ハジャイロの宿
「私の事はウィルバートとお呼び下さい。」
馬車に乗ってから少しすると、グランバルト皇国の騎士団長が話しかけて来た。どうやら、名前で呼ぶのを許してくれるようでそれに驚いた。グランバルト皇国の者はアイルバーン王国の王女である私を決して受け入れてはくれないと思っていたからだ。
「えぇ、分かったわ。では、ウィルバートとお呼びしますね。私の事もリディアナと名前で呼んで下さい。」
「では、リディアナ様と呼ばせて頂きます。」
名前で呼ばれた事に満足し、思わず笑顔になるとウィルバートは顔を赤くして目を逸らしてしまった。その反応が騎士団長らしくなくて少し意外だった。
グランバルト皇国の騎士団長と言えば有名だ。あの屈強なグランバルトの騎士達を束ねているんだ。きっと、尋常ではない強さなのだろう。グランバルト皇国の騎士団長には私の国の騎士達が何十人と殺されたと聞いていた。だから、アイルバーン王国にいる時は、そんな騎士団長が憎くて恨んだとかもあったし、グランバルト皇国へ行くと決まってからは、父や兄からも警戒するように何度も言われていた。
私自身、自国の騎士をたくさん殺した男だ。あまり関わらないようにしようと決めていたのに、まさかその騎士団長が自ら迎えに来るなんて思っていなかった。
目の前に座っている人物は私が想像していたような人物とは全く異なっており、先程から暇を持て余してしまう私の為に色々な事を教えてくれていた。意外にも話しやすく、それでいて気を遣えるようで安心した距離感を保つ事ができた。
「この辺りは、まだアウラ王国ですね。グランバルト皇国には明日到着するかと思います。」
外の景色を見れば、一緒に馬車に乗っているウィルバートが教えてくれる。アウラ王国は、アイルバーン王国とグランバルト皇国の間に位置する小国だ。アウラ王国は、何年か前にグランバルト皇国との戦に敗れ、既に属国となっている。
ウィルバートは私の向かいの席に座り、先程からこの辺りの地理の説明をしてくれていた。王族は、馬車から外を見る事はあまりしてはならないのだが、この辺りはあまり人が通らないとの事で、ウィルバートが特別に少しだけ窓を開けてくれたのだ。
それが、とても有り難かった。てっきり、一人で馬車に乗れると思っていたのだが、ウィルバートが一緒に乗ると聞いた時は驚いてしまったのだ。主である皇太子と婚姻を結ぶからといって、ウィルバートは今日会ったばかりの見知らぬ男性だし、本当に密室に二人きりになって良いのかと戸惑ってしまったからだ。だが、そんな私の懸念を見透かした様に「我が主からの提案ですので、どうかご心配なさらなくて大丈夫ですよ。」と言われてしまった。
それなら大丈夫であろうと、それから一緒に馬車に乗っているのだが、ここら辺の地理に詳しくない私にウィルバートは丁寧に説明をしてくれた。窓を開けてくれたのも、私がリラックスできるようにとの配慮だろう。
「今日は、あと少し行った先にある『ハジャイロ』という街の宿に泊まります。」
「分かりました。」
少し太陽が傾いて来た頃、今日泊まる予定の宿を教えてくれた。ふと、馬車から外の景色に眺めると、まだそれらしい街には入っていないらしく、たくさんの木々が生い茂る森が見えていた。ウィルバートによると、この森を抜ければ、ハジャイロという街らしいのだが、この辺りでは一番大きな栄えた街であるそうだ。それを聞き、栄えた街と言うことは、きっと、フカフカのベッドに温かいお湯に浸かれるのかな。少し楽しみだなー。と、今から泊まるだろう宿を考えては少しワクワクした。
***
「……えっと、今日泊まる予定の宿って―――」
街に入る前に、すかさず窓を閉められてしまったので、外の景色を見る事は出来なかったのだが、先程までと違い、老若男女たくさんの人の声が聞こえて来たので、きっと大きな街なんだろうと言う事は想像できた。
そして、「着きましたよ。」そう言われて降りた目の前にある建物を見て驚いてしまったのだ。
私が降りた馬車の目の前にある建物は、どうやら宿らしかった。しかし、この宿というのが問題で、とても王族が泊まるような宿では無かったのだ。むしろ、高位貴族どころか男爵位の貴族ですら泊まらないだろう。
宿の名は、辛うじて書いてあるのだが、消えかかっていて全く読めないし、木で出来た建物は台風が来れば倒れて潰れてしまいそうな勢いであった。
「……リディアナ様、申し訳ありません。リディアナ様がグランバルト皇国に来るとの連絡があった際に、すぐハジャイロにて宿の手配をしたのですが、全く宿が取れず、野宿をするならと、ここの宿をとっておいたのです。」
申し訳なさそうに、目を伏せながら謝るウィルバートであったが時折、私をチラッと見ては様子を窺っているようであった。
(これは、本心から謝っていない気がする。)
申し訳なさそうに謝ってはいるが、その表情の裏に、確かに私を試す様な鋭い眼差しをするウィルバートの眼差しが垣間見える。こんなお世辞でも綺麗とは言い難い宿に泊まると言われて、私がどうするのか試しているんだろう。
きっと、普通の王女あれば、侮辱とも受け取り、憤慨する王女がほとんどであろう。しかし、私自身、普通の王女とは違うと感じているし、別に立派な宿でなくとも眠れれば十分だと感じていた。
「そうでしたか。急なご連絡となりこちらこそ申し訳ありませんでした。宿の手配もして下さり、ありがとうございます。」
