↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カゴノトリ  作者: 灯夜 雪


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/371

第1話 名もなき君に

演劇脚本から始まった物語を小説に落とし込みました。

別途、漫画にて旧ストーリー公開中。

これは、僕が生まれて、とある人物と出会い、

その生き様を見守る物語だ──。


 

気づけば、僕は月明かりの下で、青く光る花々に囲まれて眠っていた。

ゆっくりと上体を起こし、あたりを見渡す。


僕は、どうしてここにいるのだろう?

ここはどこだ?

──僕は、誰だろう……?


何もわからないことに気づき、恐怖が身体を覆う。


え、なんで何もわからないの!? 怖い!

僕は、どうして……?


「大丈夫だ」


気付くと、目の前に見知らぬ男が立っていた。

僕は顔を上げる。


黒く深い闇のような髪に、輝くような赤い瞳。

まるで“闇そのもの”のような人。

だけど、どこか懐かしさを感じる。


「……誰……?」


彼はしゃがみ込み、僕を優しく抱きしめる。


「大丈夫、怖がらなくていい。私がそばにいる」


誰かも分からないのに、その温もりは、言葉は、僕の心に染み渡った。

気付けば、僕は涙を流していた。


「怖かったね。もう大丈夫。さあ、起きよう」


彼の手が、僕を導く。

──次の瞬間、世界が光に包まれた。




再び目を開けようとすると、薄っすらと人影が見えた。


「大丈夫か?」


目が覚めると、そこには夢で見た赤い瞳の男がいた。

眼鏡をかけているけれど、間違いない。彼だ。

それに、顔には赤黒い薔薇の茨のような模様が浮かび、少し苦しそうだった。


でも、瞳は夢と同じで、とても綺麗だった。


彼の肩には黒い猫のような生き物が乗っていて、片手にはタオルを持っている。

僕は視線を泳がせ、周囲を見回す。

手には管が繋がれていて、点滴をされているのがわかった。


「こ、ここは……?」

「私の家だよ。君は寒空の下で倒れていたんだ。少し体を起こせるか?」


そう言って、彼は上体を起こすのを手伝ってくれた。


「可哀想に……酷い熱だ。水は飲めそうかな?」


僕が頷くと、彼はコップを差し出してくれた。

僕は少しだけ水を口に含む。


「あの…あなたは……?」

「私の名前は、紅(こう) 聖明(せいめい)。医者をしている」

「紅先生……」

「聖明でいいよ」


そう言いながら、彼は空いた手で僕からコップを受け取り、テーブルに置く。

そして、ペンを取り出し、書類に何やら記入を始めた。


「君の名前を聞いてもいいかな?」


優しく微笑む彼に、答えようとしたけれど……声が出ない。


「……ぼ、ぼく、名前が...わからない。どうしよう、何も思い出せない……」


急に恐怖が込み上げる。

夢の中で感じたあの恐怖と同じ。


何も思い出せない。

何もわからない。

怖い、怖い、怖い──。


……僕は誰なんだ?


恐怖に震える僕を彼はそっと抱き寄せ、背中を優しく叩いてくれる。


「大丈夫だ。一緒に深呼吸してみよう。吸って、吐いて……」


彼の声に従いながら、僕は必死に呼吸を整える。


「吸って、吐いて。うん、いい調子だ。偉いね」


気がつけば、涙がまた溢れていた。

恐怖からか、安堵からか…それさえ、もう分からなかった。


「僕……」

「今は眠りなさい。大丈夫、そばにいるよ」


彼の手が額に触れたかと思うと、ふわりと温かい何かが流れ込む。

それに包まれるようにして、僕は眠気に飲まれていく。


「主、眠らせたのですか?」


額にアメジストが埋め込まれた黒猫が、彼に問いかける。


「ああ、今は眠らせてやるべきだ。身体が衰弱しきっている。

ここまで弱っていると、魔法でもすぐには治せない」


聖明は、眠る少年をそっとベッドに寝かせた。

その頬には、赤黒い薔薇の茨のような模様が浮かび上がっている。


「……闇の刻印、か」


そっと少年の頬に触れると、赤黒い模様が彼の手に移る。

同時に、その顔が苦痛に少しだけ歪んだ。


「これで、しばらくは大丈夫だろう。

明日には少しは回復しているはずだ。

…今度は、良い夢を──おやすみ」



ーーー



──次の日。


自然と目が覚める。

すっと起き上がり周りを見る。


誰もいない。

側には少し耳が大きな黒い猫が一匹。

額に紫色の宝石が輝いている。


僕は、傍に置かれていた上着を羽織って部屋を出た。

階段を下りた先から生活音がするのに気付く。

恐る恐る部屋を覗くと、そこには昨晩の男性が食事の準備をしているようだった。

彼もまた少年が立っているのに気付き、にこりと笑みを浮かべる。


「おはよう、もう一人で起き上がれるぐらいになったんだね」


彼は静かに歩み寄り、そっと少年の額に手を当てた。


「熱も引いたね、とりあえずは大丈夫そうだ」

「あ、ありがとう」

「ほらおいで、朝食にしよう」


案内されるがまま席に着く。

目の前には暖かいスープが置いてある。


「まだ普通の食事は胃が受け付けないだろうからね。

消化に良い野菜スープから食べてみようか」


「ありがとう……いただきます」


彼は再びにこりと笑い、前の席に座って本を読みながらコーヒーを飲み始める。

僕もまたゆっくりとスープを口に含む。

じんわりと口に広がる優しい味が、僕の心をそっと和ませた。


「美味しい」

「良かった、口に合って」


そう言う彼をよく見ると長袖のハイネックの隙間から、手首や首に包帯が書かれていることに気付いた。

怪我をしているのだろうか?


