第34話 籠の中の鳥(開)
あの後、風真と叔父上と合流し、急にいなくなったことを謝った。
他にも、現状の復旧具合や今後の陰陽師の動きについても話を聞いたりと、案外慌ただしかった。
転移ゲートの復旧はどうやら明日になるようで、夕方になる頃には、現状できることはほとんどなくなっていた。
そして、私たちは再び旅館に戻ることにした。
蝶華姫から、別邸をすでに修復済みと聞いていたため、頼み込んで再び貸してもらう。
──暗示を解くための場所として。
私とセレスは、静かな部屋でベッドに腰掛け、向かい合って話していた。
「セレス……きっと、私は……凄く、みっともない姿を晒すと思う」
これから起こることを思うと、声が震えた。
「大丈夫だ。俺にだけに、見せてくれるんだろ?」
彼の手が頬に触れた。
──そう。誰にも見られたくなくて、気づかれたくなくて、この場所を選んだ。
ここなら、誰にも邪魔されない。
「うん……セレスじゃなきゃ、嫌だ」
私は大きく深呼吸をした。
そして、覚悟を決める。
「セレス、君の闇魔法で……私の中に刻まれた暗示と、記憶を暴いて」
「……わかった」
「ごめんね、セレス……きっと、見たくないものまで見せる」
「……わかってる」
「記憶がわかれば、あとは私が自分で暗示を解く。
されたことは……想像がつく」
遊女の記憶と同化していた私は、女の心で、みっともなく好き放題されていたのだろう。
心も身体も鳥籠の中に閉じ込められて──。
……彼女を、私自身を、助け出せば、暗示は解ける。
「セレス……お願い」
セレスの表情が苦痛に歪む。
ごめんね、辛い思いをさせて。
でも、一人じゃ怖いんだ。だから、ごめんね。
「聖明……愛してる」
「うん」
セレスが私の頬を両手で包み、互いの額をそっと重ねる。
私たちを包むように、赤黒い魔法陣の光が、淡く空間に浮かび上がる。
──行ってきます、セレス。
ーーー
女性の泣き声が聞こえる。
それは子守唄にも似て、だが胸の奥を掻きむしるような──
悲痛な、絶望の叫び。
セレスがここまで送ってくれたのだろう。
──かーごめ かごめ
部屋で蹲る女性。
床には幾つもの文。
そこに書かれているのは裏切りの言葉。
彼女は、愛した人に捨てられた。
──かーごのなかの とーりーは
この籠の中で、彼だけが唯一の光だった。
彼がいるから頑張れた。
彼がいるから、この闇の中でも生きてこれた。
でも今は、その光が──絶望への案内でしかない。
──いーついーつでーやる よあけの ばんに
毎日、毎日、心を殺し、身体を傷つけられた。
それでも、ここでしか生きられなかった。
だから暗闇の中で壊れた笑顔を浮かべ、微笑み続けた。
求められるがまま、微笑み続けた。
微笑むことで、心を守った。
──つーると かーめが すべった
死ぬことも許されず、ただ壊れていく。
心で泣きながら、与えられる快楽だけが、酷く身体に刻まれていく。
苦痛に、快楽に、憎悪に、絶望に──全てが闇に溶けていく。
──うしろのしょーめん、だぁれ?
──これは、昔の私だ。
後ろを振り向いた瞬間、誰かに押し倒され、組み敷かれる。
私はこいつを知っている。
「よお、会いに来たぞ……クソ野郎」
その男は口元を隠しながら、目を細めて笑った。
「相変わらず、口が悪いのう」
私に馬乗りになったまま微笑む安倍晴明。
──本当に“いい趣味”してる。
「よくも毎晩、毎晩、好き放題してくれたな……!」
「まったく……もう少し怯える姿を堪能できるかと思ったのだが、がっかりよの。
して、どうするつもりか?
