06 どこまで知ってるんだ
夜が白々と明けはじめても、結局、ジョードはタイオスを問題の建物まで案内できなかった。
彼は本当に忘れていたのだ。実際、彼には戻る理由はなかったし、覚えておこうという気持ちも働かなかった。そこにタイオスも気づかざるを得なかった。
〈柳と犬〉のもう一室には、やはり誰もいなければ、何も残されていなかった。町を巡る途中で幌馬車の厩舎を覗いたが、馬はそのままだった。彼らは忽然と、姿を消したのである。
それからまずタイオスらは〈縞々鼠の楽しい踊り〉亭に足を向けたが、やはり、ルー=フィンは戻っていなかった。イリエードとは一旦分かれ、タイオスは意気消沈した体のジョードを伴って、リゼンの町をずっとうろついていた。
ジョードと話をすると、盗賊が仮面の男を魔術師だと信じていることが判った。タイオスはそうじゃないと告げたが、ではあの魔術のような技は何なのかと言うと、戦士には説明ができなかった。ただ、魔術師サングが違うと言ったのだから違うのだろう、と思っていた。サングがそんなことで嘘をつく意味などないはずだ。
「もう……帰ろうぜ……」
足取りをふらふらとさせながら、ジョードは呟いた。
「もう、判んねえって」
「お前が言うな」
タイオスはぴしゃりとジョードの後ろ頭を叩いた。
「だってよお、昨日の朝早くから俺は働きっぱなしで」
「それは俺も同じだ! お前らのせいでな!」
「俺はあんたほど体力ないんだからよう……」
目を真っ赤にしてジョードは欠伸をした。
「じゃあちょっと、ちょっとだけ休もうぜ……」
「それなら、提案がある」
タイオスはぱしんと手を叩いた。
「町憲兵隊の留置場で、ゆっくり休むってのはどうだ?」
「じょ、冗談」
盗賊は慌てた。
「だいたい、俺は何もしてない」
「何もしてない、だと?」
ぎろりとタイオスは相手を睨んだ。
「ああ、そうだろうよ。女子供を力ずくで拉致したのはカル・ディアでの話でリゼンじゃないな。騙されているにしろ、リダールが自分の意志でお前らについていった以上は、俺に居どころを隠すのも『何もしていない』部類だろうさ。だが」
彼は脇腹を撫でた。放っておけば何ということもないが、押せば痛い。その程度で済んだのは幸いと言えるだろう。
「ちんぴらに俺を襲わせたのは、誰だ? あの野郎は捕まって、町憲兵は身元を確認しただろう。お前に頼まれたのかと尋ねれば、否定する理由はないだろうな」
「う……」
ジョードは詰まった。
「た、大した犯罪じゃない」
「まあな。俺は死んだ訳でもないし。剣を抜いたから、俺もお咎めを受ける可能性は大だ。だが町憲兵がきちんと調査すりゃ、俺は放免、お前は留置場」
現実には、そう巧く行くとは思えない。おそらく町憲兵は、タイオスもジョードも捕まえて適当に留置するか罰金を食らわせるだろう。彼らにとっては調査よりその方が楽だからだ。
しかし、実際に咎があるのはジョードの方。それは事実である。その自覚のある盗賊は、強気に出られなかった。
「と言っても……本当に、場所は判らなさそうだな」
渋々とタイオスは認めた。
「仕方ない。やっぱり町憲兵隊に」
「よ、よせよ」
ジョードは逃げ腰になったが、徹夜明けの身体は俊敏には動かなかった。
「お前をつき出すとは言ってない。多少は俺の胸がすくが、何の解決にもならない。俺自身、あまり詰め所に顔を出したくはないしな」
またイリエードに頼むか、と彼は考えた。
ジョードの話によれば、盗賊と剣士は人々の屋根の上を駆け回った訳だ。町憲兵隊に通報が行っていることは、十二分に考えられる。遺体が――発見されていれば、なおさら。