「え、と……せいめい?」

「ん?どうしたのかな?」

「その包帯……怪我してるの? 大丈夫?」


「あ……ごめん、隠せきれてなかったね。

大したことはないんだ気にしないでくれ」


そう言うと着ているハイネックを更に上に上げる。

不自然な仕草に疑問を感じながらも、触れないほうがいいと思い、そのまま食事を続けた。


「あの、ありがとう、助けてくれて」


「医者として当然のことをしただけだ。

と言っても専門は闇魔法だから精神科医みたいなものなんだけどね」


「闇魔法……?」


聞いたことがない内容に首を傾げる。


「珍しい魔法でね、悪魔や魔人といった、人間にとっては害となる存在が操る属性を扱えるんだ。

闇魔法は普通の人々には猛毒だけど私には扱える。

この魔法を使えば、闇に侵された人を助けることができるんだ。」


──凄い!

素直にそう思った。


「凄い魔法なんだね!」

「……そんなこともないさ。さて、食べ終えたらしっかり診察するよ」


彼はどこか憂いを帯びた目をして、そっと視線を逸らした。

まるで自身のことが嫌いなように見えた。



ーーー



──先程のベッドの部屋にて。


「血液検査の結果は種族は天使だね。

体内のマナバランスも光と風属性が多いみたい。

水属性も適用しているみたいだね」


そう言いながらメモを取る彼。


「天使ってどんな種族なの?」


僕は記憶がないせいか、分からないことも多いようだ。

分からないなら一つでも多く知って、記憶の回復に努めるべきだろう。


「そうだね……天使は人間よりも寿命が5倍近くあるとされていて魔力が多く二十歳前後らへんで見た目の成長が緩やかになるのが特徴だね」


「魔力……僕でも魔法って使えるのかな?」


今の話を聞く限り魔力があるなら魔法が使えるかもしれない。


「君は風属性の適性が強いから、そこを伸ばすといい。元気になったら、一緒に練習してみようか」


彼の提案に僕は心が高鳴った。

何かを教えてもらえるというだけでこんなに嬉しく感じるものなんだ。


「うん、楽しみ!」


僕が喜んでいるのが嬉しいのか、優しく微笑んでくれる。

綺麗な瞳に見つめられ思わずドキリとする。

僕は話題を変えるように質問をすることにした。


「聖明は、どんな種族なの?同じ天使なの?」


僕の言葉を聞き、聖明は驚いたような表情で固まる。

悪いことを聞いてしまったのだろうか?


