天地で楽しく暮らすといいよ」
ティアの心は揺らいだ。現在、この島で島長の補助ができるほどの能力を持っているのは彼女だけだ。そのちからは「時見」と呼ばれる。未来を予知し、場合によっては過去も見通すことができる。島長の孫も同じちからを持ってはいるが、まだ子供だ。しかも代々薄らいできており、ティアのほうが今ははるかにまさっていた。
「なぜそんなことを言う」
飄々と正太郎の影は答える。
「邪魔だからさ。君も、岡本松籟もね」
ざっ、と音を立てて周囲の蝶が去っていった。ティアがにらみつけていることに気がつき、正太郎の影は笑った。
「僕にとって大事なのは僕が影でなく表に出ること。そのためにはこんな島などどうだっていいし、星神なんていてもいなくてもかまいやしない」
「どうでもいいのか」
こいつは星神の手先ではなかったかと、ティアは思った。その気持ちを見透かすように正太郎の影は薄笑いを浮かべて言った。
「ティアちゃんは星神ってなんだかちゃんと知ってる?」
思わずティアはたじろいだ。彼女は伝承と教育でしか星神を知らない。島長とその妻が、彼女のまわりには不浄物を置かないようにしていたためだった。
「やっぱりね。実際に会ったことはないかなぁと思ったらその通りだ。星神って言うのはね、意思のある悪意だよ」
にんまりと正太郎の影は笑った。
「他者を破滅に追いやることに喜びを感じる悪意さ。僕はもともと星神のものじゃない。だけど現身から見放されて、くずのように捨ててあった僕を星神が拾った。それで言うことを聞いてた」
正太郎の影にぶれのようなものをティアは感じた。ほんの少しだがどこかしらぴったり合わさっていないような、そんなぶれ加減だ。
「昼に現身が地上にあった星神の分身を砕いた。で、僕は自分で考えることを思い出した」
そしたらさ、と彼はあきれたように言った。
「なんかとっても危機的状況になってたわけ。僕にとってね」
それでさ、と正太郎の影は言った。
「あの岡本松籟は僕の現身に、大地に根を張ることを教えた。無意識のうちにね。奴が根付いてしまったら僕はもうどこにも行けないんだ。彼をそのままにしておけばそれ以外にも必ずや僕の障害になる。殺してしまうにも現身と近すぎて殺せない。もし彼が死んだら、僕の現身は衝撃を受けてつかいものにならなくなってしまうんだ」
ティアはどうしたらいいのか分からなかった。そんな様子を見て、正太郎の影は念押しして言った。
「じゃあ頼んだよ、ティアちゃん。彼とともに日本に行くことが君のためにも、僕のためにも、岡本松籟のためにもなる。あさってだからね、忘れないでよ」
そしてゆらりと消えた。ティアは呆然とその場に立ち尽くしていた。
ティアはその翌日、また一人で休火山への道を歩いていた。昨日は正太郎の影に邪魔されてたどりつけなかったからである。あのエネルギーの残滓は正太郎の影が張った罠かとも思ったのだが、正真正銘の戦いの残り火であり、気になってたまらなかったティアは岡本に言い置いて家を出たのだった。
その時の岡本の驚いた顔が目に浮かぶ。岡本を一人にはできない、と言い張っていたティアがそんな行動を取ったのだから当たり前だろう。夕方には戻ってくると聞いた時に、岡本は少々ほっとしたようだった。
昨夜、足止めされた箇所でティアは立ち止まった。思ったとおりに黒い小石が散らばっている。ティアはじゃり、と音を立ててそのうちの一つを踏み砕いた。漂っている微弱な星神のエネルギーが消えていく。それを確認すると、彼女は同じようにそこに落ちている黒い小石全てを踏み砕いた。
(影と星神)
水城正太郎という人間について、ティアはこう推測していた。彼には依代としての能力がある。エネルギーの通い路と言ってもいい。様々なエネルギーを通過させ、外界に放出する能力だ。その通路は巨大であり、しかも本人にはまったくその自覚がない。彼我の女王という足がかりを得て、彼の能力は全開放され、常闇の王としてそこに留まることになった。根幹に当たる部分は常闇の王として固定されているが、そこから分岐したある部分は星神に取り込まれ、その意を汲んで動いている。いや、動いていた、だった。昨夜の言葉が真実ならばだ。
そして岡本松籟という人間はこの島とも故郷の日本とも近しい存在であり、故に水城正太郎は彼の影響を受けやすい。おそらくは年長者への敬意や、岡本自身への尊敬といった事柄からだ。岡本に従えば大丈夫という気持ちもあるかもしれない。
(それとも)
ティアは歩きながら推論を続けた。
(岡本様には何かもっと、能力者を惹きつけるものがあるのかもしれない)
自分も含めての推論であった。正太郎の影は岡本を邪魔だといい、島長の妻は彼を守れとティアに命令した。肝心の自分はこの体たらくだ。あの時島長の妻に指摘されたことに、ティアは愕然としたのである。まさか自分が、という驚きだった。
考えているうちに目的地についた。砕け散った黒い破片と焼け焦げた岩山の痕、それらが荒涼とした岩肌の中にぽつんと置かれている。温暖な島なのにこの場所だけは草木が生えない。土を抱え込めない岩山のせいだと一般には思われているが、ティアにはそこに落ちた隕石のせいだと分かった。数十年もの間姿を隠し、つい先日正太郎に砕かれた星神の分身である。
(いない)
まだ居残っているかと思ったのだが、星神の分身はきれいさっぱり消えてなくなっていた。代わりに大地の力がその場を覆い尽くしている。あと数年でこの場所はジャングルとなろう。星神が消えたからである。ティアは周囲を探索し、かすかなエネルギーのほかは何も残っていないことを確認した。残っているであろう星神の分身をしとめるつもりでここまで来たのだが、どうも無駄足だったらしい。正太郎はきっちり仕事をこなしたのだ。
(常闇の王)
水城正太郎その人は完璧だ。優秀な人間であり、おそらく人格者でもあろう。しかし、とティアは考える。
(そうなれば影もまた優秀だ)
戻らなくては、とティアは思った。
(あさって、と影は言った)
ティアは急ぎ足で岩山を降りていった。その後ろを黒い蝶がゆっくりはばたきながら、数度舞って消えた。




