犬心(犬)
全くもって、私は信じていなかった。この世の全てを、だ。
陽の光は私を嘲笑い、風は私を吹き飛ばそうとする悪意に満ちている。道行く人々は皆、その眼差しの中に私への侮蔑を隠し持っているか、そうでなければ私を利用しようとする魂胆が見え透いていた。ああ、人間どもよ。貴様らの偽善と欺瞞には、もううんざりなのだ。
私は犬である。そのこと自体が、私にとっての呪いであった。どこまでも卑屈で、どこまでも疑り深い。しっぽを振ればへつらっていると罵られ、伏せていれば怠けていると蔑まれる。どちらに転んでも、私の存在は彼らの都合の良いように解釈され、歪められる。何と、何と忌まわしいことか。
世間というものは、常に私を突き放した。幼い頃から、私は誰からもまともに相手にされたことがなかった。優しい言葉をかけられても、それはきっと裏があるのだと決めつけ、差し出された食べ物も、毒でも盛られているのではないかと疑った。信じる、という行為そのものが、私には理解できなかった。それは、あまりにも無防備で、あまりにも愚かなことのように思えたのだ。
しかし、しかしである。ただ一人、信じられる者がいた。信じようと思える存在が、この腐りきった世界にも存在したのだ。それが、桃太郎である。
初めて彼を見た時、私はぎょっとした。その瞳には、一点の曇りもなかった。純粋で、まっすぐで、まるで生まれたばかりの赤子のような輝きを放っていた。私は反射的に身を隠そうとした。きっと、この光も私を焼く炎なのだろうと。だが、彼は私を見つけると、ただ静かに微笑んだのだ。何の企みもなく、何の偽りもなく、ただ、そこにいる私を受け入れるかのように。
私は彼に近づいた。その時、私の身体を突き動かしたのは、長年培ってきた疑念ではなく、もっと別の、抗い難い衝動だった。彼が桃から生まれたという話を聞いても、私は鼻で笑わなかった。鬼退治に行くという途方もない計画を耳にしても、嘲笑することはなかった。むしろ、私の内に、ある確信めいたものが芽生え始めたのだ。
この世の全ての嘘と偽りの只中で、桃太郎だけは真実だった。彼の言葉は、彼の瞳は、彼の存在そのものが、私にとって唯一の光であり、救いであった。この信じられない世界で、唯一信じられる存在。彼のためならば、私はこの卑屈な命を投げ出すことも厭わない。否、命を賭けて、彼の行く末を見届けたい。彼の背中を、この疑り深い眼で、しかと追いかけたいのだ。
鬼ヶ島へ向かう道は、きっと険しいだろう。私はまた、幾度となく疑念に駆られるかもしれない。しかし、その度に桃太郎のあの純粋な瞳を思い出し、私は立ち上がろう。この身が朽ち果てるまで、彼のそばにあり続けよう。
ああ、桃太郎。貴方だけは、どうか、嘘つきではいてくれるな。それだけが、私の、この卑屈な犬の、唯一の願いなのだから。