「私は……堕天使と呼ばれる種族だ」

「堕天使……?」

「先程、闇が扱えると言ったね」

「うん」

「闇を使える天使は畏怖を込めて堕天使と呼ばれているんだ」

「え、なんで畏怖なの?闇魔法で人を治療できるって凄いことなのに」


納得がいかなかった。

堕天使だけが使える闇魔法。

言い方を変えれば聖明のような堕天使だけが治療することができる凄い魔法だ。

人を救える力を持っているのに、なぜそれが“恐れ”として返ってくるんだろう。


僕にはどうしても納得がいかなかった。


「闇を扱う悪魔や魔人の糧は人の心の闇と魂だ。

そんな悪魔と同じものを操るんだ。

みんな怖がるのも無理はない」


困ったような笑顔を見せる彼に胸がキュッと痛くなった。


「君がそんな顔を見せなくてもいいんだ。

さぁもう休もう。熱が下がっただけで、まだ体力は回復していないんだ」


「え、でも!」

「見てごらん、君の手に闇の刻印が浮き出てる」

「何これ……」


両手に赤黒い薔薇の茨のような模様が浮き出ている。

これは見たことがある。

目が覚めた時に聖明の顔に浮き出ていた模様だ。


「不安な気持ちが身体に出てしまって、侵食しているんだ」


聖明が僕の刻印をなぞると移るように、彼に刻印が浮き出る。


「これでよし。眠れなかったら、横になるだけでもいいから安静に。

私は他にやることがあるから何かあったら呼んでくれ」


「わかった……」


見上げた彼の顔色が悪い。

しかし、何故かそれを問い質す事が出来なかった。


聖明は優しく微笑むとそっと扉を閉め、部屋を後にする。



ーーー



ドアを出て少し歩いたところで、ふと立ち止まる。


「……っ」


突然、闇の刻印が体を侵食するように浮かび上がり、黒髪の青年は壁に寄りかかる。

小さく唸ると、激痛に襲われたように胸を押さえ、壁に寄りかかったままズリズルとその場にしゃがみ込んだ。


「主!」


聖明の様子に慌てて黒猫が声を上げる。

そんな猫の頭をそっと撫で、苦しそうな声で言葉を掛ける。


「大丈夫だ……それにしてもあの子の闇はどうなっている……多過ぎる」


……あの子は、普通の人間なら決して足を踏み入れられない場所で倒れていた。


この家があるのは、精霊界の狭間──精霊王の庭と呼ばれる、神聖にして不可侵の領域。


私は精霊王との契約によって、特別にこの地に家を置かせてもらっている。

他者が出入りするには、最低でも私の許可が必要だ。

にも関わらず、あの少年はその場所に倒れていた。


……それに、あの顔は──妹と瓜二つだった。


「いったい何が起きてるんだ……」


ふと、背後から懐かしい誰かの温もりが、そっと肩に触れた。


──兄さん。


唐突に──愛しい声が聞こえた気がした。

驚き後ろを振り返るが、誰もいない。


「今のは……」

「主、いかがなさいましたか?」


どうやら傍にいた彼女の耳には聞こえていないようだった。

私は変な胸騒ぎを覚え、無理やり立ち上がる。


「……リリー。彼のことを頼む。私は妹の墓に行ってくる」

「承知しました」


ズルズルと重い体に鞭打つように動き、愛しい妹の墓に足を運ぶことにした。



ーーー



外は白い雪が降り続けている。

ひらひら、ふわふわ舞う白い雪。


私は上着も羽織らず、薄着のまま息を切らして、家から少し離れた場所まで来ていた。


精霊石が埋められた大きな木の下。

雪に埋もれた世界で、石碑で作られた二つの墓がある。


片方は幼い頃に亡くなった大好きな母の墓。

そして、もう一つは──


「兄さん、待ってたのよ?」


いるはずもない彼女の声に、私は底知れぬ恐怖を覚えながらも振り返る。

そこには綺麗な銀髪に、透き通るように綺麗な瑠璃色の瞳の少女が重力を無視するようにフワリと浮かび立っている。


あまりにも非現実的な光景に、私は凍り付いたように動けなくなった。


「瑠璃……」


──私の愛しい妹。


「ここにあったのね。私のお墓」


瑠璃はクスリと笑いながら自身の墓に触れる。

石碑の上は雪が積もっており、触れると雪がパラパラと落ちる。


私は妹がいる現状が飲み込めず、立ち尽くし、ただ彼女を見続けるしかなかった。


「ずっと探していたんだよ?

私が死んでから兄さん、すぐに姿消しちゃったもん。

こんな場所にいるなんて思いもしなかった」


「……何しに来たんだ」


やっと出た声は震えていた。

──ああ、これはきっと悪夢だ。


「もちろん、兄さんに会いに来るため。

三年前、私は兄さんと共に生きるために悪魔に転化したのよ?

それなのに兄さん、私の魂を割って逃げるなんて、酷い」


「君を、悪魔になんてしたくなかったんだ……!」


そう……三年前、妹は目の前で死んだ。

悪魔になる為に自殺した。

私のために命を絶った。


私は受け入れられなかった。

たったひとりの大切な妹。

私の生き甲斐だった、愛してやまない妹。


そんな彼女を闇に堕としたくなかった。


悪魔になれば永遠の時を生きる。

でも、それは地獄の始まりだ。


悪魔になれば徐々に闇に蝕まれ精神は壊れ、人としての記憶も崩れ、生きる者を悪戯に傷つけ喰らう者になる。


そんな存在に貶めたくなかった。

そんな永遠に縛り付けたくなかった。


だから──


「だから、私の魂に干渉するなんて無謀なことをしたのよね。

結果は酷いものよ?

私は中途半端な悪魔になってしまった。

……酷い兄さんね」


彼女の笑顔は私の知っている瑠璃じゃなかった。

不敵に、そして──妖艶でまさに悪魔の笑みだった。


ああ、本当に瑠璃は悪魔に堕ちてしまったんだ。

絶望と虚無の気持ちで一筋の涙が零れる。


「兄さん。今日はね、兄さんにお願いがあって来たの」

「お願い……?」


彼女はクスクスと笑む。


「私とそっくりな少年、拾ったでしょ?」


家に置いてきた少年の事を思い出す。

桃色の柔かい髪に、温かみを感じる緑色の瞳の少年。


「あれは人工天使。

悪魔が糧を得るために作った紛(まが)い物。

ふふ、わかりやすく言えば……培養された“非常食”よ。

本来であれば魂を抜き取って食べて終わり。

ねぇ、可哀想でしょ?」


耳を疑った。

人工天使?非常食?

悪魔は天使を培養した食らっているというのか……?


「今回は私が受肉して動くために準備してたんだけどね。

ほら、悪魔って闇の塊で天使や人間のように肉体がないじゃない。


そこで人工天使の出番!

魂は食べちゃって、肉体は再利用!

