リディアナの前世の記憶
宿を出てから数時間、私はやっとグランバルト皇国の領土内に入ったようであった。ウィルバートによれば、今日の夜には王城に到着できるとの事だった。
私の前には、昨日と同じでウィルバートが腕を組み、長い脚を組んだ状態で座っている。昨日と違うのは、何やら少し難しそうな、緊張した表情をしているという事で
(何かあったのだろうか?)
そんな事を考えていると、少し遠くの方から何やら数十名の気配がするのを感じた。
(賊か何かだろうか?それにしても、数が多そうね。気配からして40人くらいはいるんじゃないかしら?)
その時、
ーーー『ヒヒーン!!!』
すぐ側から馬の大きな鳴き声が聞こえたかと思うと、突然凄い勢いで馬車が左に傾いた。気配を感じた時点で何かあると踏まえていたので、体が傾く事なくすぐに体勢を持ち直す事ができた。
それには、ウィルバートも驚いた表情をしていたが、すぐに「私は、外を見て参ります。リディアナ様はここでお待ち下さい。」簡潔にそう言うと、扉を開けてすぐに外に飛び出して行ってしまった。
気配が現れる前からのウィルバートの緊張した顔つき。
(もしかして、馬車が襲われる事を知っていたのかしら?)
外からは、男達の怒鳴り声や剣が合わさる音がひっきりなしに聞こえて来る。それに、私を心配する素振りが全く無かった。
こういう時、騎士であれば女性を一番に気遣い、何かもう少し優しい言葉を掛けたりする。昨日のウィルバートを見ていれば、気遣いは出来るタイプなようなのに。
(やはり、何かがおかしいわ。)
普通の王女や貴族令嬢ならガタガタと震えるくらい、きっと怖くて怯えているだろう。だが、私は『普通ではない』のだ。
私には、実は前世の記憶がある。今から150年前、アイルバーンやグランバルトよりも遥か東にある王国『ハイラン』にて私は暗殺者として働いていた。
戦争孤児として育った私は、幼い頃に暗殺ギルドによって引き取られ、小さい頃から暗殺者になる為、訓練を受けて育った記憶だ。人を殺し、食事をし、眠るだけの生活。生きている意味など何も感じなかったし、いつ死んでも良いと思っていたのを今でも覚えている。
そして、あっさり返り討ちにあい死んでしまったんだ。前世の事を思い出したのは、今から丁度、六年前の十歳の頃だった。ふとした瞬間に前世の暗殺者としての記憶を取り戻し、
すぐにハイラン王国がどうなったのかを調べたが、どうやら今から20年前にグランバルト皇国によって滅ぼされたようだった。
暗殺者としての記憶が戻ってからは、父や兄に頼み、ルーカスが団長になる前の騎士団長に剣の稽古をつけてもらった。
だが、まるで初心者とは言えないような剣術や戦いぶりに、周りはとても驚いていたし。いつのまにか『天才だ』『女の子なのがもったいない』と周りの大人からは言われるようになった。
当時の騎士団長は、私が女の子であった事をとても残念がっていたし、どうしても戦場に一緒に行きたくて、父や兄に頼み込んで、何度か戦場にも連れて行ってもらったが、戦場で戦っていた兄や騎士達があまりに心配するものだから、あんまり戦えずに終わったのであった。
そんな暗殺者時代の記憶を持つ私は、やはり剣術には長けていてよくルーカスと剣を交えていたものだ。
周りの気配を意識していると、ふと一人の人間が馬車の扉に近付いて来る気配がした。
(この気配は騎士ではないわね。入って来たら戦ってもいいのかしら。)
一国の王女がそれは、不味いのかもしれないが、もし私に何かあればグランバルト皇国に迷惑を掛けてしまうだろうし。馬車を護衛していた騎士達が心配だ。
でも、今からグランバルトに嫁ぐ姫が剣を振り回して戦ってもいいのだろうか。それで、婚約の話が無しになって国に戻れればいいのだけど、下手に責任を取れとか言われて何か要求されても面倒だし、そんな事を悩んでいるとーーーーー
『ガチャリ』
扉が開く音がした。こっちに向かって来る気配は感じていたから全く驚く事もなかったのだが、
「みーつけた」
そう言って、薄汚れた服を着た不潔そうな男が私を見て気味の悪い笑みを浮かべた時は、心の中で「キモっ!」と毒吐いてしまった。
私のその表情を見て怖がっていると思ったのか、気を良くした男はそのまま、無理矢理馬車に乗り込んで来ると、手を伸ばして私の手首を掴んだ。
「ヒュー!!!これは上玉だなー!!こりゃーこのまま味わいたいものだけど、俺も殺されたくはないからなー。お嬢ちゃん、ちょっと我慢しててなー。」
私の顔や体を不躾にジロジロ眺める男は、何やらよく分からない事を言い始めると、私の腕を掴んだまま、グイッと扉の外まで引っ張って連れて行かれた。
男は強い力で私の手首を握っており、少し血液が圧迫されるような感覚を覚えて、顔を顰めてしまった。
「おい!お前らが護衛している姫様はこちらが預かった。こりゃー噂に聞いていたよりも上玉だ!そのまま一日、貸してくんねぇー?明日には返すからよー。」
私を後ろから抱え込み、まるで人質と犯人の様な構図になると、ふいに男が背後から大きな声で叫び始めた。急に男が背後から叫んだ事により、耳がキーンとするのだが、その内容には嫌悪すら覚えて吐き気がした。
男の大声にほとんどの騎士やこの男の仲間であろう者もこちらをチラッと見る。だが、それもほんの一瞬の事で再び、向き直ると剣を交えていた。
騎士と賊は互角という言葉が合うのか、あまり怪我人もいないようではあったが、騎士達の方が明らかに数が少なく、少し苦戦しているようであった。
(でも、それにしても何か弱くない?これが、グランバルト皇国の近衛騎士?)
