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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第1話 護衛 第1章
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09 少し判ったようだ

 五日の旅路による肉体的疲労より、キルヴンの依頼による精神的緊張より、タイオスはリダールとのやり取りにすっかり疲れてしまった。

 そんなタイオスが、借りた部屋で長椅子にくたっと寝転んでいれば、使用人と思しき男が茶を運んでくる。

「驚かれましたでしょう」

「ああん?」

 戦士は身を起こして、何のことだと尋ねた。

「リダール坊ちゃまです。いささか、年齢よりも幼いと感じられたでしょう」

 言いながら銀杯に茶を注いでいるのは、タイオスよりも十は年上と見える初老の男だった。キルヴン邸の印章が刺繍された手布を腕にかけ、黒っぽい使用人服を着ている姿にいくらか違和感があったのは、その制服の形がほかの使用人と異なるからだった。

「そうだな、いささか」

 本音は「いささか」どころではないが、タイオスは苦笑いを浮かべて同意するにとどめた。

「あんたは?」

「キルヴンの街から、坊ちゃまの付き添いとしてやってきております。ハシンと申します」

「成程」

 「坊ちゃま」専属世話係、という訳だ。

「まあ、かまわんよ。俺は奴を叩き直せと雇われたんじゃない。むしろあの方が、素直に俺の言うことを聞きそうだ」

 なまじ剣の腕を持つと、実戦の経験がなくとも立派な剣士のような気分になり、タイオスの指示を無視して剣戟をはじめてしまうような危険性もある。それよりは、いっさい心得がない方が却って安心というもの。

「姫君扱いですか」

「『坊ちゃま』に失礼な、と?」

 少し意地悪く、タイオスはにやっとして尋ねた。使用人ハシンは、しかし腹を立てたりリダールを持ち上げたりはしないで、仕方なさそうに息を吐いた。

「奥方様が、まるで壊れもののように、リダール様を優しくお育てになりました」

 ハシンは説明をはじめた。

「閣下は苦くお思いのところもございましたが、赤子の頃の坊ちゃまはとても身体が弱く、十まで生きられないのではないかなどとも言われておりました。幸いにしていまはずっと丈夫になられましたが、病の精霊(フォイル)には憑かれやすくていらっしゃいます。そうしたことから、閣下もあまり強いことは」

「ほう」

 家庭の事情という訳だな、とタイオスは思った。リダールが丈夫でないということも、伯爵が妻に弱いということも。

「伯爵家の内情をぺらぺら話していいのかい」

 今度は意地悪のつもりでもなかったが、結果的にそう聞こえるようなことを尋ねた。ハシンはそこで、わずかに笑みを浮かべた。

「秘密の話ではございませんし、もしこのお話でタイオス様が閣下や坊ちゃまに同情的になってくださるなら、積極的に坊ちゃまをお守りくださるでしょうから」

「ははあ、策士だな」

 タイオスも笑った。

「だが俺に策は要らんよ。仕事はきちんとこなすさ」

 〈白鷲〉の名誉に賭けて――などと不要なはずの一語が浮かんで、戦士はまた苦笑した。

「どうやらあんたは、もう少し俺に情報をもたらしてくれそうだ」

 銀製の茶杯に手を伸ばしながら、タイオスはハシンを見た。

「ロスム。エククシア。客観的かつ有用な話がほしい」

「――ロスム閣下は、以前よりナイシェイア様を目の仇になさっていて」

 ふう、と息を吐いてハシンは肩を落とすと、キルヴン伯爵の館のなかであるにもかかわらず、盗み聞きを警戒するかのようにタイオスの傍に近寄ると小声で続けた。

「サナース殿が亡くなった襲撃にも、関わっている可能性があります」

「何」

 思いがけず出てきた名前と、その台詞の内容に、タイオスはぎくりとした。

「証拠はあるのか」

「あれば、ナイシェイア様も黙っていらっしゃらない」

「成程」

 やはり、微妙なところだ。キルヴン側の思い込みではないとは言い切れない。

「しかしそうとしか考えられない節が多々あるのです。信じていただけなくても仕方ありませんが」

「俺には判定できん」

 正直に戦士は言った。

「ただ、キルヴン閣下が警戒する理由は、少し判ったようだ」

 事実はどうあれ、親友を殺されたかもしれないと考えているなら、息子の命にも危険を覚えることもあるだろう。確たる証拠がないためにロスムの提案を拒絶できないもどかしさが、〈白鷲〉と呼ばれたサナースの「後継」タイオスを呼ばせた。

「『少し』ですか」

「うん?」

 ハシンが引っかかるような物言いをしたので、戦士は片眉を上げた。

「ではもう少し、お判りいただきたく思います」

「……何だ」

 言ってくれ、と戦士は手招くようにした。

「リダール坊ちゃまと、ロスム閣下のご子息は、父親たちと違って仲がよろしかった」

「へえ?」

「ナイシェイア様は、子供たちのことは子供たちのことと、放っておかれた。ですがロスム閣下は、ご子息に坊ちゃまとの交流を禁じました」

「馬鹿げてるが、よくある話だな」

 それが?――とタイオスは続きを促した。ハシンは息を吐いて続けた。

「彼は、リダール坊ちゃまと同じ誕辰の日を一緒に祝おうと、父親に内緒でキルヴンの町に向かったのです。……その途中で、事故に遭った」

「ははあ」

 成程、と戦士は呟いた。

「息子の死は、キルヴン親子のせいと言う訳か」

「声高には仰いませんが、そう考えていらっしゃることは確実かと」

「それが高じて閣下を狙い、結果としてサナースを死なせたかもしれず……いまはリダールを、と」

 ロスムが本当にそれを企んだのか、いまも企んでいるのかは判らない。だが確かに、ナイシェイアがそう考えてもおかしくないだけの裏事情だ。

「判った」

 タイオスはうなずいた。

「『少し』じゃなく、よく判ったと言っておく」

 ハシンは安堵した顔を見せた。


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