受肉して人に紛れて、人を唆して堕落させて──最後には食べるの。


例えば、肉体があれば兄さんを誘惑することもできる」


ゾクリと悪寒が走るのを感じた。

そんな私の感情にも気付く様子も無く、楽しそうに──世間話をするように彼女は話を続ける。


「分裂した魂を元に戻そうとして、魂が空になった人工天使に私の魂半分を内蔵して、私も入ろうとしたの。

肉体に魂が全部宿ればもとに戻るんじゃないかって思ったの。


だけど──片割れを入れた時点で動き出しちゃった。

しかも、私ではなく新たな自我を持って動き始めた。


折角、私に馴染みやすいように作っていたんだけど……失敗、失敗」


「何を言っているんだ……?」


受け入れられない言葉の数々に私は困惑し続ける。

そんな私の様子に瑠璃はクスクスと笑いながら、そっと近付き私の頬に手を添える。

ひんやりととても冷たい、雪のように温度がない手。


「それでね、兄さんにお願いしたいのは、そこ人形を壊してほしいの」


衝撃的な言葉に私は彼女の手を払い除け、後退る。


「な……殺せというのか……?」


優しく人を傷つけることを嫌う瑠璃の発言とは到底思えなかった。


「仕方ないじゃない。

私の魂の半分が入ってるのよ?

取り返さなきゃ。

幾ら悪魔になったと言っても魂半分ではいつか消える。

だから、兄さん──私を助けて」


助けて?瑠璃を?それとも──悪魔を……?


「兄さん。永遠に一緒に生きましょ。この地獄で」


ふわりと雪が舞う中、彼女は溶けるように姿を消した。

残された空気に、まだあの冷たい指の感触が残っている気がして……私は、何も言えず、その場に膝をついた。


……どうしたら、私は彼女を救えるんだ。

いっそ、私も雪のように消えてしまえればいいのに。



ーーー



──はっとして目が覚める。


少しだけ見慣れ始めた天井。

どうやら、僕はまた眠っていたらしい。


「やっぱり、聖明が言ってたみたいに、体力が回復してないのかな……」


視線を横に動かし外を見ると、日が沈みかけている。

夕焼けのせいか少し寂しい。


僕はベッドからそっと出ると、家の主を探そうと思い、部屋の扉を開ける。


ひんやりと冷たい廊下。

外は雪が降り続け、とても寒い。


窓から外を覗いていると、隣の部屋から物音が聞こえる。

視線を向けるとヒューッと風の音と共に扉が少し動く。

恐らく隙間風で音鳴りしているんだろう。


僕は少し動いた扉を開けて、彼の名を呼んだ。


「聖明?」


静かに部屋に入るが、人の気配はない。


周囲を見渡すと、本棚にはぎっしり詰まった本の数々。

天井からは花や草が許され、不思議な匂いが漂っている。

床にも本が積み重ねられ、棚や本の上には見たこともない形状の置物や宝石のような石、瓶に入った草花があちこちに並んでいる。


「うわあ、すごいな」


きっと聖明の部屋なんだろう。

その証拠にベッドも備わっているようだった。


そんな部屋の中央奥にある机の上に、開かれた本と一枚の写真が置かれているのに気付いた。

僕は歩み寄り、そっと写真を手に取る。


「え……僕?じゃない、女の子?」


写真には自分によく似た女の子が、聖明と一緒に写っていた。

幸せそうな笑顔で見つめ合っている。

そのまま、開いてある本に視線を落とす。




『◯月✕日

今日は心臓を貫いてみた。

出血で貧血になっただけで死ぬことはない。分かりきっていたことだろう』


『◯月✕日

瑠璃を失って何日が経った?

この地獄はいつまで続くのだろうか』


『◯月✕日

脳が壊れれば記憶も消えるのではないかと思い、破壊を試みる。

結果は失敗。一瞬意識を失ったが、すぐに再生。記憶の損傷はない』


『◯月✕日

致死量の毒を煽ってみた。

耐性のある身体だ……微動だにしない。昔はあんなに苦しんだのに』


『◯月✕日

堕天使の証とはよく言ったものだ。

赤い瞳は、何度抉り出しても再生する。

何度も自身に呪いをかけたが、視力が落ちた程度にとどまった。憎たらしい』


『◯月✕日

せめて、自分で記憶操作できればよかったのに。

この魔法は、自分にはかけられない。なぜ、心を壊すことができない!?

頼む、もう楽にさせてくれ』




そこに綴られていたのは、あらゆる死に方を模索し、藻掻(もが)き続ける悲痛な叫びだった。


「なに、これ……」


恐怖で後退(あとず)さろうとしたそのとき、背後からキィと小さく扉が動く音が聞こえる。

僕は恐る恐る振り返ると、そこに赤い瞳の彼が立っていた。


「ここで、何をしている?」


聖明の綺麗な瞳が、今はどこか暗く、恐ろしかった。


「あの、これ……何?死ねないって……」


見たことは、もうバレている。

なら、いっそ聞くしかない。


「……ああ、それか。そのままの意味だよ」


彼はそっと右手から闇で生成されたと思われる黒いナイフを出現させると、躊躇(ためら)いもなく自らの左手を切り落とした。

あまりに突然の行動に、僕は思わず叫ぶ。


「何やってるんだよ!!!」


次の瞬間、傷口から血と共に黒い何かが蠢き、一瞬にして手を形成した。

まるで最初から何もなかったかのように聖明の左手は存在している。


有り得ない光景に、切り落とした転がったはずの左手に視線を向けると、パラパラと塵に形崩れ、そして──消えた。


残っているのは、飛び散った血の跡だけ。


「ひっ!」


「こういうことだよ。私は死なないんだ。

堕天使は、闇を操る以外にも特徴があってね……不老不死なんだ」


彼の瞳が赤く光る。

──狂っている。


そう思った。

けれど、あの日記の内容が脳裏に蘇る。


『瑠璃を失って何日が経った?』


そして、自分によく似た少女と写る写真。

僕の予想が正しければ――


「聖明、もしかして、瑠璃...って子が亡くなったの?」


聖明の表情が固まり、ビクッと肩が揺れる。


……やっぱり。


「だから、死のうとしてたの?

