08 目的は
(悪い夢と言えば、前にも見たな)
「助けて」と彼に訴えるリダールと、不気味に笑うエククシアの夢。
(いまにして思えば、眠りの神は最初から、エククシアは敵だと教えてくれてたんだよなあ)
うう、と彼はうなりながら伸びをした。
「どれくらい、寝てた?」
「半刻程度だな」
「何か、判ったか」
「生憎と」
イリエードは首を振った。
「深夜もやってる診療所ってのは、ふたつだけだ。そこでは、昨夜の怪我人は喧嘩した若造ばかりだった。俺の知る限りで医者を当たってみたが、収穫はなし」
「そうか……」
「気を落とすな。ほかにも医者はいるはずだからな、もう少し聞いてみるさ」
「悪ぃけどよ」
ジョードは寝ぼけ眼をこすりながら、声を出した。
「俺の見たとこ、あれは死んでるよ。今日の夕刻辺り、鴉でも集まってる屋根を探す方が」
「ジョード」
「に、睨むなよ、そんなに。俺のせいじゃ……」
もごもごと、盗賊は語尾を曖昧にした。完全に彼のせいではない、とも言えないところがある。
「お前のせいだとは、言っていない」
タイオスは嘆息した。
「お前のせいでも、ないぞ」
イリエードは唇を歪めてタイオスを見た。
「どうやら責任を感じてるみたいだが、らしくないな、ヴォース。戦って負ければ、それはそいつ自身の責任。それが俺たちの理屈だろ」
「まあ、な」
それはある、とタイオスは返した。
「ただ、若くて才能のある奴が無駄に死んだかと思えば……憤りも覚えるさ。それに、俺は……」
「ん?」
「いや」
(ハルに、何て言えばいい)
既視感を覚えた。騎士ニーヴィスの死を王子に伝えなければならなかったとき、哀悼の気持ちと同時に浮かんできた、胃の重くなる感覚。
ニーヴィスを殺したのは、彼らに対する立場にいたルー=フィンだった。だが彼は、それまでルー=フィン自身を作り上げてきた価値観を崩壊させられ、そのことで訪れた死の誘惑も振り切って、〈シリンディンの騎士〉に肩を並べる存在となったのだ。
そのルー=フィンが、ヨアティアに殺されたなど。
(何やってんだよ、〈峠〉の神様よ)
(シリンドル人同士で殺し合いをさせて、どうしようってんだ)
これは理不尽な苦情だ。神がさせている訳ではない。タイオスも判っている。ただ、嘆きたくもなる。
「気の毒だけどよ、あの兄ちゃんのことは諦めた方がいいぜ、タイオス。準備をして、発った方がいい。遺体が見つかったら、弔いなんかはそっちのおっさんに任せてよ」
「おっさん」呼ばわりにイリエードは少し顔をしかめたが、引き受けてやるとばかりに黙ってうなずいた。
「少し、考えさせてくれ」
タイオスはそうとだけ返した。理屈ではその通りだ。死んでいればもとより、もしも神がルー=フィンを守って命が助かっていたとしても、おそらく旅ができる状態ではないだろう。ヨアティアを追うだけの旅ならその回復を待ってもよいが、リダールを放ってはおけない。
どちらにせよ、タイオスはジョードだけを伴って、北へ向かうことになる。
それならば。
(――早く)
(早く行かなければ)
夢のなかの焦燥感が思い出された。
タイオスは唇を噛んだ。苦汁の決断をしなければならなかった。
息を吐いて、彼は言おうとした。
「俺は……」
「イリエード、客だぞ」
そのとき、タイオスの言葉を遮る形で扉が開くと、店の人間が顔を出した。戦士の一言は、中途半端に浮いた。
「客? 俺に?」
「あんたにと言うか、『この店の奥で休んでる戦士に会いたい』と言われたんだが」
「じゃあヴォースか?」
イリエードはタイオスを向いた。
「いや、お前だろ」
苦笑してタイオスは返した。
「俺のはずがない。ここに知り合いなんていない」
「だが、俺を知る奴なら名前を言うはずだ」
「まあね。イリエード氏の名前を出すと話が早くて確実なのは判ってたが」
ひょい、とそのうしろからのぞいた顔がある。
「俺が会いたいのはタイオス氏なんでね。ここの奴にあんたの名を言っても知らんだろうと、そういう中途半端な頼み方に」
