夜の密会(犬)
夜半過ぎ、人里近くの森の奥深く、私は慎重に身を隠しながら進んだ。猿の呻き声が聞こえた方角だ。微かな月明かりが、樹木の合間から地面にまだらに落ち、その光の下、私が見たものは、まるで地獄の絵図だった。
猿は、大きな木の根元に、縄で磔にされていた。その身体は、見るも無惨な有様で、毛並みは所々焼け焦げ、皮膚は切り裂かれ、深い紫色の痣が浮き上がっている。口からは、泡を吹き、苦痛に歪んだ顔は、もはや原型を留めていない。しかし、その瞳だけは、かろうじて、微かな意識の光を宿していた。周囲には、焚き火が燃え盛るが、その炎が照らすのは、猿の周囲で眠りこける数人の男たちの、疲れ果てた顔だけだった。拷問は、一晩中続き、彼らもまた、その疲れで深い眠りに落ちているようだった。
私は、息を潜めて、ゆっくりと猿に近づいた。縄が擦れる微かな音さえも、この静寂の中では、耳障りなほどに大きく響いた。猿の目の前まで辿り着き、私は、その苦痛に満ちた顔を直視した。その瞳は、私を捉え、かすかに、しかし確かに、安堵の色を浮かべた。
「…犬…か…」
猿の声は、掠れ、ほとんど聞き取れない。しかし、私はその言葉を理解した。そして、その瞳の奥に、微かな希望の光が宿っているのを見て、私の胸は締め付けられた。彼は、桃太郎が助けに来てくれたのだと、そう信じているのだ。
私は、口を開いた。何を言えばいいのか分からなかった。その場で桃太郎の命令を伝えれば、猿は絶望の淵に突き落とされるだろう。しかし、私は、その命令に逆らうことができない。私の喉は、鉛のように重く、言葉が詰まる。人間に殺されるか、自身の手によって殺されるか。猿には、もはや二つの選択肢しかない。そして、私は、そのどちらの選択肢も、猿にとっては地獄であると知っていた。このどうしようもない状況に、私の心は、途方もない倦怠感と、深い悲哀に打ちひしがれた。
「…桃太郎様は…」
私の声は、私自身の耳にも、裏切り者の声のように響いた。猿の瞳が、僅かに輝きを増した。彼は、きっと、桃太郎が自分を救い出すのだと、その言葉の続きを待っていたのだろう。愚かな猿よ。お前は、まだあの男の真実を知らないのか。あるいは、知ろうとしないのか。
私は、喉の奥から、乾いた言葉を絞り出した。それは、私自身の意思とは、まるで関係のない、ただの音の羅列だった。
「…お前を…安らかに…解放せよ、と…」
猿の瞳から、その微かな希望の光が、急速に失われていくのが見えた。その光が、絶望の淵に沈む様子を、私は、ただ見つめることしかできなかった。彼の口元が、かすかに動く。
「…解放…?」
猿の言葉は、信じられない、とでも言いたげな、疑問と、そして途方もない裏切りの痛みに満ちていた。彼は、桃太郎を、狂信的に信じていたのだ。その信仰が、今、音を立てて崩れ去ったのだ。私は、その崩壊の音を、私の魂の奥底で、はっきりと聞いた。
「…助け…に…来る…と…」
猿の瞳は、絶望と、そして私への、そして桃太郎への、深い不信に満ちていた。彼の身体から、最後の抵抗の力が抜けていくのが分かった。彼は、最期まで桃太郎の秘密を守り抜いた。その報いが、これなのか。