その手首や首の包帯……自分で傷つけたの?」


今思えば、不自然な箇所に巻かれた包帯は、自殺の痕なんだ。

でなければ、あんなところだけ怪我するなんておかしい。


「不死だから、追いかけられないから、何度も自殺してたの!?」


どうしてだろう。

聖明が自殺を繰り返していたことが、すごく辛い。

出会ったばかりのはずなのに、すごく悲しい。


「……私には、瑠璃がすべてだった。

妹だけが、私の生きる理由だった」


聖明の声が震えているのがわかった。

辛そうな声で彼は続ける。


「その大切な彼女が……私が堕天使であるせいで、私がいるせいで、死んだんだ……!」


綺麗な瞳が潤むと同時に、ぽろぽろと涙が零れていく。

それは、心の底からの悲痛な叫びだった。


「それだけなら、まだよかった……。

死んだだけでは、許されなかった。

彼女は、永遠を生きる私と共に同じ地獄を歩むために、悪魔になってしまったんだ……っ」


「悪魔……?」


そういえば聖明は言っていた。

「悪魔や魔人の糧は、人の心の闇や魂」だと。


永遠を生きるためだけに、他者を喰らい続ける──。

聖明と同じ時を生きたって、それではただの地獄じゃないか。


「……私は、どうすればよかったんだ……っ!

堕天使なんて、嫌いだ!

この赤い瞳が、嫌いだ!」


彼はどれだけ自分を責めて、苦しんできたんだろう。


それでも。

それでも僕は──


「聖明、僕は……それでも、聖明に出会えてよかったって思ってる。

僕を助けてくれて、ありがとう」


僕が今、伝えられるのは──ありのままの気持ちを言葉にすることだけだ。


彼は涙を流しながらも、僕をしっかりと見てくれる。

僕には記憶は何もないけれど、確かに聖明は僕を救ってくれた。


──やっぱり、綺麗な目だな。


「僕はその目……すごく綺麗で、大好きだ!」


僕は、精一杯の笑顔で伝えた。

少しでも、この想いが届きますように──。


「あ……」


次の瞬間、聖明の全身に闇の刻印が浮かび上がる。

彼は苦しそうに胸を押さえ、その場に膝をついた。


「聖明!?」


「はっ…近寄るな……!

