第34話 籠の中の鳥(四羽)
闇夜に凛とした声が、洞窟内に鋭く響き渡った。
「一つ!我は民のため!
一つ!善は人のため!
一つ!振るう力は守るため!」
安倍晴明は、不快そうに眉をひそめ、口元を袖で覆いながら天を仰いだ。
洞窟の天井には円状の穴が開いている。 その縁に立つのは、黒光りする長髪の女──いや、男装の姫。 赤い羽織を風になびかせ、手には青白く輝く霊刀。
「……まったく。お転婆も程々になさい、蝶華姫」
晴明の低く抑えた声に、姫は晴れやかに笑い飛ばす。
「よお、安倍晴明!今宵は星が綺麗でな、遊びに来てやったぞ!」
姫の隣には、従者・咲夜。 そして、やや遅れて洞窟の縁に姿を現したのは、使い魔・リリーと──僕だ。
「……夜中に出歩く悪い子は、鬼に食べられますよ?」
「ははっ!鬼よりも余程、人の方が怖かろう!」
洞窟の縁を囲むように陰陽師たちが陣を敷いていた。 彼らは皆、蝶華姫の呼びかけに応じた者たちだ。
「おやおや。私が育てた者たちが、牙を剥く日が来ようとは」
「何を言う!ここに集った者たちは、お前を倒すために来たのではない!」
蝶華姫の目がきらりと光り、声に力が宿る。
「───お前を、救うためだ!」
その言葉を合図に、陰陽師たちは一斉に式神を展開し、空中を滑るように洞窟の中へ飛び込んでいく。
僕たちもすぐに後を追った。
姫様はこの騒動の兆しにいち早く気づき、誰よりも先に動いてくれていた。
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「お願いだ、リリー……!早く、早く治ってくれなきゃ……!」
妲己に倒され、血を流すリリーに必死で回復魔法を施していると、聞き慣れた声が響いた。
「風真!!!」
振り返った先にいたのは──姫様!
「姫様!」
「……くそっ、してやられたか!怪我を見せろ!」
「僕が猫ちゃん、診ますね!」
咲夜が飛び出し、リリーの額に呪符を貼ると──みるみるうちに傷が癒えていく。
「これは……!」
「風真、お前もだ!治すぞ!」
べちっ──とおでこに呪符を貼られる。 一瞬で痛みが抜けていき、白紙となった符がひらりと落ちた。
「よし、とりあえず大丈夫そうだな!で、何があった!?」
僕は簡潔に説明した。 妲己が襲撃してきたこと。 聖明が拐われたこと。 そして、妲己が安倍晴明に仕える妖であること──。
姫様はしばし黙した後、真剣な眼差しで口を開いた。
「風真、頼みがある。 西洋に連絡を入れてほしい。……安倍晴明は“飽くまで”大天使だ。 あいつを止められるのは、同じ大天使だけだ。 ゲートを開くためには──どうしても、そちらの力が要る」
「でも、今は通信魔法も通じない!何度やっても魔力が乱されて!」
「──方法ならあります」
不意に声を発したのは、咲夜だった。
「今の状況は、水底が濁って光が届かないようなもの。ならば──高出力の魔力で無理やり貫通させるしかありません。 魔力だけで無理なら、霊力の壁で魔力を守って飛ばすのです」
無茶だと思った。
その瞬間、よろっと立ち上がったリリーが叫ぶ。
「風真様……今は、可能性に賭けましょう。
“やれることはやる”──それ、あなたの口癖でしょ?」
「……っ!」
そうだった。 聖明と出会ってから、僕はずっとそうやって生きてきた。
「……よし、やってみる!」
通信波動の感覚を探れ──師匠なら、絶対に届く!
霊力を練り、魔力を包み、空へ飛ばす!
足元に展開される二重魔法陣。 二つの陣が反対回転で共鳴し、光が一点に収束する。
───見えた、捉えた!
「師匠! 師匠!」
ザザ……ッ!
ノイズの中、わずかに声が聞こえた。
『ふ、ま……ッ せ、めいが、どう──た!?』
「聖明が拐われたんだ! ごめん……守るって言ったのに……!」
『ザァ──が拐われ──ザザザ……』
伝わって──!
「このままだと……聖明が、母体にされちゃう! 師匠、お願い……ゲートを開けて!! 聖明を、助けて──!!!」
バチンッ──!
