婚約者との対面②
「それで、殿下は私を執務室に連れて来て何かお話があるんでしょう?」
顔を合わせるだけであるなら、あのまま謁見室でも良かったはずだ。それをわざわざ、私を連れてまで場所を変えたという事は何か聞かれたくないような話があるのだと思っていた。
「やはり気付いていたようだな。」
感心したようにリシャールが言えば、リディアナはそれに「当たり前です。」と自信ありげに答えた。それにまたリシャールは口元を緩めて笑っていたのを、エリックとウィルバートは珍しい物を見るような目で見ていた。
「実は、今回の婚約の件だが、婚約を取り消したいと思っている。」
リシャールの声に驚いたのは、リディアナだけで、ウィルバートとエリックはその件について知っていた事が窺える。
「婚約を取り消したい?という事は、私には国に帰って欲しいということですよね?ですが、私は謂わばアイルバーン王国が戦争の報復をしない為の人質のような物ではないのですか?」
(私自身がそう思っているし昨日、王宮にいた侍女達もそう言っていたわ。きっと、そう認識している人が多いでしょう。)
「確かに、人質と言われているのは知っている。皇帝陛下の事があるから皆がそういうのだろう。だが、もしアイルバーン王国が攻めて来ても私はそれを迎え撃つ自信がある。それに、まず私はリディアナ嬢を人質だなんて、そんな風には思っていない。だから、できれば取り消したいんだ。」
「自信があるですか……言ってくれますね。ですが、この婚約自体が皇帝陛下からの申し込みです。それを取り消したりできるのですか?」
リディアナの言葉は尤もな言葉だった。それはリシャールにも分かっている。リシャールは、深い溜め息を吐き、自分が憂鬱な気分になるのが分かった。
「皇帝陛下には皇妃の他に数人の側室がいる事は知っているな?」
「はい。何でも他国の姫を娶っているとか。」
「あぁ、それは本当だ。皇帝陛下は敗戦国や小国の姫を人質として娶っている。だから今回、敗戦国であるアイルバーン王国の姫を娶るという自分と同じ方法を用いて勝手に婚約を決められた。」
リシャールは、自然と自分が拳を強く握り締めているのに気付いた。こんな方法の婚約など認めたくない。
「私はそれが気に入らない。それに私は全く結婚に興味がないし、女性自体が嫌いなのだ。皇帝陛下の件なら私が何とかしよう。だから、婚約を無かったことにしてほしい。」
(なるほど。殿下が女性嫌いだという噂は当たっていたのね。)
リシャールは、そのまま憂鬱そうに自身の組んだ手の甲を眺めていた。
「もしかして、他に愛する人がいるけれど、結婚が許されないお相手だったりするのですか?」
リディアナは、目の前に座っているエリックとウィルバートを眺めた。
(殿下の愛する対象は男性という事もありえるわね。確かに殿下との恋仲がこの二人のどちらかであるなら、この国も皇帝陛下も決して許さないわよね。)
「……ねぇ、リディアナ様?もしかして、変な想像をしてないですよね?」
「うん?大丈夫よ。秘密はお守りしますから。」
ウィルバートが口元を引き攣らせながら問いたが、満面の笑みのリディアナを見て顔を青褪めた。
「違います!私は殿下と恋仲ではありませんから!どうしてそのような発想になるのですか!?」
「あら、そうなの?じゃあ………」
必然的に残りの一人に目が行ってしまう。エリックは先程、リディアナから殺気を当てられてから静かに事の成り行きを見守っていた。
「エリック、大丈夫よ。私、偏見はないわ。」
「ち、ちちち違います!私の対象は女性です!」
急に自分に視線を向けられた事で驚き、思わず大きな声が出てしまった。リディアナの言葉を完全否定するエリック。
「と、なると…………」
リディアナは隣りに座るリシャールに目線を移した。リシャールは話の流れが分かったのか、険しい表情でエリックとウィルバートを見ている。