リリー……彼を、私から遠ざけてくれ……早く!!!」


僕の影から、リリーと呼ばれた黒猫が現れ、肩に飛び乗る。


「お願いです。聖明から離れてください……。

このままでは、あなたにまで闇が侵食してしまいます」


黒猫もどこか、苦しそうに息をしている。


「でも!!!」

「頼む……頼むから、これ以上、私の闇で誰も傷つけたくないんだ……」


聖明は、苦しそうに、それでも優しい笑顔で僕に言った。


──今の僕では、何もできない。


悔しい。

でも今は、彼の望む通りにするしかない。


僕は聖明を振り切って部屋を飛び出し、両開きの扉を開け、外へと飛び出す。

外は雪が振っていて、空気が冷たかった。

僕は裸足のまま、その場で膝をつき叫んだ。


「くそっ!!!」

「う……」


ちいさな呻き声にハッとし、肩に乗っていた猫の存在を思い出す。

僕はそっと抱き上げると苦しそうにぐったりとした様子だった。


やっぱり、苦しんでいる。


「君、大丈夫!?」


「……私は、主と感覚を共有しています。

今の主は、自身の闇が暴走している状態です。

不死ですので死ぬことはありません。

なので、どうか……落ち着くまでは近寄らないように……」


そう言い切ると更に脱力し、腕の中でぐったりとしている。

聖明も、きっと、同じように苦しんでいる。


僕は猫をそっと抱きしめながら、声を押し殺して泣いた。


──何て無力なんだろう。

命を救ってくれた恩人に、何もしてあげられない。

僕はただ、泣くことしかできなかった。



ーーー



気が付けば、外はすっかり真っ暗になっていた。

ああ、寒いな──。


すると、ふわりと背後から温かい何かが掛けられる。


振り返ると、そこには、苦しんでいたはずの聖明が立っていた。

苦しそうな笑顔のまま、そっと言う。


「ごめんね」


そのひと言だけなのに、僕は心底、安心した。

なぜだろう。気が抜けて、また涙が出てしまう。


腕の中にいた猫も目を覚ましたのか、顔を上げて、聖明の肩に飛び乗った。


「ここは寒い。中に入ろう」


温かな彼の手に引かれながら、僕は家の中へと戻っていった。


ーーー


僕は暖炉の前で毛布に包まって座っている。

そんな僕の横に、聖明は温かそうなカップを渡して座った。


「すまなかった、怖い目に合わせたね」


彼は申し訳なさそうに微笑む。


「ううん。僕も勝手に日記読んで、ごめんなさい」


「いや、無防備に置いていた私が悪いんだ。

……瑠璃にも、日記に何でも書くなって言われたことがあるのにね」


聖明は困ったような顔で言う。


「瑠璃の話、聞いてもいい?」


少しだけ沈黙したあとに、聖明は小さく頷いた。


「……ああ」


とても優しい顔で、懐かしむようにゆっくりと話し始めた。


「妹は……瑠璃は三歳年下の妹でね、とても純粋で優しい子だった。

彼女は変なところが父にそっくりで、すごく魔力が強かったんだ。

学校で魔法を使うと、大抵は天井か壁に穴が開くんだよ」


「え、こわっ!」


「はは、本当にビックリしちゃうよね。

手先も不器用で、料理を始め、何かを作るのが大の苦手。

しかも、何かを作ろうとすると、魔力が籠(こ)もっているのか……謎の生命体みたいなものが生まれるんだよ……」


聖明は少し遠い目をする。

余程すごいものが生成されていたんだろうな……。

でも、個人的にはちょっと気になった。


「ちょっと、その原理は気になるかも」


「そう?私は怖くて調べなかった。

でもすごいんだ。瑠璃は何事も諦めない子だった。

どれだけ失敗しても、何度でも挑戦する真っ直ぐな心を持っていた」


「……うん」


嬉しそうに語る彼の横顔は、本当に彼女を愛していたのだとわかるほど、優しくて、どこか寂しそうだった。


「一回だけ、瑠璃と一緒にぬいぐるみを作ったんだ」


聖明はどこからともなく、一体のテディベアを取り出す。

首に可愛らしいリボンをつけたクマのぬいぐるみ。


「名前はパニョくん。今となっては、私の宝物だ」

「そっか」


そのまま、他愛のない日常生活の話をしてくれた。

妹の謎の奇行や、父親と大暴れして大変だったこと。

親が多忙で、ほとんどは二人暮らしだったこと……彼が語るどの内容にも、愛情が滲(にじ)んでいた。


だから、余計に思ってしまう。

こんなにも愛されていた彼女が、どうして兄を裏切るような道を選んだのだろう、と。


「……真実の風」


唐突に、聖明が呟いた。


「え?」


「君は風のように自由で、表情もコロコロ変わる。

真っ直ぐで素直な子だ。

だから、『風真《ふうま》』なんてどう?

君の名前。

別読みで『かざま』というのもあるんだけど、なんか違う気がしてね。

因みに東洋の言葉で“真実の風”って書くんだ」


「ふう、ま……」


初めて聞く音なのに不思議と心の奥に、じんわりと響いた。


「ごめんね、あまりセンスがいい方じゃないんだ。

嫌なら、考え直すからさ」


風真(ふうま)──これが僕の名前。


「それがいい!僕、『風真』がいい!!」


すごく嬉しい!

