第34話 籠の中の鳥(二羽)
一人の綺麗な女性が泣いている。
──かーごめ かごめ
黒髪をなびかせ、静かに涙を流していた。
──かーごのなかの とーりーは
彼女は部屋の中で、まだ来ぬ朝日を待ち焦がれながら、ただ涙を流す。
──いーついーつでーやる よあけの ばんに
心にあるのは、想い人への恋心。
だが叶わぬ想い、囚われた閉鎖空間。
──つーると かーめが すべった
今日も男に、愛想笑いを浮かべる。
ああ、また来た。
「うしろのしょーめん、だぁれ?」
……ここは、地獄だ。
---
「──はっ!?」
慌てて上体を起こす。頭が重い。
汗が滴り、髪が肌に貼り付く。
「……夢?」
それにしては、生々しくて、痛々しい。"また"遊女の夢。
なぜ、こんな夢を……?
怖くなって、思わず自分の身体を抱きしめる。
「……あ……」
腕に当たる柔らかさに気づき、ハッとする。
──変な夢を見ていたせいか、女体化していた。
「戻らなきゃ……っ」
そう思った矢先、ギィ……とドアが開く。
慌ててブランケットをかき寄せ、胸を隠す。
そこに現れたのは──安倍晴明だった。
いつものように口元を隠して笑い、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「な、んで……?」
なぜ、よりによってこの男がここに……
いや、ここは陰陽師院だ。どこで会っても不思議ではない。
「お休み中でしたか。……失礼。依頼がありましてね」
「……っ」
視線がすくんで動けない。呼吸が乱れる。
まるで夢の続きをなぞられているみたいだ。
「葵の子よ。どうされた? 酷い汗ですね」
彼が徐々に近づいてくる。私は反射的に後ずさった。
呼吸が浅くなる。──怖い。
「り、リリー……!」
影に潜んでいるはずの使い魔に助けを求める。
しかし、返事がない。
……どうして?
「おや?」
ビクリと身体が震える。
次の瞬間、腕を掴まれ、引き寄せられた。
「まさか……無性体に?」
目が、合う。
彼の人差し指が、私の胸に触れた。
──バレた。
「は、離せ!」
「そんなに怯えなくても。……夢の中では、もっと素直でしたよ?」
ゾクリと背筋が震えた。意味がわからない。
けれど本能だけが叫んでいた。
「それにしても……そなたの女体化した姿は、葵そっくりですね」
声が出ない。恐怖で身体が動かない。
にやりと笑うと、彼の指が頬をなぞった。
夢の中で散々触れられた感覚が甦り、全身が粟立つ。
「聖明。あなたには巫女の素質があります。
ぜひ、余の元に来なさい。
今や男ではなく、女になれるのであれば好都合。
あなたの霊力なら、きっと……強き“霊力者”を産むことができる」
「っ……! い、嫌だっ! 離せ!」
絞り出すような声が部屋に響く。
勝手に涙が溢れて止まらない。
「やれやれ……いきなり過ぎましたか。
仕方ありません。今日は帰りましょう。
ですが、考えておきなさい──葵の“娘”よ」
そう囁いた瞬間、彼の姿は花びらに崩れ消えた。
残されたのは、汗と涙に濡れた自分だけ。
入れ替わるように、風真の声が聞こえた。
同時に影から、男性の姿のリリーが飛び出してくる。
「聖明! すみません、出るのを阻害されていました!」
リリーが慌ててブランケットで私の身体を隠してくれる。
「聖明!? 何があったの!? 声が……ッ」
風真も駆け寄ってくる。
女体化している私に気づき、すぐさま背後の叔父上を止めてくれた。
私は、情けなく泣いていた。
言葉も出せないほど、恐怖に震えていた。
──助けを求めたくても、手を伸ばす先がない。
ーーー
僕はリリーと共に、聖明を急いで旅館に連れ帰った。
奏叔父さんには堕天使の発作だと嘘をついて誤魔化した。
リリーが男の姿になれるようになっていたので、彼に聖明を抱えてもらい、僕は周囲を警戒しながら帰った。
聖明は怯えたまま、何も話さない。
触れようとすると余計に怯え、錯乱しかける。
女体から戻る様子もない。
ようやくリリーが宥め、夜になって静かに眠ってくれた。
僕とリリーは、聖明の眠る部屋で静かに話し始める。
「リリー、何があったの? あの怯え方は尋常じゃない……」
「……安倍晴明に、無性体であることがバレました」
「っ!」
なぜあの場に……?
「まさか、何かした……?」
リリーは眉を寄せ、伏し目がちに言った。
「巫女として欲しいと……“霊力者を産め”と、言い寄っていました」 「はあああああ!?」
怒りが噴き出した。
「産め」だと?
完全に道具扱いじゃないか。
ラファエル様が恐れていた通り、兵器としての目が聖明に向けられた。
──堕天使でなかったとしても、意味は同じだ。
「私が側にいながら……申し訳ございませんっ!
