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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第2話 再会 第4章
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12 やばそうじゃねえか

 こうした追走劇の経験などは、ない。

 ルー=フィン・シリンドラスがこれまで追ったことのある人物はふたり、〈白鷲〉ヴォース・タイオスと、ヨアティア・シリンドレンだけだ。

 タイオスのことは、「目で見て追った」のは彼の指示を受けた僧兵であって彼自身ではなく、ヨアティアについては、「足取りを」追っているだけ。このような直接的な追跡の経験はないのだ。もちろん、塀の上を走ることも。

 だが彼は、不安を覚えなかった。剣の腕同様、平衡感覚にも自信がある。そしてそれは決して過剰なものではなかった。

 盗賊ジョードは一度だけ振り返り、ルー=フィンが追ってきていることにぎょっとした顔を見せた。向こうは彼のことを知らないが、自分が追われていることは判りすぎるくらいに判っただろう。誰かが偶然一緒になって同じ塀の上を走っているようなことも、まずない。

 焦ったジョードは足取りを速めたが、天才剣士は引かなかった。ますます焦った盗賊が思いきって低めの屋根に素早くよじ登れば、ルー=フィンもついていった。屋根から屋根へと飛び移るという、普通なら恐怖心に押されてしまう行為も、あの盗賊にできて自分にできないはずはない、とばかりにルー=フィンはやはりこなした。

 タイオスだけであれば、あの小道が行き止まりだった時点でジョードの勝ちだったが、〈峠〉の神は最高の支援者を〈白鷲〉に与えたのである。

「くそっ、何なんだ、しつこいな!」

 ジョードは呟いた。

「そろそろ、諦めろ」

 それが聞こえた訳でもなかったが、ルー=フィンもまた声を出した。

「次には飛び損なって、落ちて死ぬぞ」

「盗賊にはよくある話だが、情けない最期だ」

 背後から追ってくる声は聞こえる。ジョードは乾いた笑いを浮かべた。

「どうか神様、それともライサイ様でもいいや。俺を守ってください」

 彼は適当な印を切った。しかし、そのいい加減な祈りは、神にもライサイにも通じなかった。それとも、普段から〈峠〉の神に祈りを欠かさない敬虔なルー=フィンの信仰心が勝ったものか、はたまたただの偶然か。

「げ」

 盗賊はついに、とてもではないが向こうに飛び移れないほど距離のある、ひとつの屋根の端に立ち尽くすことになった。

「ま、まずい」

 慣れた町ならばともかく、リゼンは初めてだった。五(ティム)か十分か、それだけ逃亡を続けられていただけでも奇跡のようなもの。仮に寛大な神が彼に加護を与えていたとしても、もう使い果たしたという訳だ。

