ウィルバートと宿
「私がアイルバーン王国の王女であるリディアナ様の護衛騎士兼、近衛騎士団の団長である『ルーカス・ファ・ジョグジュール』だ。この度は、姫様の為のお迎え非常に感謝する。」
私の目の前で喋るこの男は、アイルバーン王国の騎士団長だ。昨年の戦争で私が対峙して苦戦した男であった。男らしく屈強な体付きに、焦げ茶色の髪は短くて男らしく、それでいて薄い茶色の瞳は鋭く殺気が篭った瞳で私を見ていた。
この男はそれなりに強かったな。グランバルト皇国では殿下の次に強い私でも少し苦戦をした。致命傷となる傷は与える事が出来なかったが、もう傷は癒えたのだろうな。剣で傷を負わせたであろう脇腹を見ると、傷を庇う仕草もなかった。
その視線に気付いたのであろう、あからさまに嫌そうな顔をし顔を歪めると、先程よりも殺気が増したのを感じた。
(殺気で人を殺せそうな程、凄まじい殺気だ。そりゃ、殺されかけた相手を前にしているんだ。そうなるよな。)
「お陰様で、もう傷は癒えました。あの時はどうも。」
嫌みったらしく不快そうな顔でそう言う相手に思わず口元が緩んでしまう。傷を負わされた事が余程、悔しかったのであろう。そんな悔しそうな表情を見て、同国であるなら良い仲間になれたかもしれないな、とそんな事を思った。
それから、軽く引き継ぎを終えると「では、リディアナ様の元へ案内致します」という男の言葉に従って歩を進めた。
今でこそ、戦争が終わり、アイルバーン王国の姫を妃に貰う事で和平条約が締結されようとしているが、本来であれば敵同士だ。剣を交えて、戦いどちらかを殺し、殺されていた立場だ。そんな事を考えながら、相手の男の後ろを歩いた。
確かに、騎士団長というだけあって、私の行動にいち早く動けるよう気を張っているようだった。それはこの男に限らず、アイルバーン王国の騎士全員が神経を研ぎ澄ませ、私達グランバルト皇国の動きを見ていた。
(そりゃぁ、戦争で敗北した上にその代償として姫様を奪われるんだ。こうなるのも分かるよな。アイルバーン王国の奴等、全員ピリピリしてる)
そんなアイルバーン王国の騎士達を前にし、私の部下も殺気をバンバンに放っている。グランバルトだって、勝ったからといって全くの無傷では無い。それなりに重傷を負った者もいれば、仲間を殺された奴だっている。
周りの部下達の様子を見ながら歩いて行けば、一際豪華な三台の馬車が見えてきた。姫様が乗っているのは、三台あるうちの真ん中にある馬車なようで、まあ真ん中の馬車に乗っているんだろうな。とは想像していたが、やはりそうだった。他の馬車には荷物やら食物やらが色々乗っているのだろう。俺の部下達がせっせと荷物を我が国の馬車へ運んでいるのが見えた。
(そんな荷物運んでも無駄なのに。きっと、アイルバーンの姫さんもすぐに国へ帰る事になるだろうし。むしろ、グランバルトが嫌になって自分から帰りたいと言い始めるだろう。)
そして、相手の団長は、私に一言告げると馬車の中へ入って行った。
馬車の中では、姫様と親しい間柄なのか時折、笑い声が聞こえるのを聞きながら、二人の最後のやりとりを聞いていた。「ありがとう」と感謝を言葉にしている二人の会話もなんだか馬鹿らしく聞こえてしまい、ふと、この姫さん綺麗な声だな、と感じてしまった。
一体、どんな女性なのだろうか。『リディアナ・フォ・アイルバーン』と言えば、アイルバーン王国の王女ながら、あまり社交界に出る事は少なく、グランバルト皇国で顔を知る者は居なかったのだ。
それは、意図して知られずに居たのか分からなかったが、噂によると女神の様な容姿で、誰もが羨む美姫だそうだ。だが、そんな容姿は俺にとってはどうでもよかった事だし、騎士団長として俺はもう一つの別名にこそとても興味があった。
暫くして向こうの騎士団長から手を取られ、馬車から出てきた彼女には思わず目を奪われてしまった。太陽の光に照らされた髪は、まるで透き通るような綺麗な銀髪で、私を見る瞳は濃いピンクと薄い紫が混じった様な綺麗な紫色をしていた。肌は真っ白なのだが、少しだけ色づいた頬がピンク色でそれが彼女の可愛らしさを引き出していたし、小さい鼻は形も良く、その下にある唇はイチゴのように赤くみずみずしく輝いて見えた。
色んな女性を見てきた俺だが、ここまで綺麗で可愛らしい女性は初めてだった。
それからすぐにアイルバーン王国の騎士と別れ、一緒に馬車に乗った。普段なら女性と乗る馬車なんて嫌々乗るのだが、何故かリディアナ様には嫌な気持ちになどならなかったし、寧ろ彼女が俺とに乗っていて快適に過ごせているだろうか。退屈していないかが気になってみっともなく少し緊張してしまった。
実はリディアナ様のお迎えに向かう前に我が主、リシャール様より任務を下されていた。
主からの任務には決して逆らえないので、これから自分がリディアナ様にしようとしている事を考え、少し憂鬱になった。きっと、怖くて辛い思いをさせてしまうだろう。
どんなに性格の悪い悪女であろうともこんな美姫であれば許せる気もする。リディアナ様は、一体どんな反応をしてくれるのだろう。
もう二度目になる任務だが、この姫様がどんな反応をするのか少し楽しみにもなった。
そんな彼女は目を輝かしながら、馬車の外を見ては、少しはしゃいでいた。そんな彼女の様子は可愛らしくて好感が持てたのだが、ふとした瞬間に見せる、俺の心を見透かそうとする視線や観察するような眼差しには違和感を覚えた。
その表情は、外を眺めて目を輝かしている彼女の表情とは別人に思えてしまったからーーーー。
***
「ーーーリディアナ様、申し訳ありません。リディアナ様がグランバルト皇国に来るとの連絡があった際に、すぐハジャイロにて宿の手配をしたのですが、全く宿が取れず、野宿をするならと、ここの宿をとっておいたのです。」
宿を見て驚いているだろう、彼女にそう告げると、少し彼女が気の毒に感じ、申し訳ない気分になってしまった。きっと、こんな宿になど泊まったことも見た事もないはずだ。彼女は王族であり、リシャール様ですらこんな宿には泊まらないのだから。
宿が取れなかったというのは、嘘だ。我が皇国が頼めば、予約客が居ようと一番上質な部屋を無理矢理取ってくれただろう。
(さあ、どういう反応をする?怒るだろうか?)
