第43話 追憶ーミオンー(2)
「私はマノン。あんた、私の弟子になりなさい」
一瞬、なにを言われたか分からずぽかんとした。
じわじわと、その言葉を飲み込んで目を見開く。
理解して、反射的に否定の言葉を叩きつけようとしたが、その女性の――――マノンの、瞳があまりにまっすぐでたじろぐ。
灰桃の悪魔は、強い拒絶もできずに軽く腕を振るった。
マノンの手は、思ったよりもあっさりと離れていく。
「断る」
口から出てきた言葉は、自分でも驚くくらい弱々しかった。
「そう」
やけに冷え冷えとした返答に、やはり本心では弟子になどしたくなかったのだ、とひねくれた考えがよぎる。
だが、そのすぐあとに続けられた「だけど」という一言にぴくりと肩をふるわせる。
「もし、私があんたのことを捕まえられたら、弟子になってもらう」
「は?」
思わず後ろを振り向けば、口の端をつり上げたマノンと目が合った。
「当たり前でしょ?この世は弱肉強食。私が勝ったら、私の要求をのむのは自然の理。あんた、いっつも市場で盗みを働いているのでしょう?なら、私があんたを捕まえてみせる」
「は、は?」
「楽しみにしてて」
マノンはなにやらグッと拳を握り込むと、戸惑う灰桃の悪魔を置き去りにして、さっさと踵を返していった。
しばらくぽかんとしていたが、くいくいと服をひっぱられてハッとする。
下を見れば、子どもたちが不安そうに瞳を揺らしてこちらを見上げていた。
「ねえ、大将。つかまっちゃう、の?」
「・・・・・・はっ、んなことありえねえよ。絶対捕まえらんないから、心配すんな」
灰桃の悪魔は、子どもたちを安心させるように微笑むとわしわしと頭をなでてやる。
子どもたちはパッと破顔すると、きゃあっと甲高い声を上げた。
(そうだ。私は、絶対、捕まらない。捕まっちゃいけない)
子どもたちの無邪気な笑顔を見ながら、灰桃の悪魔は奥歯をグッと噛みしめた。
〇〇〇
マノンと話した次の日。
灰桃の悪魔はいつものように、細い路地から市場をうかがっていた。今回の狙いは、ニワトリの丸焼き。子どもたちはまだまだ成長期で、肉を食べさせてやりたかった。
目を細めて、人の意識の隙間、盗み出せるほんの一瞬を見極める。
(――――今だ!)
灰桃の悪魔は、足下に薄桃色の魔法陣を展開させ、転移魔法を発動する。
まばたきする間に屋台の目の前に辿り着き、ニワトリの丸焼きをひっつかむ。
そして、気づかれる前に逃げようと足下に魔法陣を展開し――――
「はい。捕まえた」
グッと握られる肩の感覚に絶句する。
目を見開いて振り向けば、にんまりと笑うマノンと目が合った。
「おおっ、嬢ちゃんやったのか!!」
「【灰桃の悪魔】が、捕まった!!」
周囲から上がる歓声に、頭が真っ白になっていく。
路地裏で自分を待ってくれている子どもたちの顔が、脳裏をよぎった。
「さ、約束は果たしてもらうわよ」
マノンが高飛車な宣言をしているが、耳に入らない。
灰桃の悪魔は必死の抵抗を試みた。
「~~~~っ、離せっ。離せぇっ」
「ちょ、暴れんじゃないわよ」
転移魔法の展開を試みようが、力の限り暴れようが、マノンの前ではビクともしない。
魔力を練ろうとしても、うまくまとまらず魔法が成り立たない。
焦っていると、マノンが手からニワトリの丸焼きをひょいと取っていき店の者に返してしまった。
「おい、嬢ちゃん。そのガキをこっちに渡してくれ。こいつは、ここらじゃ有名な盗人でな」
誰かが護衛官を呼んできたようで、小綺麗な装備を携えた男たちが人混みの向こう側から【灰桃の悪魔】を捕えんとやってくる。
市場の人々も、厳しい視線をそろってこちらに向けていた。