きゅ、とタイオスは胃の辺りが痛くなるのを感じた。
(ルー=フィン)
(俺は、あいつを巻き込んで、死なせちまったのか)
(いや……ヨアティアを追うのはあいつの使命でもあったが、それにしても)
(独りで行かせたり、しなければ)
タイオスが同行したところで、どうなったかは判らない。サングのいないいま、魔術としか思えぬあれらの技に抵抗する術は、彼にもないのだ。
(〈峠〉の神様よお)
(あんたは、きっと、あいつを守ったよな? 死んだなんてのは間違いで……きっと)
彼はそう望んだが、ルー=フィンが生きているならば、〈縞々鼠〉に戻ってくるはずだとも気づいていた。
「……なあ、タイオス」
「何だ」
盗賊の声に、彼は無意識の内にやっていた〈峠〉の神への祈りをとめた。
「あんた、どこまで知ってるんだ?」
「何を」
問いかけが曖昧すぎる。戦士は顔をしかめた。
「だから、その」
こほん、とジョードは咳払いをした。
「ソディとか、ライサイとか……」
「ああ」
それか、とタイオスは呟いた。
「あまり詳しくは知らん。ただ、ソディって一族がウラーズ国にいて、ライサイとかって魔術師を崇めてるとは聞いた。一連の誘拐はそいつらの仕業。そのことはアル・フェイドでもうバレてる」
「アル・フェイドで?」
それはジョードには初耳だった。盗賊は驚く。
「他国でも、やってたのかよ」
「そうらしい。……じゃ、お前はそのときからの仲間じゃないのか」
「違うさ。俺がやったのは、カル・ディアでだけだよ。ミヴェルから声をかけられて」
「俺の手を踏みつけやがった女か」
「手を?」
「ああ、お前は見てないか。街道で、お前が馬車を駆って逃げようとしたときにな」
縁につかまったタイオスの手を踏んだのだ、と戦士は右手をひらつかせた。血は止まっており、包帯は邪魔なので外してしまった。普通にしていれば痛みもないが、かさぶたができて酷い傷跡に見せている。
「俺は満身創痍だよ」
げんなりと彼は言った。どれも大した傷ではないとは言え、生傷だらけだ。
「……カヌハ」
「ああ?」
「カヌハってのは、知ってるか」
「ソディ連中が暮らす村だったな」
「場所は」
「地図なら、あるが」
「何!?」
ジョードは色めき立った。
「見せろ、それ!」
「おい、何だいきなり。お前、俺に命令できる立場だと思ってんのか!」
「じゃ、お願いします、見せてくださいって言えばいいか!?」
「ええい、目の色を変えて腕を掴むなっ」
タイオスがジョードの腕を振り払えば、体格で敵わず、なおかつ体力も弱っている盗賊は簡単によろめいて、へたへたと地面に座り込んだ。
「お前、カヌハに行く気なのか?」
「いや……別に」
問いかけに盗賊は目を逸らした。タイオスは顔をしかめる。
「別にじゃないだろ。いまの台詞は、どう考えてもそういうことじゃないか」
「いや、ただちょっと、どこかなーって思って」
「訳の判らんことを言うなよ」
タイオスは両手を腰に当ててジョードを見下ろした。
「金か? 報酬をもらい損なったから受け取りに行ってやろうってか」
「そんなんじゃねえよ」
「じゃあ、何だ。連中がやばいのは、俺よりお前の方が判っていそうなのに、何でカヌハの場所を知りたがる」
「別に……知りたがってなんか」
「おいおい」
戦士は天を仰いだ。
「お前、俺が脅したからびびってついてきてるだけかと思ったが、さては、そうじゃないんだな」
気づいて、タイオスは片眉をひそめた。