何もない僕に、初めて刻まれる名前。


「ありがとう、聖明!僕、この名前、大事にするね!」


彼は優しく微笑み返してくれる。

僕は何もわからないし、何も覚えていない。

でも、確かに今ここにいて、聖明と話して、存在している。


もし記憶が戻ったとしても、僕はこの名前だけは忘れない。絶対に。


ーーー



暖炉の火が小さくなり、消えかかっている。

横で眠る風真は、どこか幸せそうな表情で静かな寝息を立てていた。


「まったく……私は何をしているんだか……」


影から使い魔であるリリーが現れ、私に擦り寄るように口を開いた。


「主。……発作を無理に抑えていますね?薬の力で」


「さすがにリリーは騙せないか……」


体中の闇を暴走させてしまった際、激しい発作に見舞われてしまった。


これは堕天使特有の症状だ。

いくら闇に耐性があるとはいえ、堕天使の本質は天使。


限界を超えれば、内に秘めた闇が暴走し、発作が起きる。

闇による崩壊と、不死による再生を繰り返すことになる。


そのたびに全身の血管が弾け、再生し、また弾ける。

耐え難い激痛が、何度も何度も襲ってくる。


今は光のマナを圧縮した抑制の注射と、大量の鎮痛剤を扇いで、どうにか押さえ込んでいるだけだった。


「ごめん、リリー…使い魔である君にも、こんな苦しみを与えてしまって」


「いえ。私はそれを望んで、主の傍にいるのです。

気にしないでください」


彼女をそっと抱き上げ、頭を撫でる。

可愛い、私の使い魔。


「リリー、頼みがある。

風真を影から守ってほしい。

……今の私では、何があるか不安でね。

いざという時のために」


「……わかりました」


リリーは床に降り、そっと風真の影に足を乗せる。


「主…お願いです。少しだけでも、眠ってください。

たとえ不死でも……身体は疲弊します」


それだけ告げると、リリーは風真の影へと潜っていった。

私はそっと風真を抱き上げ、寝室へ向かう。

今は主のいない部屋――瑠璃の部屋だった場所だ。


ベッドに風真を寝かせ、その髪をそっと撫でる。


「…もう、覚悟を決めないといけないね……」


風真の額に唇を落とし、私はそのまま外へ向かった。


玄関を開けると、そこには真っ暗な夜と、静寂だけが広がっている。

ザクザクと雪を踏みしめながら、私は墓場へと向かった。


……ああ、寒い。


降り積もる雪は、私の心に折り重なる想いのように、

静かで、冷たくて、重かった。


──三年。

三年も経っていたのか。


妹を失い、皆から逃げて、自分からも逃げて......逃げて、逃げて……。

辿り着いた先が、ここだった。


顔を上げると墓場に立つ長い髪の少女。

彼女は振り返ると私を見て、どこか嬉しそうに笑った。


「兄さん。決断はできた?」


「ああ、瑠璃──」

「君を殺すことにしたよ」


……せめて、私の手で終わらせよう。


悪魔は狂ったように笑いながら叫ぶ。


「いいわよ、兄さん!殺し合いましょう!!!」



ーーー



「っ!?……夢?」


僕は唐突に目を覚ました。

周囲を見渡すと、見慣れ始めた部屋。

恐らく聖明が運んでくれたのだろう。


少し呆けていると僕の影から黒猫が現れる。


「君は……」

「リリーとお呼びください、風真様」


「そういえば、お礼を言ってなかったね。

ありがとう、リリー」


僕は彼女を撫でようと手を伸ばした。

その瞬間、夢の中にいるような浮遊感と激しい動悸が走る。


「え…?」


両手に闇の刻印が急激に浮かび上がり、手がガタガタと震え始める。


何が起きているの?


「風真様!?」


次の瞬間、僕の意志に反して身体が動き、リリーを乱暴に掴む。


「リリー…!」


口は動くのに、僕の腕はそのまま勝手に動き続け、激しく彼女を床に叩きつけてしまった。


「きゃっ!!!」

「リリー!や、やだ!勝手に身体が──!!」


僕の身体なのに、言うことを聞かない。

リリーは打ち所が悪かったのか、痙攣しながら倒れたまま動かない。


「リリー!リリー!!」


彼女を抱き上げ介抱したいのに、僕の身体はそのまま外へ向かって動き始める。


──イヤだ!怖いっ!!


恐怖に怯えていると、頭の中に声が響いた。

とても優しい声だった。


『こっちに来て』

「だ……れ……?」

『私はあなた。あなたの半身。こっちに来て』


声が大きくなるにつれて、思考がぼやけていく。

フラフラと歩きながら、僕は外に出た。


『そう、こっちよ』


雪の上には足跡があった。

──聖明の足跡だ。


彼はこの先にいるんだろうか?


『あなたを待ってる』


進んでいくと、大きな石が埋まった木が見えてきた。

その前に、見慣れた姿があった。


「せ、いめ……」


僕は言葉を失った。

聖明は、血塗れの女の子の首を掴み静かに立っていた。

雪は血で赤く染まり、少女の手足が地面に散らばっている。


なに……これ、何が起きてるの……?


彼の顔を見る。

血が涙のように頬を伝っていた。


「聖明……なにして……」


そのとき、聖明に掴まれていた少女の目がギロリと動き、僕と目が合う。

そして──不敵に笑った。


『ようこそ、人形』


その声が頭に響いた瞬間、僕の手に剣が出現し、それを力強く握ると勝手に足が駆け出す。


そして──聖明の腹を貫いた。


「え?」

「風真……」


聖明は刺されながらも、僕を抱きしめ受け止め、そのまま地面に倒れる。


「せ、いめ……」

「大丈夫…私は、死なな、い……」


僕の身体は止まらず、何度も何度も彼の腹を裂く。

返り血が無情にも僕の体を染める。


その温もりが、酷く温かく──聖明の命そのもののようで、涙が溢れた。


「いやだあああああ!!!」


気付けば聖明は動かなくなり、僕の前に倒れ伏す。

生暖かい血が雪を染め上げ、僕の視界は白から赤へと転じる。


「あはははっはははは!!」


恐怖で手が震え、ズルリと手から剣が落ちた。

狂ったような笑い声が僕の思考さえも飲み込むようだった。


そして──そっと後ろから抱き締められる。


「よくやりました、私のお人形さん」

「え……?」


そこには、さっきまで四肢を千切られていたはずの少女――瑠璃が、傷一つなく立っていた。


「あはは、哀れなお人形さん!

あなたは、元々兄さんを苦しめるためだけに作った人工天使。悪魔の贄。

私の魂半分程度で、普通に動けると思ってた?」


何を言ってるのかわからない。

僕が聖明を苦しめるために作り出された人形?


「魂の半分がないから代わりに沢山の闇を詰めたの!

そうしたら動き出したの!魂と闇で動き出した!

案の定、兄さんが闇を飲み込んで、弱ってくれたわ!」


聖明が僕を治療したとき、あんなに苦しそうだったのは――僕の中に闇があったせい?


「情が移って守ってくれるって信じてたわ!

兄さんならこう思うはず!

『私のせいで辛い目に合わせた』って!」


僕は――聖明を傷つけるために存在してるの?


聖明が大好きで大切な女の子。

たったひとりの聖明の妹。

なのに…何で……。


「これで、今度は私が人形を壊したら、きっと恨んでくれる。

今以上の憎悪と悲しみで私を見てくれる。

永遠に兄さんの感情は私に注がれる」


──違う、これは正真正銘の悪魔だ。


でも、何故だろう。

こんなに狂っているのに、こんなに酷いことをしているのに──


「ねえ、君は何で泣いてるの?」

「えっ…?」


瑠璃の目からは一筋の涙が頬を伝っていた。

その表情は、到底嬉しそうには見えなかった。


「なんで涙なんか出るの?私、嬉しいのに……」


僕は不思議と彼女の中にあるもう一つの感情を感じた。

この感情は僕にもわかる。


「悲しいに決まってるだろ!