影から出ようとしたのですが、何かに妨害され……。
恐らく、あのキツネ顔のヤツの仕業です……っ」
安倍晴明が敵──しかも大天使となれば非常にまずい。
僕たちでは本気で来られたら太刀打ちできない。
「……帰ろう。このままじゃ危険すぎる。
家に軟禁する形になっても、今逃げなきゃ取り返しがつかなくなる!」
西洋の家ならゲートが直結している。
精霊界の狭間──精霊王の領域。不可侵の領域。
「同意です。
今日の夜のうちにでも転移ゲートへ──」
急に通信魔法が繋がった。
「え、何、龍?」
『ふ、ま……きこ……えるか!?』
ザァッという音に紛れて、龍の声が微かに聞こえる。
「龍?どうしたの? 音声が乱れて……?」
『……すまんっ! これが限界だ』
やっと音がクリアになる。
「何があったの?」
『東洋に繋がる転移ゲートが急に途絶えた。お前ら、無事か?』
──っ!なぜこのタイミングで……っ!
「……聖明が、狙われてる」
『クソッ! よく聞こえねえ!何か妨害があるのか!?
科学班はどうなってる!?』
『それが、東洋側で魔力の乱れが大きく……っ』
龍が声を荒げる中、背後では複数人の声や機械音のようなものが響いていた。
僕の声は届いていないらしい。
『風真! 聞こえてるかわからないが、ゲートが使えない!
こちらから強制的に開くが、復旧には時間がかかる!
できるだけ急ぐが、距離が距離だ!最低でも三日はかかる!』
──絶望的な内容だった。
『聖明にも通信を入れたが繋がらねえ……何が起きてるかわからないが、問題があるなら、どうにか逃げ延びてくれ!
復旧次第、迎えに行く!
何もないことを、祈ってる』
ブチッと音声が途切れた。
僕は再度通信を試みたけど、魔力がうまく届かない。
「……何が起きてるんだ?」
一気に不安に襲われ、思考が止まりそうになる。
「風真様!」
リリーの声にハッとする。
「私は、聖明が無性体になってから、同時に私自身にも変化が起こりました。
今のように主と連動して性別が変えられます。
また、以前のように主の体調に影響されることもありません。
……戦力になれます」
そう言って、リリーは立ち上がり、闇で創り出した刀を腰に下げる。
「聖明ほど扱えませんが、闇魔法も使用可能です。
三日間、復旧まで凌ぎましょう。
そのためには、今何が起きているのか情報が欲しい。
まずはゲートについて調べましょう。
原因によって、対処が変わります」
リリーの言葉で、少し冷静になれた。
焦っても、仕方ない。
今は──僕がしっかりする番だ。
「わかった。同時に動きたいところだけど、聖明を一人にはできない。
リリー、聖明を守っててくれる?
僕は姫様に会ってみる。
もし可能であれば、聖明の保護をお願いしたい。
国と陰陽師の関係は深くわからないけど……姫様の性格なら、きっと助けてくれると思う」
「承知しました」
「その前に……」
僕は、昼間に奏叔父さんのおかげで一つだけ技を覚えることができた。
パニョくんに呪符を貼り付け、呪文を唱える。
「来たれ、来たれ──我が分身、我が写し身──」
イメージを明確にしながら、パニョくんに霊力を注ぐ。
「顕現せよ!」
すると、クマの姿だったぬいぐるみがふわりと変化し、
今度はウサギのぬいぐるみに変わって床に着地した。
ぴょこんと立ち上がると、元気に声を上げる。
『わあ!本当にできちゃったね!風真!』
「これは?」
「僕の式神。
パニョくんの性能はそのままに、僕の分身として"人格"を入れてあるんだ。
パニョくんも優秀だけど、こっちのほうがより自己判断で動けると思う。
……気休めにはなるんじゃないかなって」
(……まあ、式神の中身は瑠璃姉さんなんだけど)
魂は集合体に戻っているけど、人格はちゃんと残っていた。
それなら式神として顕現できるかもと思って試してみたら──案外、できてしまった。
「"うさちゃん"、聖明の側にいて」
『わかったよ、風真! ちゃんと守るね!』
「じゃあ、リリー。ここはお願い!」
「はい」
僕はリリーに聖明を託し、城への謁見を申し出ることにした。
会えればいいけど──。
外に出て、夜空を見上げる。
今日は新月。
暗闇の中、光を探し求めるように──僕は歩き出した。
ーーー
僕は助けを求めるため、姫様への謁見を申し出ていた。
ありがたいことに、すぐにでも会ってくださるそうだ。
僕は、いつの間にか一人、正座をして静かに待ち構えていた。
すると──
「すまぬ! 待たせたな!」
現れたのは、漆黒の着物に鮮やかな赤の羽織を纏った姫様だった。
腰には二本の霊刀。
なぜかいつもと雰囲気が違い、さらに凛々しい。
夜中だというのに、まるでどこかに出陣するかのような出で立ちだ。
お付きの咲夜さんも、いつもの女装姿ではなく、スーツ姿で後ろに控えている。
「風真よ、聖明はどうした?」
──第一声で触れてくれて、有り難い。
「聖明のことでご相談したく、参りました」
僕の言葉に、一瞬だけ姫様の眉間に皺が寄る。
「話せ」
「陰陽師・安倍晴明に“子を産め”と──そう言い寄られ……
その恐怖のあまりに……いま、聖明はまともに話せる状態ではありません……」
僕は手をつき、深く頭を下げて言う。
実際に、あれから聖明とはまともな会話すらできていない。
ただ怯え、泣きじゃくるばかり。
──あんな聖明、見たことがない。
「……安倍晴明が?」
「……はい」
姫様の声が低くなる。
姫様と陰陽師の関係がどうなっているのかは、僕には分からない。
……選択を誤ったか?