どんなに強いのかと少し期待していたのが、がっかりした気持ちになった。だが、それも辺りを見ていれば少し気付くこ
とでもあった。いや、私だから気付けたのであろう。
何故か、騎士達は手加減をしているように見えたのだ。賊にあまり怪我を負わせないように、配慮しているような動きが見られたのだ。
ーーもしかして、これって、、、。
ふと、そんな事を思った時、ふいに男の手が私の体を這い始め、体に一気にゾワゾワと鳥肌が立つ感覚がした。
背後からは私の体や顔を舐め回すように見やる、男の気持ち悪い視線を感じる。もうそろそろ我慢の限界だった。
(もう殺ってしまってもいいかな?いや、殺すのは今の私の心情や立場からして、冗談なのだが、気絶くらいはいいよね。)
自分なりに覚悟を決め、それなら一気に全部片付けてしまおう。そう意気込んだ。
私は素早く体を屈めて、男の隙間から逃げ出すのに成功した。そのままの勢いで身を翻し、男の背後に回り込む。そして、ドレスの裾を持ち上げ、片足が出るようにすると、そのまま勢いよく蹴り飛ばした。
重たいドレスを着ていたから、いつもより威力は出なかったのだが、丁度こめかみに私の回し蹴りを喰らった男は、そのまま勢いよく数メートル先まで飛んで行った。
ーーふぅ、やっぱりドレスだと動きにくいなぁ。そして、今日に限ってドレスの中に短剣を仕込んでおくのを忘れてしまった。やっぱり短剣を隠しておくんだったなーー。
そう考えていると、数歩先に長剣が落ちているのが見えた。きっと、そこら辺で怪我をしている騎士の物だろう。それを小走りで取りに行き、構えると、すぐ側でポカンとした表情の賊を死なない程度に斬った。
「いっ!この、女ー!ーーつっーー何すんだ!」
私に切られた男は、切られた箇所が痛むのか地面に膝をつけながら私を睨んでいる。すると、これを見ていたらしい数名の賊仲間が憤慨した表情で私に向かって歩いてくるのが分かった。
それに私は剣を構え、賊が振り下ろしてきた剣と刃を交えた。カキンという懐かしい音が耳に届く。すると、もう一人の男がその隙にと私の腕を掴もうとするのが分かった。
私は目の前の男が振り下ろす剣を剣で何度か受け止めながら、もう片方の腕の肘で真横に迫っていた男の腹に肘を思いっきり突き付けた。
「ーーつっ!」
予想外の出来事だったのだろう、男が苦しそうに腹を抱えるのが分かった。だが、今世の私の力では男に敵わないのが分かる。目の前の男が剣を振り下ろして来るのを左に交わし、そのまま男の懐に入り込んで、男の腹を斬り込んだ。
「くぁ!!」と変な声をあげながら男が倒れるのが見える。やっぱりドレスは動きにくいなぁー。ふと考え、私は躊躇する事なく、ドレスの左側を剣で裂いていた。
すると、まるでスリットが入ったようになり、私が動く度に脚が見えているだろうが、私は動きやすくなったドレスに満足していた。
そして、また数名私の側まで近付いていた賊に向かって剣を交え、勢いよく相手の剣をいなし、すぐさま体を屈め、相手の鳩尾に膝蹴りを入れて気絶させた。
そして、それを見て驚いていた左側の男の背後に回り込み、首元に手刀を入れるとドサリという音と共に目の前にいた男が倒れるのが見て分かった。
「ーこんのーー!!!女ー!!!」
それを見ていた賊の仲間の数人が剣を構え、私に向かって駆けて来るのが分かった。私も剣を構え、相手の剣と刃を交える。
すると、もう一人の男が私の左側からも剣を振りかざすのが見えた。私は咄嗟に後ろに飛んで避け、男が剣を振り下ろした瞬間の隙を見計らって、体を翻し回し蹴りを男のこめかみに喰らわした。
そのまま左側にいた男が倒れるのが分かる。その勢いで素早く、正面の男の剣をいなし、そのまま死なない程度に相手の腹に剣を切り込んだ。血が噴き出して相手の男が倒れるのが分かる。
それからも仲間を倒された賊の男達が一斉に私に切り込んで来る。正面の男の剣を右側に避けて交わし、その隙に首元へ手刀を入れ気絶させる。
その隙に、横から違う男が剣を振り翳して来るのが分かった。咄嗟に剣の柄を男の腹に叩き込めば、苦しそうに一瞬、息が止まったのが分かる。その隙に、腹にもう一度、今度は膝を思いっきり入れ、男が蹲るのが分かった。
それからも、久しぶりの戦闘に集中しながら確実に男達の体を地面に沈めていた。いつのまにか、騎士達は手を出そうとする事なく、私の姿を呆然と眺めているようだ。
それは、もちろんウィルバートも同じで、私が乗っていた馬車の側に立ったまま私の姿を見て固まっているようだった。そして、気付けば40人程いた賊の男達は全員が地面に沈んでいた。