わざわざ意識ある状態で、されに来たのかえ?」
「なわけあるか!さっさと私の中からご退場願う!!!」
私は手に闇の剣を顕現し、斬りつける。
すると安倍晴明は、ふわっと後方に飛び避けた。
「いやはや、情熱的な。
しかし、余は飽くまで“暗示”という概念に過ぎぬ。斬ったところで、何もならぬ」
「それはどうかな?お前は私を甘く見過ぎだ」
確かに、目の前の安倍晴明はただの“概念”だ。
私に刷り込まれた存在に過ぎない。
でも───
「お前は悪趣味だからな。
今もこいつを通して見ているんだろ?
でなければ、毎晩、私が何されていたか、知る由もないはずだ」
すると安倍晴明は、にやりと笑った。
──嫌気がする。これが、大天使だとは。
「よい、よいの……久々に興が乗ってきたわ。
葵の娘よ、今宵も舞っておくれ」
「ほざけ、狐め……!」
私は闇の剣を無数に顕現し、放つ。
意外にも身軽な狐は、ひらひらと舞うように避け続ける。
「面倒なっ……!」
ここは精神世界だ。
闇の剣を使ってはいるが、現実世界の魔法とは異なる。
これは、あくまでこの世界で形取られた“象徴”に過ぎない。
つまり──闇魔法は使えない。
そして、あの狐も同様。
霊力も式神もない。
彼が用いるのは、私の意識の中にある「狐としてのイメージ」──ハリボテだ。
それを知っているからこそ、奴は「斬っても意味がない」と笑っていたのだ。
「葵の娘よ、まさかこれだけとは言わすまい?」
「……仕方ないな」
狐の進行方向を闇の剣で塞ぎ、動きの先を読む。
そして、先回りして現れ、蹴りを叩き込む──!
だが、奴は反応し、腕で受け止める。
「体術もいけるのか」
「余は大天使なるぞ?」
そのまま、肉弾戦に移行する。
拳がぶつかり、肘が飛び、蹴りを交える──
だが、互いに攻撃が当たらない。
この異空間において、どちらも等しく“無力”であるはずなのに。
「焦れったい!!」
その一瞬の隙を突かれ、私は腹部に拳を受けた。
壁へ叩きつけられ、拘束される。
「く……っ!!」
「ふふ、なかなか楽しい時間よのう。
今回は勝ちをいただきましょうか?」
そして、奴の手が私の服を破り──胸に触れる。
「あっ……!」
「よいよい、もっと鳴いておくれ」
───私は、笑った。
次の瞬間、“安倍晴明”の首元に、囁くように唇を寄せる。
「──あは、捕まえた♡」
私は、そのまま首筋に噛み付いた。
「……何をしておる? 応えるにしては、品性が……ん?」
奴の言葉が止まる。
私が噛み付いた箇所から、黒い刻印が広がる。
安倍晴明は慌てて私を振りほどき、距離を取った。
「……おや? まさか、これは……闇か……?」
私は口元についた血を指で拭い、にやりと笑った。
そして、一歩。さらに一歩と近づきながら、姿を変える──男の身体へと。
「おい、クソ野郎。呪詛返しって知ってるよな?」
奴は首元を押さえ、膝をついた。
「……いやですねえ。倍返しってことですかね?」
「明日はきっと愉しいぞ?」
私はその場で一度だけ目を伏せ、そして彼を睨み据えた。
「闇魔法医療科カゴノトリ指揮官・紅 聖明。
闇を操り、堕天使を率いる者だ──覚えておけ」
私の姿は軍服姿に変わり、闇の剣を幾重にも顕現させ、それを安倍晴明に向けて一斉に放つ。
「まったく……可愛くないの。葵の息子よ」
堕天使が、闇の中で微笑んだ。
ーーー
「ん……」
薄っすらと揺れる、笹の葉の音。
──どうやら、戻ってこられたらしい。
私は上体を起こし、周囲を見渡す。
すぐそばに、セレスが吐血したまま気を失っていた。
全身に闇の刻印が浮かび上がり、苦しげに荒い息を吐いている。
「セレス……」
私を助けるために無理をさせた。
