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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第3話 異国 第1章
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04 そのものとしか

 こそこそと歩くのはお手の物だ。

 盗賊として生きていて、もうどれだけ経つのか。ジョードはふと過去を思った。

 初めての盗みは、まだ盗賊組合(ガーラ・ディル)などというものを知らなかった頃。組合は無許可の「仕事」に厳しく、子供だからと言って容赦をしないが、幸いにして初回はバレなかった。

 三度目でバレて、組合に規定の金額を納めるか手を切り落とされるかと脅された。そんなふうに言われれば、前者を選ばざるを得ない。最初は怖かったが、決まりさえ守れば組合はいろいろと都合してくれると判った。

 それからずっと、ジョードは「けちな盗賊」として過ごしてきた。

 テレシエールのような派手な仕事に憧れたこともあったが、失敗に放逐されたあとは、またけちな暮らしに戻ろうと思った。

 なのにどうして、こんなことに関わっているのか。

(世の中、思うようにはいかないもんだ)

 水場を探して手と顔だけは拭ったが、服についた返り血はいかんともしがたい。人目につけば騒がれそうだ。

 あれから仮面の男――ヨアティアはジョードのことなど存在しないかのように姿を消し、盗賊は仕方なく、排水管を伝って地上へ降りた。もっとも、魔術で宿まで戻してやると言われても断っただろう。彼に魔術師への偏見はないが、正直なところを言うなら、少し怖く思うからだ。

(――あんなふうに、人を殺せるんだな)

 魔術と言うものは。

 急に寒気がやってきて、ジョードはぶるぶると身を震わせた。

(喧嘩でぶっ刺すとか、海に投げ込むとか、そういう判りやすい乱暴の方が……何て言うのか)

まし(・・)のような気がする)

 若いが、よい剣士だった。彼でもそう思う。あんなふうに追跡されたのは初めてだった。もしジョードがやぶれかぶれになって戦おうと考えていれば、数(トーア)と保たずに敗れていたことだろう。

 だが、そんな腕利きの若者でも、魔術の一撃の前に倒れた。

 あのときジョードは我知らず、剣士を助け起こそうとして手や服を血まみれにしたが、意味のないことだとすぐに悟った。

 遺体はいつ発見されるだろうか。ジョードはふとそんなことを考えた。

 階下からの扉はあったが、日常的に屋上が使われている様子はなかった。腐臭がし出して、知れるだろうか。それとも(ビルク)でも集まり出して。

 気味の悪い想像をした彼は、慌てて厄除けの印を切り、道を急いだ。

(ええい、考えるのはやめよう)

 ジョードは首を振った。

(現状、俺は仮面と敵対してないし。俺が殺されることはない。たぶん)

 彼は自分に言い聞かせた。

 ちょっと近くの酒場で酒を追加するだけのはずが、思わぬ時間を取ってしまった。ミヴェルはどうしているだろうか、と彼は考える。

(俺のことを心配して……は、いないだろうな)

 どこをほっつき歩いていた、と叱責はされそうだ。そんなふうに思いながら青年盗賊は、宿の裏口へと回った。表からは入りづらい格好である。

 幸いにして、まだ裏の戸に錠は下りておらず、盗賊はきちんと金を払って泊まっている宿にこっそりと忍び込むという間の抜けた行為を成功させた。これでようやく、少し息がつける。

 とにかく着替えたいと思った。ジョードはそろそろと廊下を歩き、暗い階段を上がって、ミヴェルとリダールのいる部屋の戸を叩く。

「あー、すまん。遅くなっ……」

 どんな言い訳をしたものか、嘘をつく気はないがどういう順番で話をしようか、などと頭のなかで出来事を再構成しながら取っ手を回したジョードは、その場で目をぱちくりとさせる羽目になる。

「……ミヴェル?」

 女は、いなかった。

「リダール?」

 少年も、また。

 ただ「いない」だけではない。卓の上はざっと片づけられており、飲みかけの酒杯は一箇所に集められている。片隅にいい加減に置いた荷物もなく、まるで、礼儀正しい人が発ったあとのような。

 いや、そのものとしか、見えなかった。

「おい……」

 ひとつだけ目に入ったのは、ジョード自身の私物が入った、大して価値のない鞄。それ以外は、何もなかった。

「どうなって」

 いるんだ、と呟き終えることができなかったのは、幸運神が完全に彼を見放したためか、はたまた。

「俺はもう、お前との追いかけっこはこれで終わりにしたいね」

 不意に彼を背後から捕まえた男は、苦々しげな呟きを洩らした。

「げ……」

 〈柳と犬〉亭にたどり着いた戦士ふたりは、探し人らしき連中がそこに宿泊していることを突き止めた。濃い色の肌もリゼンでは特徴的だが、何より仮面は目立ちすぎる。間違いなかった。

 イリエードは宿の人間を何やかやと言いくるめて彼らの部屋を聞き出し、彼らが用心深く階上へ出向いたところで――ジョードの帰還に出くわしたのである。

「な、何でここに」

 もちろんそんな事情を知らぬジョードは、焦りに焦った。タイオスとジョードの身長はあまり変わらないが、体格に差がありすぎる。タイオスは盗賊を持ち上げるようにしながら室内へ入り込み、イリエードが悠々と、扉を閉めた。

「リダールは? 別の部屋か」

「は、放せっ」

「言えば放してやってもいい」

「ここだよ! ここにいたんだ!」

 盗賊は叫んだ。

「何?」

「いなく、なっちまった。どこに行ったのか、俺も知りたい」

「出鱈目を」

「本当! まじ! 誓ってもいい!」

「盗賊の誓いなんぞ信じられるか」

「じゃあどうすればいいんだよ」

「本当のことを言えばいい」

「だから、言ってるんだってば」

 盗賊は必死の弁明をしたが、戦士は無情に、そのまま獲物を前方に突き飛ばした。為す術なく、ジョードは絨毯張りの床に突っ伏す。

「ここなら、人目もないな」

 剣を抜く音に、ジョードは顔を青くして立ち上がると振り返った。それを見て、剣を抜いたタイオスは目を見開く。イリエードも顔をしかめた。


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