金箔入り特級酒
かつて日本酒には等級と言うのがありました
何でも1940年から国が規定して始まり、アルコール度数と酒質によって、特級、一級、二級、三級、四級、五級まであったらしい・・・
太平洋戦争で米不足が起こり酒は配給制になったが、敗戦後1949年に配給制が解かれて自由化されたあとは実質、特級、一級、二級で落ち着いたらしい・・・
そして、国と日本消費者連盟とのひと悶着があり1992年に廃止されたらしい・・・
さすがにアルコールと名が付くものは、飲用可能なアルコールならば何でも呑む気がある?(笑)という私でさえも、特級、一級、二級しか知りませんねぇ
その後、特撰、上撰、佳撰となったのは記憶にありますが、これは業界独自で決めたらしい・・・超特撰というのもあったような・・・
それこそ特級酒、一級酒、二級酒の時代は、普段呑みは二級酒!
正月や人への贈答には特級酒だった記憶があります
そして特級酒だけ中身が見えない茶色、一級酒と二級酒は薄い水色の一升瓶だったと記憶しています
特に正月には金箔入りの特級酒を吞んでいたような・・・
この金箔入りの時だけ特級酒でも中身が見える瓶でしたね
そりゃ、中身が見えなかったら買う時に金箔も見えませんしねぇ(笑)
当時の日本酒の呑み方は燗酒が多かったですね
冷酒は何やら言葉は悪いですが貧乏くさいと言いますか、品がない感じがしました
燗酒にして味と香りを楽しむのです
こう考えて見ると・・・
定食の松竹梅じゃないけれど・・・松と梅・・・つまり特級酒をまれに呑み、二級酒を普段呑んでいたのですから、竹である一級酒というのをほぼ吞まなかった気がします
やはり中途半端だったのか?
その後・・・二級酒とは無審査の酒であるだけで、美味しい酒はいくらでもある!
と言うのが広まり・・・つまりここで国と消費者団体の間で裁判沙汰のひと悶着があったらしい・・・二級酒をそれも常温や冷酒として呑むのが流行りだしたのです
そこから地酒ブームが沸き上がり、私も全国の地酒を呑みあさりました
この辺りから日本酒はお洒落な飲み物へとなっていったのです
刺身を食べながら地酒を呑む
おでんをつつきながら地酒を呑む
焼き鳥にも地酒、漬物盛り合わせにも地酒・・・
美味いですよねぇ!
この頃はまだ鶏の唐揚げと言う料理は今ほど人気爆発でも無かった気がします
鶏の唐揚げなら・・・ビールですわね(笑)
酒を呑み始めた頃は、この二級酒というのに妙に愛着を持っていました
このアルコールの香りがツンときて、添加された糖類の甘味がねぇ
贅沢はできないぞ!としみじみ感じさせてくれるのです
流行歌にあった歌詞「三畳一間の小さな下宿」感覚と「狭い下宿屋に幾人も押しかけ朝まで呑めや歌えや」感覚を独りで感じながら吞んでいました
燗酒は邪魔くさくて冷酒でしたけどね(笑)
そう言えばそのうち電子レンジが登場して、レンチン燗酒と言うのが流行りだしましたが、このレンチン燗酒は混ぜないと上だけ熱いのです
それでこれを箸で混ぜることは風情がないとかね・・・
そうしたら杉の箸を使って混ぜれば樽酒みたいに香りがつくからええよ!とかね・・・
庶民はいろいろ考えるのです
今でも二級酒にわび・さびを感じていたなぁと思います
そして黄金の茶室を想像してしまう金箔入り特級酒はそれほど興味もなかったですね
「秀吉の心より利休の心を味わいたい」(一般庶民)