ニコッと笑って言えば、驚いた表情の後に少し困った表情をするウィルバートがいた。
「……あの、ウィルバート?」
「……あぁ、申し訳ありません。それでは、中へ入りましょうか。足元にお気を付けて下さい。」
手を差し出すウィルバートの掌に自身の掌を乗せてエスコートしてもらう。中に入ると、木でできた壁に木でできた床。
外観はお化け屋敷なような印象であったが、中に入ると思っていたより綺麗で驚いた。
今入ってきた扉の少し先には受付だろうカウンターがあり、そこに立つ六十代程であろうご老人がお辞儀をしてくれるのが見えた。それに軽く会釈をし、ウィルバートにエスコートされながら歩く。
廊下は至ってシンプルで、木の床に木の壁。所々に、木の扉があり中には居室があるだろう事が見て分かった。私はウィルバートにそのまま一番奥の扉へと連れていかれる。
ウィルバートが扉を開けて中に入ると、私の荷物が既に運ばれていた。きっと、他の騎士が運んでくれたのだろう。宿に泊まる際に簡単に身支度ができるようにと準備したバックがたった二つ、ベッドの上に無造作に置かれていた。
「では、リディアナ様。私はこれにて失礼します。念の為、扉前に私と他の騎士が控えておりますので、何かありましたらお呼び下さい。では、明日また朝にお迎えにあがります。」
そう簡単に挨拶したウィルバートがそそくさと出て行く。きっと、この空気に耐えられなかったのだろう。辛うじて、中にはお風呂やトイレがあるようであったが、ベッドもいつも眠っているベッドよりは遥かに小さく、シンプルであまり綺麗とは言い難いベッドであった。
ここの宿は、女性が一人で泊まるような場所ではないだろう。安全面も安心とは言い難いし、窓なんかすぐに割れて外から賊でも入って来そうだ。
(はぁー。今回の婚約、もしかしてあんまり歓迎されていないのかしら?所詮は敗戦国の人質という扱いなのかしら。)
普通、宿に泊まるとなればグランバルト皇国の侍女を紹介してくれるであろうが、この様子では、そんな気配すらないし………。
しょうがないな。少し面倒な気分になりながら、さっさとシャワーを浴びたかったし、ドレスも脱ぎたかった。
女性用のドレスは一人で脱ぐ様には、あまり適した作りにはなっていない。特に王族である私のドレスは煌びやかで、重たく、脱ぐのにも少し時間が掛かってしまった。ドレスを脱ぐとコルセットを緩める。ようやく楽になった自身の姿に満足し、さっさとシャワーを浴びてしまおうと浴室に向かった。
それからも侍女や侍従が訪れる事なく部屋での時間を過ごした。部屋の外からは、この街の住人だろう者が歩いているのが見える。決して頑丈では無さそうな窓が風に揺られてガタガタと音を立てていた。
窓の側により、目を瞑って神経を集中させる。
(一応、外にも数人の護衛がいるようね。この気配からすると、七人かしら。部屋の扉の前からは二人の騎士の気配がする。私を快く受け入れていないであろう対応な割には、きちんと安全には配慮して騎士を配置してくれているのね。)
これはウィルバートの指示であろうか。それとも私の婚約者である皇太子殿下かしら。しかし、騎士の反応からして決して私は良く思われていないのだろう。今日分かった事と言えば、ウィルバート以外の騎士は遠巻きに私を見ており、中には憎悪の篭った瞳で見ている者も居るという事だ。
私の国のアイルバーン王国とグランバルト皇国は、昨年戦争をしたばかりだ。アイルバーンの騎士に殺された仲間がいてもおかしくはないだろう。だが、それはこちらだって例外では無い。お互いに殺し合っていたんだ。易々とアイルバーン王国の姫であった私に心を許せる訳がないだろう。
(これじゃあ、グランバルト皇国では碌な生活はできないかもしれないわね。)
***
ーーーーコンコン
「リディアナ様、おはようございます。入ってもよろしいでしょうか。」
「はい。」
早朝、早く目が覚めた私は、コルセットやドレスを着用するのに多少の時間を掛けながらなんとか、身なりを整えた。髪は自分で整えたのだが、やはり自分でやるのと慣れた侍女にやって貰うのとでは違い、綺麗な白銀のストレートは毛先が少し固くなってしまっていた。それを気付かれぬよう、サイドで簡単に編んでいく。髪を整え終わると、鞄から化粧道具を取り出し、いつもと同じ様に軽く化粧をし、簡単に片付けをしていた。
すると丁度ウィルバートが迎えに来たのであった。彼に返事をすると「失礼します。」と言う声と共に扉を開け、中に入って来た。しかし、私の姿を見て、ポカーンと固まってしまっていた。
「ーーおはようございます。ウィルバート様?どうされましたか?どこか変でしょうか?」
「ー!!!あっ!いえ!少し驚いたものですから。一人でよくご支度ができたのだなと、、」
「侍女が居なかったので、少し苦戦はしましたが、自分で身支度を整えるというのも楽しいですね。」
が侍女を付けてくれなかったのに、何故か驚いており、その言葉と表情が不快で遠回しに嫌味を言ってしまった。思わずニコッと微笑むと、口元に手を当てて、バッと勢いよく顔を逸らされてしまった。
そんなウィルバートの表情を不思議に思いながらも、彼を観察した。やはり、彼からは私にたいして嫌な視線は感じない。
そんな事を考えながら、ウィルバートを眺めていると「さぁ、行きましょう。」そう言われたので、昨日ここに来た時と同じようにエスコートされながら馬車に向かった。