灰桃の悪魔の背筋に、冷や汗がつたっていった。
「あー、悪いけれど」
灰桃の悪魔が呆然としていると、マノンにグッと身体を引かれ片腕で抱きしめられる。
「この子は、私がもらうわ」
瞬間、しんと市場が静まりかえる。
「「「「はあ!?」」」」
人々の戸惑いの声に、マノンはカラカラ笑って応える。
「この子は、私の弟子にする。牢屋に入れられちゃあ、困るのよ」
堂々と宣言するマノンに、人々は戸惑いと憤りを隠せないようだった。
「ふざけんな!」
「よそ者が、口出してんじゃないよっ」
そんな怒声も、マノンにとってはどこ吹く風といった態度。その飄々とした表情に、灰桃の悪魔の方が呆気にとられていた。
「おい、おーい!なにがあった!!」
やっと到着した護衛官の2人組が、人をかきわけマノンの目前に進み出る。
護衛官たちは、市場の人々と向き合いながら小脇に灰桃の悪魔を抱えるマノンを見て眉をひそめた。
「ようやく【灰桃の悪魔】を捕まえられたと聞いて駆けつけたんだが・・・・・・。これは、どういう状況だ?」
「護衛官さん!この人が、【灰桃の悪魔】をっ」
「ああ、ちょうどいいところに。悪いけど、この子は私がもらうから」
護衛官は同時に発せられた言葉に、さらに眉間のしわを深くする。
だが、マノンが小脇に抱える子どもを見て、それが【灰桃の悪魔】なのだと理解するとマノンに詰め寄った。
「旅の方、申し訳ないが、その子どもはこちらで預かり裁かせてもらう」
マノンは護衛官の言葉に、心底面倒くさそうにため息をついた。
「ねえ、この子が盗んだものって全部でいくらくらい?」
「・・・・・・は?」
「だぁかぁらぁ、いくらくらいって、聞いてるの!」
「・・・・・・1000G」
「なんだ、それっぽっちか」
マノンはぽつりとつぶやくと、パチリと指を鳴らした。
なにが起こるのか、と疑問に思っていると、マノンと護衛官の間に薄紫の魔法陣が光り輝いた。
その光が収まると、地面には札束の山。
どよっと空気が揺れる。マノンはふんと鼻を鳴らした。
「これでいいでしょ。じゃ、連れていくから」
「あ、ちょっ・・・・・・まっ」
「なに。まだなにか?」
戸惑いを隠せない護衛官に呼び止められ、マノンは不機嫌を隠さずに振り返る。
「い、いえ、やはり事情を聞くためにも一応、いっしょに」
「もうっ、しつこい」
マノンはずいずいと護衛官に近づくと、ボソッと耳打ちした。なにかを聞いた護衛官は、じわりと目を見開くとグッと口を閉じた。
「――――差し出がましい真似を、失礼いたしました」
「気にしてないわ」
マノンはよいしょと灰桃の悪魔を抱え直すと、今度こそ市場を後にしようと歩を進める。
もうマノンを止める人はいなかった。
「はっ、離せ。離せよっ」
「往生際が悪い」
我に返り抵抗するが、やはり歯が立たない。灰桃の悪魔はとうとう観念して、弱々しい声を発した。
「分かった。分かったよ。弟子だろうが、なんだろうがなってやる。けど、あいつらが、あいつらだけは放っておくわけにはいかないんだ」
マノンはその言葉を静かに聞くと、不意に上空を見つめる。
つられるように視線を上げるが、空ではカラスが旋回しているだけだった。
「うん。問題なさそうね」
「? なんだよ」
「昨日の路地裏の子どもたちのことよね?」
「あ、ああ」
マノンはいたずらっ子のような笑みを浮かべると、人差し指を口元に当てた。
「実は私、人類のくにのお偉いさんと知り合いなの。さっき、ちょっと打診してみたら、あなたの大切な子どもたちを王都の孤児院で受け入れてくれるって返事がきたわ」
灰桃の悪魔は、息をのむ。王都の孤児院であれば、食べるものにも困らず、寒さに凍えることもないのではなかろうか。
