アイルバーン王国の王女
私の名前は『リディアナ・フォ・アイルバーン』光に晒されると透き通るような白銀に腰まであるストレートの髪。角度によってはピンクにも見える薄紫の瞳をした私はこの国、アイルバーン王国の唯一の王女である。
国王陛下が呼んでいると侍女が呼びに来たので、一人で父の執務室に向かって歩いていた。
リディアナが歩いているのを見ると周りの騎士や侍女が端に寄り、リディアナが通り過ぎるまで頭を下げている。そんな産まれた頃からの光景を目にしながら足早に執務室へ向かっていた。
部屋から少し歩けば、ある茶色の両扉の前で立ち止まった。今まで歩いてきた通路にあった扉とは明らかに違う、他の扉よりも頑丈そうな、それでいて所々に金の装飾がされているこの部屋こそが父である国王陛下の執務室である。
-----コンコン
「入りなさい。」
手の甲で扉を叩くと中から返事が聞こえた。いつも優しい、ご機嫌な父の声が、何故か今日は不機嫌で少し低い声をしているのをリディアナは少し不思議に思った。
そして、「失礼します」と返すと共にドアノブを回し、中に足を踏み入れた。
「あぁ、リディアナ、急にすまない。とりあえず掛けてくれ。」
室内は父だけでは無く、リディアナの四つ上である兄もいた。兄の名は、『ユリウス・フォ・アイルバーン』ユリウスは、父の前の三人掛け様の椅子に腰掛け、私よりも少し濃い銀色の前髪を右手で握りしめていた。
ユリウスがチラッとリディアナを見ると濃い紫色の瞳と目があったが、すぐに視線を逸らされた。
そして、リディアナの目の前、右手の掌で額を抑えているのは、この国の国王陛下であるリディアナの父。父の名は『アイリス・フォ・アイルバーン』ユリウスと同じ色素の濃い銀色の髪に蒼色の綺麗な瞳をしている陛下は40代だが、良く20代に間違われる程、若い容姿をしていた。
リディアナは年齢を知っているから何も思わないが、確かにパーティや舞踏会で多国から来た貴族達は父の容姿を見て驚く者もいた。
それ程、父の容姿は整った容姿をしていた。この国の皇后陛下であった母は、私が産まれて間もなくして、産後の肥立ちが悪かったらしく亡くなってしまったそうだが、父は国王陛下であるにも関わらず、母の分まで私たち兄弟を大切に想い、育ててくれた。
とりあえず、父に言われた通り、椅子に座ろうと兄の側によれば、兄が少し横に退いてくれたので、有り難く兄の横に腰掛ける。
(一体この葬式みたいな暗い空気は、なんなんだろう。)
父と兄は向かい合って座っているのだが、お互いに溜め息を吐いて喋ることなく、床を見つめている。
「お父様、お兄様、一体どうしたのですか?」
「実はな、昨年負けた戦争でグランバルト皇国から戦利品としてこちらの姫を送るようにと伝達があったのだ。要するに人質という名の政略結婚だ。」
(グランバルト皇国への戦利品………)
グランバルト皇国は、我が国アイルバーン王国から少し南に離れた位置にある大国で、最も軍の数が多く、兵の武力も強いと言われている。
それゆえに、戦を好み、どんどん戦争を仕掛け領土を増やしている事から、周りの国々はグランバルト皇国から目を向けられないよう、ひっそりと暮らしている国もあるほどだ。
アイルバーン王国もそれは例外ではなかったのだが、昨年、ついにグランバルト皇国から戦争を仕掛けられ、敗退した。
我が国アイルバーン王国の騎士もそれなりに強かったのだが全く、歯が立たなかったのだ。結果、死傷者が多く出てしまい、土地にも膨大な被害があり、作物も不作の年となった為、我が国は厳しい状態が続いていた。
「くそっ!グランバルトめ、可愛い妹を寄越せだなんて…」
「しょうがない、断ろう。リディアナを人質として嫁にやるなんて耐えられん。リディアナは、私の可愛い大切な娘だ。グランバルトから反感を買おうが、嫁にやるよりマシだ。」
父と兄は、さっきまでの暗い表情が嘘のように拳を握りしめて意志を固めた表情で話し合っている。
(二人の思いは嬉しい。だけどわたしは…………)
「お父様、お兄様、それではまたグランバルト皇国と戦争になってしまいます。また戦争になれば、アイルバーン王国もただではすみません。私は姫としてこの国をこの国の人達を守りたい。私が行けばグランバルト皇国は手を出さないんでしょう?それなら私は、グランバルト皇国に向かいます。」
私はこの国の唯一の王女だ。自身の責務くらいは小さい頃からきちんと理解している。国の為となるなら、喜んで自身の身を捧げる覚悟だ。
「リディアナ………。だが、人質だ。きっと、良い扱いは受けないだろう。私はそれが心配なんだ。」