「本当は、ずっとそれを俺に訊きたかった。カヌハの場所を知ってるか、と。リダールを追う俺なら、知らなかったとしても調べようとするだろう、それまでくっついていようと、そんなことを考えたんじゃないのか」
「俺は」
ぼそりと、ジョードは呟いた。
「ミヴェルが、可哀想で」
「ああん?」
「あんたには、そんなふうには見えなかっただろうけど。あいつ、ソディのなかじゃ迫害されてるみたいなんだ。いや、迫害とはちょっと違うのかな……〈しるしある者〉とかって地位を持ってるみたいだけど、その地位に相応しい能力を持ってなくて、見下されてて」
ぽつぽつと彼は語った。
「俺ならそんな故郷捨てるけど、あいつはそうじゃなくて。ソディのために、ライサイのために……エククシアのためにって、必死なんだ」
可哀想で、と彼は繰り返した。戦士はうなった。
「惚れてんのか」
「かもな」
ジョードは肩をすくめた。
「助けてやりたいと、思ったんだよ。いまでも、思ってる」
「うーむ」
タイオスは頭をかいた。
「だが、信念持ってる奴は、頭が固いぞ」
「よく判ってるよ」
「女のため、ねえ……」
彼はあごをかいた。気持ちは判らなくもない。彼だって、若い頃はそんなふうに思ったこともあった。
「タイオス!」
「何だよ!?」
不意にジョードが力強く叫び、戦士は叫び帰した。
「奴らはカヌハに向かったに決まってる。あんたは行くんだろ? リダールを助けに。俺も行く。ミヴェルを助けに」
ぎらりと盗賊は目を光らせた。
「俺を一緒に連れてってくれ」
「お……おいおい」
堰を切るように言った盗賊に、彼は戸惑った。
「無茶を言うな」
「何でだよ」
「何でって、行きたきゃ行けよ。場所なら教えてやってもいい。何で、俺となんだ」
「そりゃ、戦士と一緒なら旅路の不安も減るからさ」
「俺を護衛にしようってのか?」
「そういう訳じゃないけど、あんたが独りで行くのだって無茶じゃないとは言えないだろ」
「あのな。だいたい俺は、何も、カヌハまで行くと決めてなんか」
「じゃあ、行かないのか?」
「うう……」
戦士は即答に迷った。何もなかったことにして逃亡を決め込む、との選択肢は、いまでも存在する。これまでも散々、悩んできたことだ。だが彼は結局、違う道を採ってきた。
(今回は?)
(どうするんだ、俺は?)
「ええい、まずはとにかく、ルー=フィンだ!」
彼は叫んだ。
「ルー=フィンがどうしたか……本当に死んだのか、運よく瀕死のところを救われてどっかで看病でもされてんのか、俺としちゃ後者を祈りたいが、どちらにせよ」
確認をしたいと彼は言った。
「お前の言う通りなら、ルー=フィンは仮面がヨアティアだと見分けた。俺が『もしかして』と思うより確実な話だ。それで、もし、ヨアティアがルー=フィンを殺したのなら……」
タイオスは唇を噛んだ。
「俺はあいつの友としても、〈白鷲〉としても、ヨアティアの野郎をぶち殺してやらなきゃならん」
「なら、追うんだな」
「そういうことになる」
〈白鷲〉はうなずいた。
「よし、それじゃ話は決まりだ」
ジョードは指を弾いた。
「おい、何も決まってないぞ。俺はお前を連れて行くとは一言も」
「俺が町憲兵隊に話を聞いてくる。巧いことやるさ。盗賊を追ってった剣士の友人が帰ってこないんだが、何か騒動を聞いてないか、とかね」
「……追われた盗賊はお前だろうが」
「そんなの、町憲兵に判りっこないだろ」
ジョードは片目をつむった。
「任せてくれよ、相棒」
「盗賊を相棒に持つ気なんざ、ない」
苦々しくタイオスは返したが、ジョードはさっぱりしたように笑った。