「風真、頭を上げよ!」
姫様の声に、僕は顔を上げる。
真剣な面持ちで、彼女はまっすぐ僕を見つめていた。
「和の国は今──窮地に立たされている」
「え……?」
「大妖怪・九尾の封印が解かれた。
……そして、どこかに身を隠したのだ」
「大妖怪!?」
──もしかして、こっちで言う“大悪魔”クラス!?
西洋では大悪魔は、神から堕とされた“大天使”を指す。
つまり、大天使クラスの力を持った悪魔だ。
もし同じ定義であれば、それは魂依存の存在で──討滅は不可能。
基本的に封印するしかない。
「九尾の名は“妖妃・妲己”。
もともと和の国には存在しなかった妖怪だが、海を隔てて我が国へやってきた。
過去に我が国を貶めようとし、安倍晴明が大昔──その憑依体を滅ぼし、魂を封印していた存在だ」
「安倍晴明が……?」
「そうだ。
今のところ大きな被害は出ていないが、封印が解かれたことで、我が国の大気に漂う自然の精気……西洋で言う“マナ”が大きく乱れている。
その影響で、魔導機構や霊具類が干渉を受け、機能していない。
それだけ、妲己の力は大きいということだ」
「──だから、転移ゲートが使えないのか……」
「左様。直すためには、妲己の討滅が必須となろう。
“大妖怪”と言っても、お前たちの国で言う“大悪魔”とは理が少し異なる。
やつらは基本的に、人の“負の感情”だけで生まれる。
人がいる限り、消えない存在。
だが一時的に祓うことができれば、何百年も眠りにつく。
復活には長い年月と、再び満ちる“負の感情”が必要だ。
しかし──妲己は“封印されていただけ”だ。
それが解かれれば、動くまでに時間はかからぬ。
動き出す前に祓わねばならぬ。
よって、我が国は今、封印が解かれた原因と妲己の行方を探っている。
……やつらは“人だった頃の名残”で、人間の肉体を欲するのも特徴だ。
今回も──憑依体を探して暴れるだろう」
一通り話し終えると、姫様は再び僕を見据えた。
「風真……安倍晴明が“反旗を翻した”と思うか?」
「なっ──!?」
姫様の言葉に、僕は思わず息を呑んだ。
「あいつはな、大天使として舞い降りたが、多くの大天使が降り立った西洋と違い、最初は差別されていた。
……文化が違いすぎた。
西洋とは違う神々が住まう土地だ。理も違えば、考えも違う。
風真よ、お前たち天使は寿命が長い。
しかし、和の国の者のほとんどは普通の人間。
寿命は百年もない。
大天使などという“永遠の存在”が来たとき、人は恐怖し、あいつを迫害したそうだ。
それを見かねた私の遠い血縁が、安倍晴明に治安を任せ、信頼を重ねることで関係を築いてきた。
その甲斐もあって、他国との交流も可能となり、天使との交わりを通して寿命の延びた者も増えた。
今では“魔力”と“霊力”が混在する、この和の国が形成されている。
………しかし、安倍晴明が人間を許していたかは不明だ。
いつ話しても飄々としており、本心が見えぬ。
もし、風真、お前の言うことが本当であれば──
やつは“手に入れよう”と躍起になっているかもしれぬ。
何せ、安倍晴明は……聖明の母、紅 葵に恋をしていたと聞く」
──唐突な言葉に、思考が一瞬止まる。
「は……?」
「本当かどうかは眉唾だ。
だが、実際に“言い寄っていた”となると……本当なのかもしれぬ。
それに、聖明は“不死の堕天使”だろう?」
僕の心臓がドキッと跳ねた。
「姫様、知ってたの!?」
「一国の長になる者だぞ。それぐらいの知識は当然あろう。
──もしかしたら、同じ“不死の存在”として、欲しているのかもしれぬな」
そう語る姫様の表情は、どこか悲しげに見えた。
「どちらにせよ、“妲己”は討たねばならぬ!
風真よ、今回の件、まだ全容が見えておらぬ。
だが、聖明が狙われている可能性は捨てきれぬ。
……今、聖明はどこに?」
「旅館に……」
「ならば、そのまま匿え!
あそこは私が秘密裏に個人で所有している一角。
下手な公共施設より安全だ。
私は陰陽師たちを率いて、現場の指揮に出ねばならぬ。
安倍晴明を見かけることがあれば、我が止めておこう。
お主は、我が解決するまで“守り”に徹するがいい!いいな!!」
「──はいっ!!!」
……なんだか、すごい話になってきた。
けれど、僕がするべきことは、変わらない。
聖明を守る──それだけだ。