魔法陣が割れ、身体が崩れ落ちる。 膝をついた僕に、姫様が声をかける。
「どうやら……繋がったようだな」
「……師匠なら、やってくれる……。
あの人は、口下手だけど…… 誰よりも、聖明のことを想ってるから!」
自信はあった。
だって──僕が、ずっと一番近くで見てきたんだ。
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洞窟内は混沌としていた。
安倍晴明が召喚した十二体の式神を前に、陰陽師たちは苦戦を強いられている。
「腐っても大天使か……!十二天将すべてを顕現させるとは!」
蝶華姫は霊刀を片手に、変わらぬ笑みを浮かべたまま進む。
その眼差しは、確かに前を見据えている。
「な、なんなのあの人型の式神!?そんなに強いの!?」
僕も後に続き、魔物の群れを切り裂きながら前へ道を拓く。
「ああ。あれは──
国を守護する象徴、自然の理をそのまま具現化したような存在だ!」
「………無茶苦茶だろ……!」
だが、違和感がある。
式神だけじゃない……あきらかに“それ以外”の化け物が混じっている。
「風真様、あの男……式神以外も使役している可能性があります!
妲己の件もありますし、底が知れません……っ」
女性の姿を取ったリリーも、僕と姫様を庇うように遠隔魔法でサポートしてくれる。
──そのとき。
「聖明!」
視線の先、あの狐面の背後に、聖明の姿があった。
浮かぶように拘束されたその身体は虚ろに揺れ、頬には涙が伝っている。
脳裏に焼きついている。
悪魔ルリレージュに操られていたときの聖明の顔──
尊厳を踏みにじられ、意志を捻じ曲げられ、ただ涙だけを流していたあの時の姿。
今度は、僕が──!
「聖明っ!!」
僕は光の剣を弾丸のように放ち、一直線に安倍晴明を貫かんと突進する。
続いて、凄まじい速さで蝶華姫も飛び出した。
「安倍晴明よ!儚き乙女に何をした!
それでもなお、国を守る陰陽師かあああっ!?」
「……姫様は、今日もお元気でなにより」
しかし、当たる寸前──
式神が二体、僕の剣を弾き飛ばし、姫様の一閃すらも指一本で受け止めた。
「チッ、相変わらず……出鱈目な力だな、清明!!」
「そなたも……人間にしては、強すぎますのう?」
次の瞬間、式神の一撃が姫様を襲う。
そのまま背中から壁に叩きつけられ、崩れるように地面へ落下する。
「姫様っ!!」
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風真の声が、聞こえる。
私の大切な瑠璃を宿した、大切な大切な弟。
……私の家族。
でも、ごめんね。
一度、起こしてくれたのに……もう、起きたくない。
どうせ、この闇には救いなんてない。
身体に術式が喰い込んで、奥の奥まで侵されていく。
「あ……っ、ああ……!」
もうやめて、触らないで……。
「ふふ……可愛い声ですね、葵の娘。
そなたの母に恋い焦がれた日々、思い出しますよ。
けれど、もはや母ではない……そなたこそが、余が伴侶。
壊れても構わない。そなたさえ、そばにいてくれれば」
その声が、甘く、冷たい。
私の心までも、静かに、静かに、侵していく。
「抗わなくてよいのです。
そなたが望まずとも……余は、そなたのすべてを愛している。
……壊れる音すら、愛おしい」
ああ……もう、イヤだ。
こんな闇の中で、ひとり堕ちるぐらいなら……いっそ、殺して。
───リーン。
……鈴の音が、聞こえた。
その音が、胸の奥に触れた。
『……妾が助けてようぞ、その虚しさから』
白い手が、そっと伸びる。
ぬくもりはないのに、不思議と、怖くなかった。
私は──確かに、微笑んだ。
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身体強化でなんとか姫様が落下する前に受け止める。
「っ!!姫様!!」
慌てて顔を覗き込むと、額から血が流れていた。
「〜~っ!ナイスだ……っ!風真!!」
そう言ってふらりと立ち上がると、目の奥に決意を宿して叫んだ。
「次こそは──式神ごと、貫くぞ!」
「はい!!!」
突然、地鳴りが洞窟中に響き渡った。
天井の岩が震え、誰もが一瞬動きを止める。
「な、何!?」 「風真!転移ゲートを──!」
赤い鳥居のような転移ゲートが、不自然な音を立ててひび割れる。
まるで、空間そのものが壊れていくようだった。
───来る。
刹那、鋭い破裂音とともに“それ”は割れた。
吹き荒れる魔力の奔流に、思わず腕で顔を庇う。
「我々は、西洋エクソシスト所属──
闇魔法医療科 《カゴノトリ》だ!!」
風の中から現れたのは、黒い軍服に身を包んだ部隊。
その中央に、見慣れた月の色を宿した髪とオッドアイの男。
───師匠だ!
