4 幻術
熱気と草いきれが彼女を襲う。これらはよく知っているものだ。苦にはならないが、自分の背よりも高く生い茂った草は邪魔きわまりなかった。彼女は広い視野を求め、上方へと視線を動かし、瞬時に察知した。
何か来る。巨大なものが空から降ってくる。今までここにはなかったものだ。
とっさに表現体を小さな生き物に変える。こちらのほうが衝撃に強いからだ。四枚の青くて薄い、輝く羽を持つ蝶が草原を舞う。
そこへ灼けた大きな隕石が上空から降ってきた。地上に激突した衝撃で蝶は吹き飛ばされ、はるか遠くへと追いやられた。それでもすぐに立ち直り、ふわふわと隕石に近寄ってくる。逃げ遅れた小動物と草木の焼けるにおいがあたりに漂う。蝶は周囲の惨状を弔うかのようにふわふわと舞い、まだ熱い隕石の上に止まった。
吼え声があたりに響き渡る。隕石の中に何かがいた。いいや、隕石そのものがその何かだった。
ヒュン、と空気を裂いて細長い尾が三本、隕石から現れる。反対側からは三つの頭が同じように出現した。蝶のとまっているあたりからは折り畳んだ、こうもりのような翼が持ちあがってきた。蝶は変化しつつある隕石から離れ、三つの頭があるその正面に移動した。
ゆらり、とひとつの頭が持ち上がる。真っ赤な目が蝶を捕らえた。続いて他の頭も様子をうかがうかのように持ち上がり、正面の青く光る蝶を睨み据えた。
蝶が変化する。一瞬光ったかと思うと四肢のある、細長い姿に変わった。だがまだ完全ではない。輪郭線はぼやけ、口にあたる部分だけに赤い空洞があいていた。
巨大な三つ頭の竜が動く。素早かった。その牙のある三つの口で正面に立つ邪魔者を噛み砕き、消し去ろうとした。しかし相手のほうがもっと早かった。
竜はすべての頭を押さえ込まれ、ついで尻尾による反撃に移った。三方向から鞭のようにしなやかにうねる尾が襲ってくる。相手は頭を抑えているために動けない。一撃で粉砕できるはずだった。
尾は三本とも根元から切り落とされた。竜は悲鳴をあげ、翼を使って逃げようとする。その翼も切断された。
(お前は何者だ)
竜の正面に立つ者が誰何した。
(我は星神に仕える者。お前こそ何者ぞ)
(知らぬ)
予想外の返答だった。
(知らぬとは何なり。その姿はそれ故か)
そうとも、と相手は答えた。
(わたしは自分を知らぬ。お前は自らを知るようだ。わたしに仕えよ。お前の知恵と力を使えは我が名も見つけることができよう。わたしは自分の名を知らぬ。お前はなんと言う)
躊躇があった。しかし竜は答えた。
(三叉の竜、と伝承される。我はお前に仕えよう。名のなき者には敵わぬ)
またこの夢だ、と彼女は思った。いつまで夢を見ているのだろう。いつ終わるのだろう。まだ救いはこない。この状況から抜け出すためにはきっかけが必要だ。
(正太郎)
彼女は目を覚ました。夢に現れたのと同じ蝶が髪飾りから出現する。こうやって外に出るたびに常闇は変化していると彼女は思った。
星空が美しくまたたく。今は夜なのだろう。彼女の時には昼夜の区分はなかった。すぐそこに見える景色も少し違っている。彼女は周囲を振り返り、少し散歩をすることにした。玉座のまわりは島の風景そのままだが、少しいくとまた様子が違ってくる。正太郎はそこにはやってくる者達を入れない。彼の心が作り出した、ひっそりとした楽園だった。季節は動かない。いつも同じだ。
彼女はその風景が好きだった。
あまり馴染みのない広葉樹や水田が目に入り、足元には小さくて可憐な花々が咲き競っている。正太郎の故郷の風景なのだろう。蛙の鳴き声がそこここに聞こえてくる。風が涼しい。田のあぜには、そこに沿って潅漑用の細い水路が縦横に切られている。小魚や巻貝、ざりがにの住み家だ。
悪くない、と彼女は思う。もちろん自分が慣れ親しんだ島の景物にも愛着はある。けれども異郷の風景を否定する気はなかった。すごしやすい気候に湿気り過ぎない空気、穏やかな太陽はまるで正太郎のことを思わせる。
ふらふらと散歩しているうちに玉座まで戻ってきた。正太郎は座ったまま眠っている。少しやつれたようだった。無理もない、と彼女は思った。人の身にこの業は厳しすぎる。
代わってやりたい、と思う。しかしどうしてなのか、髪飾りからの呪縛が解けなかった。島長はもういない。それに彼女を拘束し続けるようなまじないはかかっていないはずだった。そもそも彼女はこの島そのものと言ってもいい存在でもある。どんな呪であろうとも、常闇に戻れば簡単に打ち破れるはずだったのだ。
それからもうひとつ、彼女の協力者であるはずの三叉の竜が姿を見せない。今までこんなことはなかった。もしかして自分の力が落ちたのかもしれない。またはどこからか強力な妨害がかかっているか、どちらかだった。
(星神)
妨害者の名はすんなりと出てきた。もともと三叉の竜は星神の使いだ。寝返っても不思議はない。だが星辰へ繋がる回路はすべて切ったはずだった。それともどこかに新しい回路が開いたのだろうか。
もどかしかった。正太郎のこと、自分のこと、三叉の竜のことすべてが不透明であり、また星神のことも気にかかった。そしてその全部がもしかしたらひとつに集約されるのではないだろうか。
(やれるだけやってみよう)
ふわり、と蝶が玉座から舞い上がった。そして眠る正太郎の上を二度旋回し、ゆっくりと離れていった。