「そうだ。もし、リディアナに何かあれば私達は……」
「お父様、お兄様、わたくし小さい頃からこの国の王女として嫁ぐ覚悟は決めてきました。だから、この国の為になるのであれば行きます。」
戦争で敗北をし、それゆえの人質だ。グランバルト皇国は、私を嫁がせて姫にさせる事でアイルバーン王国を属国としたいのであろう。確かに私が嫁ぐ事で、アイルバーン王国はグランバルト皇国に敵対する事は無くなるだろう。
産まれた頃から他国に嫁ぐ事が決まっていた私は、物心つく頃からどこの国に嫁いでも良いように妃教育に励んできた。私だって、とっくに嫁ぐ覚悟はできている。
「だが、リディアナ。グランバルト皇国の皇帝陛下や皇太子殿下は全くいい噂を聞かぬ。私はそれが心配なのだ……」
「………噂とはどんな噂があるのですか?」
「皇国の現皇帝陛下は一人の妃と六人の愛妾を持つ。戦争で負けた国の姫を嫁がせ、まるで人質のように扱っていると聞く。何か良からぬ事を企てれば、自国の姫を殺すと脅しているようなものだ。だからそこに愛はないと聞くし、それに…………その妃や愛妾達も今では半分の人数が死んでいると聞く。それは、心が病んだ愛妾達の自害とも聞くし、怒った陛下が殺したとも聞く。本当の事は分からないが、半分もの人数の女性が嫁いだ後に亡くなっているんだ。それは、普通ではない。あの国には、闇があるはずだ。私も何度か皇帝陛下に会った事があるが、いつも冷たい眼をして他人を見下しており、冷酷な男だ。そんな男の息子である皇太子殿下に嫁ぐのだ……幸せになれる訳がない…………」
「ーーですが、その皇太子殿下も皇帝陛下のような性格とも限らないじゃないですか」
「あぁ、確かにそうだな。だが、私は会ったことがないのだが、皇太子殿下は、冷酷で最恐の皇太子として他国で有名なんだ。戦に出れば、100人もの敵を一人で一瞬にして斬り伏せるらしい。そして、彼の周りが血の海になる事からついた別名が血濡れた悪魔とも呼ばれているそうで、そんな悪魔という別名がある男だ。皇帝陛下のように冷酷な男に決まっている。それこそ、嫁いだら何をされるか。そんな男にリディアナを嫁がせるなんて………」
「でも、私が嫁がなければ、戦になるかもしれません。それこそ、アイルバーン王国が無事では済まないかもしれません。」
「あぁ、だが例え、他国が攻めて来たとしても私がこの国を守ってみせる。この国の騎士だって弱くはないんだ。お前の為なら皆が必死に戦ってくれる。」
兄は、私が安心できるように自信たっぷりだというような声で宣言しているが、実際問題として無理だろう。我が国アイルバーン王国の領土はそれほど大きくはない。他国が手を組み同時に攻めて来たりでもすれば、この国はあっという間に被害が出てしまうだろう。
そんな事、兄も父も分かりきっている事だろうに。私を思って「断ってもいい」と言っている二人を決して巻き込みたくはなかった。それこそ、私が嫁げば、他国の抑止力となるだろうし、グランバルト皇国との戦が無くなるのならアイルバーン王国には平穏が訪れるだろう。
私は、産まれた頃から住んでいる、この国が大切だ。
「お父様、お兄様、それでも私は行きます。他国に嫁ぐ覚悟はとっくにできていますし、私はこの国が大切なのです。私は、この国の民や国を守っていきたい。それは、王女である私にしかできない事です。」
「だが、お前を愛してはもらえるかは分からないんだぞ。月日が経てば、他にも他国から姫が嫁いで来るかもしれん。」
「お兄様、お父様。私はただのか弱き姫ではありません。私の別名をご存知でしょう?私は、決してグランバルト皇国になど屈しません。例え、愛してもらえなくとも、ただの愛妾としてでも、私は楽しく暮らして見せます!なので、ご心配して下さらなくても大丈夫です。」
微笑むと兄と父向かって言った。兄と父が心配してくれるのは有り難かったし、嬉しかった。それ程、私は大切に育ててもらったのだと自信を持って言える。だが、それを犠牲にする事はできない。
「私は、グランバルト皇国に向かいます。お父様、お兄様、ご準備をよろしくお願いします。」
私が頭を下げると、複雑そうな悲しそうな顔の二人。だが、少し安心したような父と兄の表情に、やはり国の事を心配していたのだと思わされた。
そして、そんな二人と私も同じような表情をしていたと思う。決してこの国で戦なんか起こさせない。私が嫁ぐ事によって平穏な国の状態を維持できるのであれば、悪魔にだって嫁いでみせよう。
そして、グランバルト皇国で自分の思うままに生きてみせよう。決して皇太子なんかに屈してたまるものか。そう胸に決意してみせた。