「観念するんだな」

 平らな屋根の上で、ルー=フィンはすらりと細剣を抜いた。

「おとなしく話せば、殺しはしない。だが無闇にごまかしたり嘘をつけば、我が剣の錆になると知れ」

「何だ、何だよ、あんた」

 盗賊は引きつった。

「あの戦士野郎の仲間か? いつ、合流したんだよ。いや、いつだっていいけどよ。あのおっさんより、やばそうじゃねえか」

 少なくともタイオスは、街なかで剣など抜かなかった。いくら人目のない屋根の上と言え、ルー=フィンの抜剣に躊躇はなく、ジョードはおののいていた。

「ジョードと言ったな。子供を誘拐し、親元から引き離す、不届きな輩」

「子供ったって、ありゃあ成人してんだぜ。十八だ」

 彼は言っても仕方のない言い訳をした。もっとも、ルー=フィンは少し驚いた。

「十八?」

「そうそう」

 こくこくとジョードはうなずいた。

「それに、俺が無理矢理さらった訳じゃないぜ」

 今回はな、と内心でつけ加えながら黒い肌の男は続ける。

「あいつが自分でついてきたんだ」

「何を訳の判らないことを」

「本当だって!」

 ジョードは両手を振り回した。警戒するように、ルー=フィンは剣をかまえる。

「それは、お前の言い分だな。タイオスはそうは言わなかった」

「そりゃあ、戦士のおっさんにはそれなりの立場もあるだろうし」

「子供……その人物がお前たちについていく、真っ当な理由があるのか?」

「真っ当な、の、は、ないかもな」

 渋々とジョードは答えた。

「ならば、タイオスの選択は正しい。悪党に騙されている者を取り戻そうと言うのだろう」

 ルー=フィンの推測は、大筋で正解と言えた。

「ごたくはいい。話してもらおう」

「何をだよ」

 ジョードは逃げ道がないものかとそっと周辺を目で探りながら返した。

「居場所なんか、言わないぜ。俺ぁ……」

「ヨアティア・シリンドレンは、どこにいる」

 何より、彼の尋ねるべきはこれであった。

「……は?」

 ジョードは目をしばたたいた。彼はそんな名を耳にしたことはなかった。

「違う名を名乗っているのかもしれない。お前たちと一緒にいる男だ。仮面を身につけていると聞いた」

「あ……仮面、あいつ、そんな名前なのか」

 ぼそりとジョードは呟いて、首を振った。

「あいつの名前が何であれ、あいつの居場所だって、言えないことは同じだね」

 仮面とリダールらは同じ宿にいるのだ。

「剣を前に、言わぬと意地を張りつづけることは果たして、得策か? 考えてみろ、ジョードとやら」

「偉そうな奴だな」

 彼よりずっと年下の若者に脅されて、ジョードは唇をひん曲げた。

「でもな、ニイちゃん。言わねえものは」

 さっと盗賊は、腰に手をやった。

「言わねえんだよ!」

 素早く、彼の人生でこれ以上ないほど素早く、ジョードは滅多に使わぬ刀子を引き抜くとルー=フィンめがけて投げつけた。

 しゅん、と空気を切る音がする。

 剣士は動かなかった。

 動けなかったのではない。動かなかった。

「……どこに投げた?」

「いや、あんたに投げたつもりだったんだが」

 刀子は、天才剣士でなくとも「当たりそうもない」と判断できるくらい、明後日の方向に飛んで落ちた。

「もう少し、修行をするんだな」

「そうするよ」

 げんなりとジョードは両手を上げた。

「それには、ここから落ちることなく、下りる必要がある」

 ルー=フィンは切っ先を持ち上げた。

「ジョード。返事を」

「あああああ、もう!」

 彼は怒鳴った。

「何で俺ばっか、こんな目に」

 ジョードは、脅しだとたかをくくることもできなかった。戦士ではない彼なりの観察眼でもってしても、ルー=フィンの姿勢に隙はなく、本気で斬り込まれたら持ち前の俊敏さを活かす間もなく死ぬだろうと判っていた。

「くそ」

 だが、言えない。

 宿には、ミヴェルもいるのだ。

 彼女を危ない目に遭わせる訳には。

「ジョード」

 ルー=フィンはゆっくりと近づいた。彼としてはタイオスの忠告に従うつもりでいた。もとより、人殺しなど好かないのだ。使命や悪党の成敗であれば別だが、「話さなければ殺す」には、あまり正義はなさそうだ。

「言え」

 再三、剣士は口にする。向こうが本気で怖れるのは、言うなれば向こうの勝手だ。

「こうなったら、仕方ねえ」

 ジョードは悔しそうに息を吐いた。

「あのな。さっきの酒場があるだろ」

 盗賊は空中の一点を指した。

「そこから右に二街区、大きな通りに当たったら左に折れて、派手な赤い看板の」

「出鱈目は要らない」

 ルー=フィンはジョードの弁舌を遮った。

「何だよ。俺が嘘をついてるって根拠でもあんのか」

「根拠などはない。ただ、出鱈目だと感じた」

「へえ、そりゃすげえ。あんた魔術師か」

 もちろんジョードは本当にルー=フィンが魔術師だと思ったのではない。だが、いい勘してやがる、と内心で舌打ちはしていた。

「言葉による道案内は要らない。お前自身に案内してもらう」

「へ」

 ジョードは目をしばたたいた。

「俺を脅し続けながら地上まで下りようってのか。そいつは難しいんじゃねえの、ニイちゃん」

「やってみなくては判らない」

 ルー=フィンはつかつかと歩み寄ると、剣先をジョードに突きつけて盗賊の動きを制すると、彼の手首を捕まえてひねり上げた。

「あいた、あいたた」

「さあ、行こうか」


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