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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第3話 異国 第1章
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09 夢か幻のよう

 黒髪の、子供に。

 奇妙な男ティージは、間違いなくそう言った。

 子供というのは何の話なんだと尋ねるイリエードやジョードを置き去りに、タイオスは遅ればせながらティージを追って飛び出したが、その姿は朝のリゼンに消えてしまっていた。

 黒髪の子供。

(何故、ティージがそんなことを?)

(いや、あいつじゃない。あいつの雇い主。主人とやら)

 そのことを知っているのはティージではなく、正体が少しも見えぬ何者かだ。

(シリンドル、シリンディンの騎士、〈白鷲〉、調べようと思えば可能だろう)

(しかし、あのガキのことなんざ)

 知るのは、ごくわずかな人間だけだ。彼と、シリンドル国王ハルディールと、シリンディン騎士団長アンエスカと。あの場にはアル・フェイルの魔術師イズランも同席していたが、何にせよ、彼らの誰もその話を他人に洩らすとは思えなかった。ハルディールはほかの騎士や姉王女には話したかもしれないが、そこどまりのはずだ。

(気味が悪い)

 誰かが彼を見ている。

(まさか――エククシア)

 彼はそのことを考えた。〈白鷲〉にこだわり、試練だなどと訳の判らないことを言って、リダールを救ってみせろときた〈青竜の騎士〉。

 ティージの言う「後ろ盾」とは、ライサイのことだろうか。帽子の男は、彼の敵に再雇用でもされたのか。

(いや、違うな。ヨアティアは奴の元にいるんだから、ヨアティアが殺そうとしたルー=フィンを助けるというのは……妙な話)

(だいたい、あの子供が俺の前に現れたのは、コミンが最後だ)

(青竜野郎が、あの頃から俺を見ていたはずはない)

 気味が悪かった。怖ろしいほど。

(黒髪の)

(子供に、聞きな)

 気味が――。

「クソ」

 タイオスは毒づいた。

「おい、ガキ。聞いてたか。……なんて、どこにいるのかも判らんが」

 いる(・・)のかも判らない、などとふっと考えて、タイオスは薄ら寒いものを覚えた。

(俺の腰帯を引っ張ったり、腕を掴んで歩いたりしたんだから、いた(・・)はずだ)

(しかしどうにも、幽霊(ベットル)みたいな感覚が)

 タイオスは腰の袋に手を触れると、少し迷って、護符を取り出した。

 大理石(オフェイン)に貼られた瑪瑙(ウリス)。刻まれた鷲と若木の絵柄。

「……おい」

 彼は呟いた。

「何か、言えよ。……言ったら不気味だが」

(あんたの守る国を愛する若いのが、国のために追った男に怪我を負わされたってんだぜ)

(まあ、もしかしたら、守ったのかもしれないけどよ)

 ジョードは、ルー=フィンが死んだものと確信していたようだった。それが助かったというのが本当なら、そこには神の加護だってあったのかもしれない。

(何つうか、あれだ)

(俺から、頼むわ)

(あいつの顔見せて、俺を安心させてくれよ)

 護符は、もちろん喋りもしなければ、何か不思議な光を発するようなこともなかった。

 当然だな、とタイオスは嘆息して、護符をしまい込んだ。

 どうやってティージの言葉を確認すればよいものか。馬泥棒をさせられたときのように、何か騙されていることはないのか。

 タイオスは顔を上げた。朝のリゼンを行き交う人々が彼の目に入った。

 それから――。

「……おい」

 角を曲がった、子供の影が。

「クソっ、案内する気があるなら、ちゃんとあるって言え!」

 不意に怒鳴って駆け出した戦士を通りすがりの町びとが驚いた顔で見ていたが、彼は無論、そんなことにはかまわなかった。

 戦士の全力疾走は、しかし子供の影に追いつけず、彼が角を曲がれば、影は次の角を曲がるということが繰り返された。

 幽霊か、それとも化け狐に惑わされている気持ちでタイオスがリゼンの町を走り回ったのは、十数(ティム)というところだったろうか。

 一軒の小さな家の前で、黒髪の子供が一枚の扉を指していた。

「――てめ!」

 タイオスは、まるで犯罪者を追いかける町憲兵のように、子供を捕まえるべく突進した。だが、そうしたところで意味がないだろうことは、頭のどこかで判っていた。

「クソ、やっぱり、またか」

 魔術師だとか、その力を借りた〈青竜の騎士〉だとかが目前で消え去るよりも、子供のいなくなる様は夢か幻のようだった。魔術師などは、術でどこかに飛んで行かれても、その直前まで「確かにここにいた」と思うのに――この子供については、そんな自信が持てないのだ。

(これも充分、気味が悪い!)

 心のなかでタイオスは叫ぶと、その勢いで扉を叩いた。

 結果としてそれはずいぶん乱暴な音になり、住民はおそるおそるといった体で顔をのぞかせ、何でしょうかとびくつきながら彼に尋ねた。

「ああ、すまん」

 彼は手を振り、息を整えて、愛想笑いを浮かべた。

「ここに、その」

 次にはこほんと咳払いをする。

「怪我をした友人が……運ばれたと聞いたんだが」

「――タイオス」

 家の奥へと案内されれば、右肩から胸部に包帯を巻かれた若い剣士が、タイオスを認めてゆっくり身を起こした。

「ああ、駄目ですよ、起きては」

 医師と思しき人物がそれをとめる。

「あなたは、もう少しで死ぬところだったんですからね」

「だが、生きている」

 ルー=フィンはそう返した。タイオスは深く息を吐くと、脱力したように壁にもたれかかった。

「この野郎。心配、させやがって」

「私は一度、生かされた。容易に死にはしない」

 若者はそう答えて、そっと祈りの印を切った。

「いったい、何があった?」

 タイオスが尋ねたのはルー=フィンではなく、医師の方だった。

「刀傷に似ていましたが、違うように思えます。しかし、では何なのかと言えば、私には判りません。彼は何も言いませんし」

 医師は首を振った。

「ああ、いや、そうじゃなくて」

 タイオスはどう言おうかと迷った。

「誰がこいつを連れてきたんだ?」

「町憲兵殿です」

「何?」

 思いがけない答えに、タイオスは目をしばたたいた。

「表沙汰にできない事情があるので、私のところに連れてきたと。ご覧の通り、私は正規の診療所を開いている訳ではないので、たとえ刀傷であっても町憲兵隊に報告する義務がないんですよ」

「成程」

 一種の裏商売である。通報されたくない人物が駆け込む、闇の診療所だ。

 もっともこの男の雰囲気からすると、裏商売でぼったくっていると言うよりは気の毒な貧乏人を助けているお人好しという感じだな、とタイオスは思った。

「だが……町憲兵?」

「たまにあることです。彼はそう自称しただけで、制服は着ていませんでしたが」

「どんな人物だった」

「二十代の後半から三十歳くらいでしたね。灰色の帽子をかぶった……」

「あいつか」

 クソティージ、とタイオスは唇を歪めた。町憲兵を詐称するとは、大した度胸だ。


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