「あとですぐにでも使いを送ってくれるそうよ。というか、私が送ることになるでしょうね」
「あんた、一体何者なんだ」
思わずこぼれた疑問の答えは、微笑が返されただけだった。
マノンは問いに答える代わりに、足下に薄紫の魔法陣を展開した。その光の強さに、思わずまぶたを閉じる。
市場の騒がしさがぐんと遠ざかり、ふわりと温かな空気に包まれた。
「ほら、目を開けて」
そううながされ、恐る恐る目を開けて――――別世界に目を奪われた。
「ここがあんたがこれから過ごす街、魔法都市ウィザレッドよ」
「うぃざ、れっど」
街の中央にそびえ立つ時計塔。
空を飛び回る魔法使い。
肌に触れる温かな風。
それら全てが、ノーザンモーストには存在し得なかったもの。
「さ、こっちよ」
マノンは、街のど真ん中にある時計塔へぐいぐいと引っ張っていく。
灰桃の悪魔はされるがままについていった。
〇〇〇
「うんうん、いいじゃん。あんたって、結構綺麗な髪色してたんだ」
時計塔に連れて行かれた灰桃の悪魔は、そのまま問答無用で風呂に入れられた。
風呂なんて記憶にある限りで人生初。
マノンの手により、髪も身体もゴシゴシわしわし洗われた。
おかげさまで、くすんだ灰桃色をしていた髪は、艶はないが綺麗な薄桃色を取り戻し、すすけた肌も汚れを落とし健康的な印象を強くした。
予想以上に気持ちよく、ぽやんとした心地に見舞われた。
「それにしても、あんた、女の子だったのねえ」
しみじみとしたマノンは、灰桃の悪魔の身体をタオルで包み込み、目の前でクローゼットの中を漁っていた。
髪は魔法で気がつかぬうちに乾かされていた。
「なんだよ。女で悪いかよ」
「だってあんた、口が悪いし。お、いいのがあった」
マノンはクローゼットからひっぱりだした白いひらひらとした服をこちらに投げる。
その服はすべすべとしていて、とてもさわり心地が良かった。
「そういえば、あんた、名前は?」
思い出したように聞いてくるマノンに、灰桃の悪魔は押し黙る。
しばらく待ってもなにも言わないからか、マノンが顔をのぞいてきた。
「なによ。私には言いたくないっての?」
「・・・・・・ちがう」
灰桃の悪魔は、決して言わないのではなかった。
言わないのではない。言えないのだ。
「知らない。名前なんて、ない。【大将】とか【灰桃の悪魔】っていう呼び名はあるけど」
「それは、名前じゃないわよ」
灰桃の悪魔は記憶をさかのぼる。だが、どんなに記憶をさかのぼろうと名前をつけられた記憶はない。
「じゃ、私がつけてあげる」
さらっとそう言ったマノンは、顎に手をあてうなりだす。
まさかそんなことを言われるとは思っておらず、面食らった。
「よし、決めた!」
思いの外すぐに結論を出したマノンは、満面の笑みでこちらを見下ろす。
心の準備もなにもない灰桃の悪魔は、少しばかり心がざわめくが、マノンはそんなことちっとも気遣ってはくれない。
「あんたは今日から、ミオンよ!」
高らかに告げられた名前に、静かな衝撃を受ける。
「み、おん」
新たな自身の名前を口の中でころがした。
名前をつけた当の本人は、満足したようでうんうんとうなずいている。
「結構いい名前じゃない?私の名前と響きも似てるし。うん、考えるほど言い名前な気がしてきた!」
マノンは灰桃の悪魔――――ミオンへ手を伸ばすと太陽のような笑顔を浮かべた。
「よろしくね、ミオン」
キラキラと視界が輝く。
ミオンが生まれ変わったと言っても過言ではない、そんな瞬間だった。
――――マノンの正体が最強魔女だと知ったのは、それからすぐのことだ。




