大切な人達との別れと旅立ち
グランバルト皇国から婚約の話が来てから、二週間が経ち、今日はいよいよグランバルト皇国に出発する日を迎えた。ここ最近は、私の婚姻を祝う宴やパーティが開かれ、忙しい日々が続いていた。私を慕ってくれていた貴族令嬢や騎士、侍女達にも別れを告げ、馬車の前で騎士達に護衛されながら父や兄達を待っていた。
私の立場からして親友と呼べるほど、仲の良かった令嬢達は居なかったが、それなりに親交のあった令嬢達は、悲しげに表情を歪めていたが決して泣いたりする者もいなかった。
ほとんどの人が戦争での敗北を悔しんでおり、それゆえの婚約だと皆が知っていた。だが、私が嫁ぐ事によってこの国の平穏が維持できるのだから、私が嫁ぐ事に対して泣く事が不敬だと令嬢達も自分の父から言い聞かされていたのだろう。
悲しげに寂しそうに眼を伏せる令嬢達は多かったが、皆が笑顔で見送ってくれた。それが私にとってはとても有り難かった。
騎士達の中には私の専属騎士として一緒に同行を希望する者もいたのだが、断らせてもらった。専属騎士など連れて行けば、グランバルト皇国の騎士を信用していない事にもなるし、向こうも決していい気にはならないだろう。
元は、戦争で殺し合った者同士だ。こちらの騎士が不当な扱いをするのは耐えられない。だから、グランバルト皇国からの迎えの馬車が来る地点までの護衛だけにしてもらった。それに、いざとなれば自分の身など自分で守れる。そう言えば、騎士団長や父、兄達に笑われてしまったが、私の別名も伊達ではない。
父や兄が来るまでの間、産まれた頃から住んでいた王宮を見上げて思い出に浸っていた。王女としての立場上、楽しい事ばかりでは無かったが、それも今となってはいい思い出だ。
それからも色々な想いに心を巡らせていると、ふいに声がかかった。振り向いた先には、私の大切な二人の姿が、
「………お父様、お兄様」
私が声を掛けると、私の大好きな笑顔で優しく微笑んでくれた二人。そんな柔らかに笑う二人であったが、お父様なんかは目の周りが少し赤くなっており、泣いた事が明らかに分かるような表情であった。そんな父の表情を見て、心がより晴れやかになる気分だった。私は二人から大切に育てられた。そんな二人には安心して国を守っていってほしい。育ててくれた恩返しがしたい。
戦争での敗北で人質として嫁ぐ事が決まったが、世界で一番軍事力が強いグランバルト皇国に嫁けば、他国に負ける事は無いだろう。すれば、きっと国が危険に侵される事もないはずだ。兄や父には幸せになってほしい。
「リディアナ……ありがとう。私の大切な娘。私達はお前の幸せをここから祈っているよ。元気で過ごすんだよ。」
父はそう言うと、私に近付き、力強く抱き締めてくれた。そんな父の背中に私も腕を回し、いつも香る父の香水の匂いを胸いっぱいに染み込ませた。そうしないと、いつかこの匂いを忘れてしまいそうだから。
「リディアナ、おいでーーー。」
ふと、顔を上げれば、兄が優しく微笑んでいた。父がそっと体を離してくれたのを感じて兄に向き直ると、兄の胸に飛び込んだ。
「リディアナありがとう。グランバルト皇国にもきっと、リディアナの事を想って助けになる人がいるはすだ。そういう人達と協力しながら、幸せになるんだよ。」
「もちろんよ!お兄様、私の性格をご存知でしょう?きっと、幸せになって、アイルバーンまで私の噂を届けてみせます。」
「おぉ!それは、とても楽しみだな。期待しているよ。」
ニコッと綺麗に微笑む大好きな、たった一人の兄。母が居なかったこともあり、父が仕事で忙しい時は、ずっと側で寄り添ってくれていた。優しすぎるのが欠点なくらい優しすぎる兄は、とても頼りになって、いつでも私の相談役であった。兄の胸に鼻を埋めると、父とは少し違った甘い匂いがして、この匂いも決して忘れる事がないようにたくさん抱き着いていた。
そして、兄の胸から離れ、お父様とお兄様の前に再び立つ。
「お父様、お兄様、今まで大切に育てて下さってありがとうございます。お母様が居なくても、お二人のおかげで、私は寂しかった事もなく、とても幸せに暮らす事ができました。どうか、お二人ともお元気で。この国をどうか幸せな国に導いて下さい。よろしくお願いします。」
ペコリと頭を下げれば、泣きそうな表情の二人と目があった。その背後でも、仲の良かった侍女や、父や兄の側近達が私の姿を見て泣きそうに耐えるように顔を歪めているのが分かった。その姿に、クスリと笑みが漏れてしまう。
そして、そのまま二人の視線を背に馬車に乗り込むと、少しして馬車が動き始めた。それと共に窓から上半身を乗り出し、大好きな二人に満面の笑顔で手を振った。きっと、私のこの笑顔をいつまでも覚えていてもらえるように。
「行って参ります!!!!」
***
王都を出てから4日経った。あらかじめ用意されていた道を進み、その町や都市で一番豪華な宿に泊まりながらグランバルト皇国を目指した。きっと、父と兄が私が安全に進めるよう配慮してくれていたのだろう。時折、村人や街人からの「姫様ー!」と呼ぶ声や「お幸せにー!」と言う声を聞きながら目を瞑っていた。