「リディアナ嬢、私は男性が好きな訳ではない。確かに女性は嫌いだが、男性が対象と言う訳でも無い。」
「そうですの?私はてっきり…………」
また、エリックとウィルバートを交互に見るリディアナに二人は否定する言葉をまた告げたのであった。
「ですが、私との婚約を無しに出来たとしても、また他国の姫がやって来るのでは無いですか?」
それは、殿下から婚約破棄の提案をされた時から思っていた事だ。私との婚約が無くなっても、グランバルト皇国の皇太子であれば、すぐにでも次の婚約が決まるだろう。
「あぁ、それはあり得るだろう。なんせ、以前の姫がグランバルトに来てから数ヶ月でリディアナ嬢が来たんだ。」
「以前の姫というのは?」
「他国の姫だ。リディアナ嬢の前に一人、婚約していたんだが彼女の不当な行いで、皇帝陛下に婚約を取り消されたんだ。」
「そうなのですか。私の前に他国の姫が…………」
(それは、知らなかったわ。まさか私の前に嫁いできた女性が居ただなんて……それに、婚約を取り消されたなんて、余程な事をしたのでしょうね。)
「もし、リディアナ嬢との婚約を取り消せたとして、その後の婚約の事は自分で考えるから気にしなくても大丈夫だ。」
「分かりましたわ。私も人質として扱われる覚悟で嫁いで参りました。それが、婚約を破棄できるのなら私も有り難いです。私に出来る事があれば仰って下さい。」
リディアナにとってリシャールからの婚約破棄の提案は好都合であった。だが、婚約を破棄されたとなると、社交界では色々な憶測が飛び回り、きっと良い笑い者になるだろう。
だが、それでも自分の国に帰れるのであれば容易いものである。
(でも、きっとお父様やお兄様には叱られてしまうかもしれないわね。)
「それは助かる。私達は、婚約を破棄できるよう密かに動くので、リディアナ嬢もそのつもりでいてほしい。」
リディアナは、分かりましたと答えると、リシャールはその後にそれと、と続けた。
「貴女とは極力関わらないつもりだから、貴女にもそう思っていてほしい。」
「そうですね。リシャール殿下と仲が良いと思われては、婚約を破棄する時に支障が出るでしょう。」
だが、その言葉にリシャールは眉を顰めた。
「誤解をされては困る。それも確かに理由だが、女性は優しくすると、すぐに調子に乗る。婚約破棄したくないと私に好意を持たれて、気が変わられても困るし、貴女とは必要以上に関わりを持たない。」
リシャールの言葉に女性、と一括りにされ、腹が立った。今度はリディアナが眉を顰める番であった。
「その言葉、そっくりそのまま殿下にお返ししますわ。私こそ、殿下の気が変わられて好きになられても困りますので、関わっていただかなくて結構ですわ。」
ふんっ、と効果音が出そうな程、リディアナはそっぽを向いた。心無しか、頬までぷくっと膨れていて側から見たら可愛らしく見えるのだが、あきらかに不機嫌そうなオーラが出ている。
リシャールはリディアナの言葉に眉間に皺を寄せると共に少し驚いていた。
(私に言い返してきた)
リシャールは幼い頃から皇太子殿下になるべくして育てられて来た為、何かを言い返して来たり、意見してくる者など居なかった。
だから、リディアナが言い返して来た事が、リシャールにとっては驚く事であり新鮮であった。
「リディアナ様、さすがに皇太子殿下に向かって言い過ぎです。」
「そうですよ。リシャール様になんて事を言うんですか。」
ウィルバートとエリックが焦ったようにリディアナを咎める。
「いや、構わない。リディアナ嬢も私とは接してもらわなくて大丈夫だ。王宮ではのんびりと何も気にせずに過ごして貰っていて構わない。」
「分かりました。」
リディアナは、まるで淑女のお手本のような綺麗な笑みを浮かべた。だが、その笑みとは対照的にリディアナからは隠そうともしない殺気が漏れており、エリックとウィルバートは背中に冷や汗を掻いた。
そして、リディアナは一礼すると、そのまま不機嫌な様子で部屋を出て行った。