実は、この宿に宿泊させるのは、皇太子殿下でありリディアナ様の婚約者になるリシャール様からの指示だ。
そんなリシャール様は極度の女性嫌いだと有名であり、それは他国にも知れ渡る程に有名であった。
リシャール様曰く、平民や騎士への態度や言動からその人物の人となりが分かる為、リディアナ様の人間性を知るためにもここの宿に宿泊させてほしいとの事であった。
実は、リディアナ様の前に一名、グランバルト皇国に嫁いできた王女がいた。
彼女もグランバルト皇国の王宮にお連れする前にリシャール様から言われ、ここの宿屋に連れて来たのだが、リディアナ様より容姿は劣るが、馬車の中でも控えめで、淑女らしい笑みを浮かべていたのに、ここの宿に連れて来た瞬間に態度が豹変したのだ。
(あれは凄かったな………。私ですら女性不信に陥りそうだった。)
急な豹変ぶりに私も他の騎士達も驚いていた。
もう、宿を見てやりたい放題、言いたい放題だったのだ。まず、宿の外見や室内を大声で馬鹿にし、この宿の店主である平民を見下し、一国の姫であろう淑女が暴言を吐きまくっていた。
ギャーギャー騒ぎ過ぎて、部屋に入るまでに時間が掛かり、部屋に入ってからも護衛をしている俺や部下を呼んでは、甲斐甲斐しく世話をさせようとしていた。
そして、あろう事か怖いから一緒に寝て欲しいだの、着替えさせろだの、騎士団長である俺に侍女のような扱いをしてくるかと思えば、その目の奥には飢えた雌のような目付きをギラギラさせて、私に迫って来る。
典型的な王女としての我儘ぶりであった。
だが、そのおかげでその王女の人間性を見ることができたのだ。確かにあのまま王宮に連れて来ていれば、あの本性は私には見抜けなかったかもしれない。
さすがは一国の王女だけであり、表面上の面は立派な可愛らしい王女様だった。
まさかあんな性格だったとは思わなかった。
確かにリシャール様の言う通り、王女の性格を手っ取り早く暴くのは、ここの宿は最適だと思う。貴族や王族はどうしても平民に傲慢になるからな。
それでこそ、婚約者としてやって来る王女の性格を見極める為の宿のおかげだ。
あの時はあの女達の相手に疲れ過ぎて、リシャール様を恨む程であった。本当にあれは嫌な思い出だ。リディアナ様はどんな態度を取るのだろうか。彼女を試すようで申し訳無いのだが、女神の様な彼女の容姿からどんな暴言が出てくるのか少し楽しみでもあった。
「そうでしたか。急なご連絡となりこちらこそ申し訳ありませんでした。宿の手配もして下さり、ありがとうございます。」
その言葉にはとても驚いてしまい。少し固まってしまった。それから、宿に入るとすぐにカウンターに居る店主と目が合った。店主には毎回、とても申し訳ない気持ちになるのだが、報酬を何倍も与えているから店主も断れないのだろう。
前回来た王女に暴言を吐かれまくったからか、少しビクビクしていて可哀想な気分になった。リディアナ様が店主と目を合わせると、彼は素早く頭を下げたのだが、それに対して彼女も軽く頭を下げていて、本当に王族なのか?と思う程、腰が低い彼女には驚いてしまった反面、やはり好感が持てた。
だが、そんな彼女を王族や貴族が泊まるようにできていない宿に一晩泊らせようというのだ。その罪悪感から、彼女を部屋に案内すると、すぐに出て来てしまった。だが、彼女に呼ばれればすぐにでも、部屋に入って世話を焼いてやるつもりでいたのに、呼ばれることはなかったのだ。
朝になり、部屋に入った俺は更に驚かされた。彼女は身支度を整え終え、片付けをしている最中だったようだ。
女性のドレスやコルセットは一人で着脱するのは難しいと聞く。だから、リシャール様の故意で侍女は付けていないのだが、リディアナ様が困っていたら助けてやるつもりでいたのに、まさか身支度を整え、片付けまでしているとは。
思わず、表情に出てしまったらしく固まってしまったのだったが、彼女が「侍女が居なかったので、少し苦戦はしましたが、自分で身支度を整えるというのも楽しいですね。」と言い、予想外に笑うものだがら、それが可愛らしくて、耳まで赤くなってしまった。
リディアナ様は以前の王女と違い、とても綺麗な心の持ち主だ。この方ならリシャール様を助けてくれるかもしれない。そんな期待が芽生えるのを感じた。
しかし、リディアナ様の別名を知る為にリシャール様が考えた、次の任務の危険さを思い出し、溜め息を吐くのだった。