そっと体勢を整え、彼の頭を私の膝の上へと乗せる。
そして、小さく微笑みながら囁いた。
「ありがとう、セレス」
その額に唇を寄せると、そっと闇を吸い取っていく。
刻印はみるみるうちに消え、荒れていた呼吸も静かに落ち着いていく。
彼の髪──月のように透き通った色を、私は優しく撫でた。
「……せい、め……」
ぼんやりと目を開けたセレスの瞳が潤んでいる。
「起こしちゃった?」
「いや……会いたかった」
彼は震える手で、私に手を伸ばしてきた。
「暗示は……?」
「解いたよ。もう、大丈夫」
私がそう伝えると、彼は安堵したように笑った。
そして、ゆっくりと起き上がろうとする身体を、私は支える。
「……聖明。甘えたい」
真剣な顔で、切実に、彼がそう告げる。
そして───
「……っ…あんな……ッ、あんなこと、されてたなんて……!」
セレスの目から、ぽろぽろと涙が零れ落ちる。
まるで、子供のような表情だった。
きっと──精神世界の中で、全てを見たのだろう。
「……ごめんね、セレス。ごめん……でも、もう、終わったことだから」
私は彼の頬に手を添え、そっと口づけた。
「ねえ、セレス。上書き……してくれるでしょ?」
「……ああ」
彼は再び涙を流しながら、深く私の唇を奪った。
そのまま、二人で静かに倒れ込む。
抱きしめ合いながら、失われかけた時間を、少しずつ取り戻すように──。
幸せな熱を感じながら、私は彼をあやすように、優しく、優しく包み込んだ。
やがて夜の闇に、ふたりの影がゆっくりと溶けていった──。
ーーー
翌朝。
私は懐かしい服を取り出し、鏡の前で静かに着替えていた。
「おい、聖明……それ、着るのか?」
同じく着替え途中だったセレスが、わずかに不服そうな顔でこちらを見る。
私は今、男性の姿に戻っている。
予備として持ってきていた服──肩が大きく開いた黒いニットのハイネック。
前開きのファスナーには十字架のシルバーが揺れ、ズボンはシンプルな黒。
ベルトには、セレスの瞳と同じ澄んだ青があしらわれていた。
手には、指先が出る長めの黒手袋をはめる。
無性になって以降、休職扱いになっていたこともあり、この服を着る機会はなかった。
普段なら、この上に制服か軍服を羽織るのだが──今は手元にない。
だから、この薄着のままで、着替えは終わり。
「……いいだろ、今日くらい」
理由はうまく言えない。
ただ、今日は“そうしたい気分”だった。
男に戻りたいわけじゃない。ただ、どんな姿も──すべての自分を受け入れていたかった。
「……わかった。でも、もし身体が変化しそうだと思ったらすぐ言え。俺の上着、貸すから」
「ん。ありがと、セレス」
彼は少しだけ困ったような顔をしたけど、最後には柔らかく笑ってくれた。
私は何となく闇で生成した黒剣を鞘に納めて腰に下げる。
「──あっ、セレス!」
「なんだ、急に」
「髪、結って」
私は青い髪紐を彼に差し出した。
すると、彼は一瞬だけ──泣きそうな笑顔を浮かべた。
「セレス……」
「……ほら、座れ。結ぶんだろ?」
「……うん」
促されるままにベッドに腰を下ろすと、彼は優しく私の髪を櫛で梳きはじめた。
「ねえ、セレス」
「ん?」
「……きっと、これからも身体のことで迷惑かけると思う。
怖がらせちゃうことも、あるかもしれない。
でも……一緒に悩んでくれる?」
その問いに、彼は髪を結び終えたようで、手をそっと離した。
「──当たり前だろ」
その笑顔が、たまらなく好きだと思った。
だって、こんなにも優しい顔を──私にだけ向けてくれるのだから。
「セレス、行こっか」
「……ああ」
きっとこれからも。
私たちはこうやって笑い合いながら、生きていく。