大好きな兄さんを傷つけて、嬉しいわけない!」


この感情は、僕だけのものじゃない。

聖明への想い、大切にしたい気持ち──これは瑠璃のものだ。


「もう、やめよう。僕は君だ。

だからだと思う。君の気持ちが分かるんだ。

君は兄さんを愛していたんだ……」


僕が彼女の感情を暴いた瞬間、ズキっと刺すような感情が胸に刺さる。


「うるさい!やめて!!」


瑠璃の影から闇の茨が伸び、凄まじい勢いで僕の顔を襲う。


──あ。


刹那、聖明が起き上がり、僕を抱きしめて茨から庇った。


「聖明!?」

「っ!」

「なんで!?動けるはずじゃ──!」


彼の背中に刺さった茨は、粒子になって消えていく。

瑠璃の動揺した姿を確認すると、聖明は苦しそうに一瞬笑った。


「そうか、君の中にはまだ瑠璃がいるんだね……」


涙を浮かべ、震えながら語る聖明。


「まだ間に合うなら、君を救いたい……」


この言葉は瑠璃へ向けたものだろうか、それとも僕──風真に?


震える手で彼の服を掴むと血でぬるっとするのがわかった。

きっと傷は再生しても血液は戻らないんだ。

きっと痛いし、辛いはずだ。


「ごめん、聖明。僕…酷いことを!」

「……大丈夫。風真のせいじゃない」


聖明越しに見える瑠璃は青褪め、自身の顔を覆うように両手で隠しす。


「なんで!?なんで!?なんで!?

私は兄さんと一緒にいたいだけなのに!

なんで邪魔するの!?」


彼女の叫びは、酷く、悲しい声だった。


「瑠璃……私は君と生きたかった。

ちゃんと、君と向き合いたかった。

君の気持ちを、ちゃんと知りたかった。

でも……君は悪魔になってしまった……」


聖明は僕から離れ立ち上がると、彼女に向き直る。


「瑠璃、せめて君を悪魔じゃなく“人”として送りたい。

頼む、帰ってきてくれ……」


彼は瑠璃に懇願するように手を差し伸べる。


「そんなの…許さない……!」


彼女は涙を流しながらも笑い、天を仰ぐ。


「ねえ、兄さん。どちらも救えないよ。

だから、ずっと苦しんで。私のために──!」


「瑠璃……」


彼女はふわっと聖明から離れる。


「バイバイ、兄さん。

次に会う時は、私か人形が壊れる時。

もしくは私が兄さんを手に入れる時よ」


彼女は霧のように姿を消した。

最初から何も無かったかのように静寂が訪れた。


聖明は背中を向けたまま、突然崩れ落ちる。


「聖明!?」


僕は慌てて駆け寄った。

すると彼は小さく笑い声を上げた。


「……本当に、何やってるんだか」


彼は仰向けになり、顔を腕で隠したまま呟く。


「ごめん、風真……君を巻き込んでしまった」


その言葉に僕は少しムッとした。


「違う!巻き込まれたわけじゃない!

これは僕自身の問題でもあるんだ!」


そうだ。

僕が瑠璃の半身なら、僕にも責任がある。

きっとこの先も、僕が瑠璃の半身である限り関係ないことはない。


「正直、何があったのか知らない!

でも、確かに感じたんだ!

……瑠璃は悲しんでいた。

聖明と幸せになりたかったんだ!」


この想いは、きっと僕だけのものじゃない。

この感情は確かに存在している。

瑠璃の心も、確かにここにある。


僕は彼に手を差し伸べる。


「だから僕は、決めたんだ!」


僕を救ってくれたように、僕も聖明を救ってみせる。


「最後まで付き合わせて!」


聖明は綺麗な瞳で僕を見つめる。

驚いた表情の後、少し呆れたような顔でクスッと笑った。


「後悔しても、知らないからな」


彼は僕の手を握り、立ち上がる。

そのとき──


「主!風真様!」


リリーの声にハッとして振り向く。


「リリー!」


僕は駆け寄って、彼女を抱きしめた。

良かった!生きててくれた!


「リリー、ごめんね!」

「大丈夫ですよ」


そんな僕たちを聖明がそっと抱きしめながら微笑んだ。


「帰ろう、私たちの家に」


夜が明け、徐々に太陽が昇る。

僕たちは、雪の止んだ空の下を歩いていく。


未来は、まだわからない。

けれど、僕たちは確かにここにいて、積もった雪に足跡を残して進んでいく。


いつかはその足跡も消えてしまうかもしれない。

それでも、生きている限りは歩き続ける。


これは──僕と彼の、生き様の物語だ。

カゴノトリの序章にあたる物語です。

人の心を抉る物語を綴っていきたいと思います。

聖明の家はプロヴァンスっぽいイメージ。

ーーー

2026.6.6 誤字脱字修正及びに文面を追加いたしました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。