「姫様、到着致しました。」
その声で扉に視線を向けると、人影がある事が分かる。この声も小さい頃から親しんだ聞き覚えのある声で、一瞬にして表情が和らいだのが自分でも分かった。
「分かったわ。開けて頂戴」
声を返すと、ガチャリという音と共にドアが開いた。外に立っていたのは、近衛騎士団長であるルーカスだった。リディアナより10個年上の彼は現在26歳で、焦げ茶色の短髪の髪の毛に薄茶色の目をした端正な顔立ちをした男だった。
彼は、公爵家の三男であったことから、小さい頃からリディアナ専属の騎士として仕えている事が多く、父や兄と同じくらい信用できる男であった。
「姫様、、、大丈夫ですか??」
「大丈夫よ。」
微笑みながら答えたはずであったけど、ルーカスは眉間に皺を寄せて少し強ばった表情をしている。
「少し、緊張していただけよ。大丈夫だから心配しないで。」
「ですが!もし、貴方がこの婚約を辞めたいと言うのなら」
「ルーカス」
ルーカスの言葉を途中で遮ってしまったので、ルーカスは驚いた表情をしていたが、それも一瞬の事で、すぐに顔を引き締め、「申し訳ありません。」と謝ってくれた。
「ルーカスの心配は嬉しいわ。ありがとう。でも、これは私が決めた事なの。貴方には感謝しているわ。貴方が私の専属騎士になって、団長になった今でも、私の事を気にかけてくれて、ここまで送ってくれてありがとう。貴方は、私にとって二人目のお兄様で、本当の妹のように心配してくれてありがとう。」
そういえば、少し泣きそうな顔になったかと思えば、すぐに柔らかく笑ってくれたルーカス。
「はい。私も貴方様とすごした日々はかけがえのない宝物です。きっと、一生忘れないことでしょう。」
「一生ってーーー大袈裟なんだから。でも、もうすぐ産まれる貴方の赤ちゃんに会えないのが少し心残りだわ。」
小さい頃から側にいたルーカスは、本当の兄のように頼りになり、私も気を抜ける存在だ。10個も歳が離れているせいで、妹のように可愛がってくれたし、ルーカスが結婚すると聞いた時は幸せになってほしいと、とても喜んだのであった。そんな彼は、もうすぐ一児の父となる。奥さんにはあんまり会った事がないが、すでにお腹は出てきて、あと二ヶ月もすれば産まれて来るらしかった。そんなルーカスの子だもの。私は叔母様になる気、満々で楽しみにしていたのにーー。
「大丈夫ですよ。いつかきっと、私の子に会える日が来るでしょう。それまで、男の子か女の子か楽しみにしていて下さい。」
「まぁ!それは、とても楽しみね。」
すぐにお別れだというのが嘘のように、二人の間には、かけがえのない穏やかな空気が流れていた。
「姫様、足元にお気をつけ下さい。」
辺りを見れば、前方に見覚えのない馬車が三台停まっているのが見えた。きっと、あれがグランバルト皇国の馬車ね。その名に相応しいとても煌びやかな馬車で、すぐに高貴な者が乗っていると分かりそうな馬車であった。
ルーカスの手を取り、馬車を降りると、目の前には見知らぬ男が立っていた。彼は私が馬車から降りると、私の顔を見て少し驚いた表情をしていた。
「初めまして。私の名は『ウィルバート・デュ・ブレスチュア』と申します。近衛騎士団の団長であり、皇太子の側近であります。本日は、殿下の指示にてリディアナ様のお迎えに参りました。」
彼は、185㎝は超えるであろう高い身長に紺色の髪色でルーカスと同じ短髪の髪型をしていた。団長というのは皆、短髪だと決まっているのだろうか?瞳はダークブラウンの色をしており、それがアーモンド型の瞳と、とても良く似合っており、全体的に格好良い部類の男性だった。
とにかく女性にとてもモテそうな容姿をしている事から、女性ファンが多いのではないかと思った。同じ団長でも、ルーカスは、どちらかといえば、がっしりした体型をしており、服の上からでも筋肉質なのが分かる。
言われなくても「団長です!」という容姿のルーカスと違い、ウィルバートというこの男は、ルーカスほど筋肉質では無く、スラッとした細身な印象だった。容姿だけで言われれば、団長をしているイメージがないくらい細身で簡単に言えば細マッチョな感じだ。
だが、柔らかそうな雰囲気の瞳の奥で、私の容姿や行動を観察しているのが見て分かる。きっと、私の別名を知っているのだろう。瞳の奥の鋭い視線が体に突き刺さり、観察をしているのが分かる。
「私は、アイルバーン王国王女『リディアナ・フォ・アイルバーン』です。お迎えありがとうございます。本日より、よろしくお願い致します。」
私がお辞儀をすると、ウィルバートは少し驚いたように眼を見開いていた。あぁ、私が騎士に頭を下げて敬語で話しているのが驚いたのであろう。確かに、私も出会った事がある他国の王女は傲慢で高飛車で我儘な女性が多かったから、他国の王女にこのように話されるのに慣れていないのであろう。
私は三歩程、後ろで立って事の成り行きを見守っていたであろうルーカスにもう一度、声を掛けると笑顔で「行って参ります」と手を振った。
そして、ウィルバートと共にグランバルト皇国に向けて出発したのだった。