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古い問答(犬)

夜が明ける。冷たい朝の光が、血に塗れた私の身体を容赦なく照らした。猿の亡骸に、私は薄く土をかけた。それは、彼が命を賭して守り抜いた秘密の上に、まるで無慈悲な帳を下ろすようだった。私は、もはや、そこに友の面影を見出すことはできなかった。ただ、桃太郎の命令に従い、汚れた手で終わらせた、一つの「障害物」が横たわっているだけだ。私の魂は、絶望の淵に沈み、そこから這い上がる術を、もはや知らなかった。

重い足取りで、私は桃太郎の元へと戻った。心臓は、鉛のように重く、全身を支配する疲労と、この上なく深い虚無感が、私の存在を蝕んでいた。足元がおぼつかず、何度か倒れそうになりながらも、私は彼のいる場所へと向かった。

桃太郎は、夜明けの光の中で、すでに身支度を整えていた。彼の横には、雉が、いつものように虚ろな瞳で寄り添っている。そして、その隣に、私の目は信じられないものを見た。

そこにいたのは、新たな猿だった。

まだ若く、警戒心に満ちた、しかしどこか愚直そうな目をした、一匹の猿が、桃太郎の隣に座っている。その猿は、すでに桃太郎からきび団子を与えられたのだろう。その手には、真新しいきび団子が握られ、彼は、それを信じられないものを見るかのように、じっと見つめていた。

私の内側で、何かが、音を立てて崩れ落ちた。私は、絶句した。友を殺めたばかりだというのに。その血が、まだ私の爪の隙間にこびりついているというのに。桃太郎は、何の感慨もなく、別の猿を、まるで壊れた道具の代わりとでも言うように、手に入れている。彼の顔には、微かな表情の変化もない。ただ、穏やかに、そして冷徹に、新しい従者を見つめている。

怒りが、私を突き動かした。それは、恐怖を凌駕するほどの、純粋な、そしてどうしようもない怒りだった。私の身体は、怒りのあまり震え出し、喉の奥から、低く、しかし確かな唸り声が漏れた。私は、桃太郎の目の前まで歩み寄り、その澄んだ瞳を睨みつけた。

「貴様は…!」

私の声は、ひどく掠れていた。それでも、私は問わずにはいられなかった。この旅の、この狂気の、この業の、全てを。

「貴様は…一体、何なのだ!」

桃太郎は、私の言葉に、微かに首を傾げた。その仕草は、まるで、子供が無邪気に問いかけるような、何の悪意もないものに見えた。しかし、私には、それが、私という存在に対する、究極の嘲りのように思えた。

「なぜだ!なぜ、あのようなことをさせる!」私の声は、もはや怒りというよりも、絶望に満ちた叫びだった。「猿は…!猿は、貴様を信じていた!最期まで…貴様の秘密を守り抜いたのだぞ!その報いが、これか!新しい猿を、まるで代用品のように…!」

桃太郎は、私の激しい問いかけに、じっと耳を傾けていた。その瞳は、深淵の底のように、私を吸い込みそうだった。やがて、彼は、ゆっくりと、しかし確実に、口を開いた。彼の言葉は、朝の冷たい空気に溶け込み、私の耳に、容赦なく響き渡った。

「彼もまた、私を助けたのだ。彼の生は、私のためにあった。彼自身が、そう望んだのだ。」

その言葉は、あまりにも無慈悲で、あまりにも冷静だった。猿の苦痛も、信仰も、裏切りも、彼にとっては、全てが彼の目的のための「道具」に過ぎないのだ。

私は、震える声で、続けた。私の残された最後の理性で、この旅の真実を問う。

「ならば…ならば、鬼ヶ島とは何だ!貴様が、私たちを連れて行こうとしているその場所は、一体何なのだ!これ以上の地獄が…!これ以上の業が…!あの島に存在するのか!?」

桃太郎の瞳が、僅かに、しかし確かに揺らいだように見えた。彼は、水平線の彼方、まだ遠く霞んで見える鬼ヶ島の方角を、静かに見つめた。その顔には、相変わらず感情の読み取れない平静さが宿っていたが、その視線の先に、私の知る世界とは異なる、別の何かがあるように思えた。

そして、彼は、再び私に視線を戻した。その瞳は、宇宙の広がりを思わせるほどに深く、そこに宿る光は、私には、まるで凍てついた星の光のように見えた。

「…私にも、分からない。」

桃太郎の声は、微かに、しかし確かな響きを伴っていた。

「そこに、これ以上の地獄があるのか。あるいは、これまでの地獄を終わらせるものがあるのか。それは、まだ、誰も知らない。」

彼の言葉は、私にとって、最大の絶望だった。私たちは、何の希望もないまま、ただ、彼の目的のために、未知の地獄へと突き進んでいるのだ。彼の「分からない」という言葉は、私に、この旅の、そして私自身の存在の、途方もない無意味さを突きつけた。

私の魂は、完全に、音を立てて崩れ落ちた。私は、もはや怒りも、悲しみも、感じることはできなかった。ただ、虚無だけが、私の心を支配していた。

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