「和の国大天使・安倍晴明!
現世の生ける人々に直接手を出す行為は、大天使の誓約違反だ!!!
魔法都市国家・大天使の名のもとに──捕縛する!!!
……よくも、聖明に手を出したな、クソ野郎!!!!!」
怒号に呼応し、堕天使たちを中心とした精鋭兵が一斉に飛び出す。
「雑魚は我に任せよ!!」
闇より現れたベレド卿の影がぐにゃりと広がり、
次々と闇の兵が這い出してくる。式神たちはその異形の軍に飲み込まれていった。
「あは!私の愛を感じてね♡」
褐色の堕天使リリスが宙を駆け、闇で形成されたナイフを連続で放ち、妖を次々と仕留めていく。
兵たちも、各々の技で式神の動きを封じていく。
そんな中、異質な魔法を放つオッドアイの堕天使
───セレスティーナ・ラファベル。
洞窟の周囲に無数の光の剣を顕現させ、
輪のように展開しながら敵を薙ぎ払っていく。
「────通せ」
両手に光の剣を握り締めたまま、彼は一気に加速した。
僕の師匠──カゴノトリ随一の剣士が、風のように隣を駆け抜け、低く囁く。
「……遅くなったな」
だが彼は振り返らない。
そのまま、剣を交差させ──走る。
眼前の敵は、もはや「障害」ではない。
斬り捨てる理由すらいらない。
血と光を纏い、怒りと愛を背に、
彼はただ──その先に囚われた「彼女」へ、手を伸ばす。
「おやおや、若いですねぇ!」
安倍晴明が術式を展開するが、彼はそれを視界にも入れず突き進む。
───聖明、聖明……っ!
俺の手を──
……だが、その指先が届く寸前。
聖明は、微笑んだ。
「もう、遅いよ──セレス」
刹那、闇の茨が聖明を中心に広がり、祭壇を崩壊させる。 安倍晴明の陣も、音を立てて砕けた。
「くっ!!?」
「……っ!?ほう、これは……」
───あはははははは!!
洞窟に鳴り響く、女性の声。
黒い茨が天井へと伸び、咲いた薔薇の蕾から現れたのは──黒髪に赤い瞳、九本の黒い尻尾を揺らす、妖艶な女。
肩から胸元にかけて大きく開いた衣装。
そして何より、その顔は──
「せ……いめ……?」
「ついに……ついに、安倍晴明の軛から解放された。
ああ、何百年ぶりの……肉体だろうか……!」
……なに?
今……こいつは、何て言った?
聖明の身体で、聖明の顔で、聖明の声で──
“それ”は、俺の前にゆっくりと降り立ち、歪んだ笑みを浮かべた。
「おぬしが……この肉体の“想い人”か?
ふふ……ようやくわかった。
貴様のおかげで、堕天使の魂、そしてこの器──全て手に入った。
……礼を言おうか、“愛しき者”よ」
────女は、歪んだ笑みを浮かべた。 なんという、悪夢。
次の瞬間、洞窟が大きな音を立てて崩れ始めた。
天井からは石や瓦礫が容赦なく落ちる。
陰陽師たちは狼狽しながら撤退を開始する。
カゴノトリの面々はそれぞれ防衛の構えを取る。
安倍晴明は──
「……清明よ。 今回は、お主の──完敗であろうな?」
「やれやれ……姫君に敗けたなどと、あまり口外せぬよう……お願いしたいものですな」
「敗けたのは、お主自身の“弱さ”だ」
「ほほ……実に手厳しい。 されど、姫に……死なれては困りますゆえ、今回はこれまで。 さあ、蝶華姫。参りますぞ」
そう言うと、蝶華姫を連れて脱出する。
そんな中、一人、動かない人物がいる。
「師匠!!」
僕は瓦礫が降り注ぐ中、慌てて駆けつけた。 師匠は絶望したような表情のまま、立ち尽くしていた。
「──っ!」
僕は師匠の胸倉を掴み、叫ぶ。
「今は動け!!!話はその後だ!!」
「………」
だが、返答はない。
僕は師匠を支え、身体強化で無理やり持ち上げ、脱出する。
全てが崩れ去る中──
唯一、中央の赤い鳥居だけが静かに残っていた。
夜空の下で、ただ静かに、虚しく、そこに立っていた。