「お前……ティージ!」
昨夜に続いて唐突に現れた帽子の男に、タイオスは大声を出した。
「なに、何なんだお前はいったい」
「哀しき伝書鳩さ。さて、今日の伝言を聞くかい」
「ふざけるなよ」
きつく、タイオスは言った。
「昨日の『伝言』は役に立ったとも。だが、俺がそれで容易にお前を信用したり、言うなりになったりすると思うなよ」
「何だよ。俺が、あんたの不利になる何をした? 助けてやってばかりじゃないか」
にやにやとティージは言った。
「馬泥棒の件は」
「結果的に、悪くなかったろ」
ティージは片目をつむり、タイオスはむかっとした。
「てめえがほかの馬を選んでりゃ、こんなことには」
八つ当たりだ。だが事実でもある。「馬泥棒」を追わなければ、ルー=フィンがジョードを追いかけることにはならなかった。
「だから聞けよ。ルー=フィン・シリンドラスは無事だから」
「何を……何?」
さらりとやってきた言葉がタイオスの頭に届くまで、少しかかった。
「ルー=フィン・シリンドラスは無事に生きてる。もう一回、言うか?」
「な、な……何でお前がそんなこと」
ふうっと力が抜けるのを覚えながら、タイオスは問うた。
「何でお前がそんなこと、知ってるんだ」
「俺は何でも知っている、と言いたいところだがそうでもない。その代わり、俺の現在の雇い主、言うなればご主人様が、かなり『何でも知っている』に近い」
「それが、伝言か」
「その通り」
ぱちんとティージは指を弾いた。
「幸い、シリンドルの数少ない騎士の頭数は、減っちゃいない。よかったな、〈白鷲〉」
「けっこうだ。非常にけっこうな話だ」
タイオスはうなずいた。
「それで?」
「何が?」
「ルー=フィンはどこにいるんだ」
「それは」
ティージはにやりとした。
「内緒だ」
「何をう!?」
タイオスは怒鳴った。
「てめえ、ふかしこいてんのか!」
「どうしてそんな出鱈目を言う必要がある。ルー=フィン氏は生きてるが、そっちの盗賊氏が目撃したように、死んでもおかしくないだけの傷を負った。それをご主人様がね、拾い上げて治療させてる。何か文句あんのかい」
「文句、は、ないが」
頭痛をこらえるかのように、タイオスは額に手を当てた。
「疑問なら、ある」
「聞いてもいいが、答えられんことには答えんよ」
ティージはそんなふうに応じた。
「『ご主人様』が誰なのかは、言わないままのつもりか」
「つもりだよ」
あっさりと彼は答える。
「目的は」
続けてタイオスは尋ねた。
「俺は伝書鳩だと言っている通り。言われたことを伝えるだけで、ご主人様の考えなんかは知らないのさ」
「何の根拠もなさそうな話を信じろと?」
「信じたくないなら信じなくてもかまわん。引き続き、自分たちでルー=フィン氏を探せばいい。なかなか見つからんと思うがね」
「診療所の類じゃないと?」
「そう思ってくれてもいい」
ティージの答えはどちらとも取れなかった。タイオスはうなる。
「サングなのか? 当事者のジョードも思い出せなかった場所を見つけてさっさとどこかに連れるなんざ、魔術師の仕事に思えるが」
「そう思うなら思えばいいさ」
「ティージ、てめえ」
意図的にはっきりしない返答ばかり寄越す男に、タイオスは腹を立てた。
「俺に怒るなよ。俺が悪いんじゃない」
男はひらひらと手を振った。
「ま、信じろとは言わん。信じるも信じないもあんたの自由。じゃ、伝えたからな」
「待て、この、押し売り情報屋め!」
こちらが依頼してもいない情報をべらべら述べ立てる。金の請求はいまのところないものの、これを押し売りと言わずして何と言えばいいのか。
「せめて証拠を寄越せ。ルー=フィンが無事で、お前の主人に治療を受けてるという証拠を」
「そんなもん」
ない、或いは、内緒だ、とでもくるかと思いきや、ティージの答えはこうだった。
「黒髪の子供に聞きな」
「な……」
にやにやして返したティージにタイオスは口を開けて絶句し――男がのんびりと手を振って姿を消すのを黙って見送ってしまった。