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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第2話 再会 第4章
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11 何をやっても

「――あ、ありゃあ」

 タイオスは口を開けた。

「まじか」

 それから口もとを引き締めると、ルー=フィンにもイリエードにも何も言わずにずかずかと歩き出した。

「おい、どうし……あ、あいつ」

「濃い肌の男」

 ルー=フィンもまた、それを認めた。入り口から機嫌よく入ってきた盗賊は、にまにまとしながら、給仕から紙袋を受け取っているところだった。

 しかし彼のほろ酔い気分は、瞬時に冷める。

「げっ、何で!」

 タイオスに気づいたジョードは、目を見開き、慌てて左右を見回した。

「に、逃げなけりゃ」

「逃がすかあっ」

 戦士は場所をわきまえずに全力で広い食堂を駆け抜けた。気の毒な客から悲鳴が上がる。

「よせ、ヴォース! ここで暴れるなっ!」

 護衛たるイリエードは友人に叫んだ。

「すまん、怪我人と損害は出さんようにする!」

 叫んだタイオスに向かって、ジョードがひっつかんで投げた酒杯が飛んできた。反射的に彼がそれをよければ、当然、それは彼の後方に向かって飛んでいき、悲鳴と陶器の割れる音が響くことになる。

「……なるべく」

 ぼそりと戦士はつけ加えた。

「くっそ、冗談じゃねえ」

 ジョードは罵倒文句を連発した。それはタイオスに向けたものか、ぺらぺらとこの店をばらしたちんぴらへか、はたまた、よりによってこのタイミングで店を訪れた自分の運のなさに対してか。

 盗賊は出入り口との距離を計った。決して遠くはない。店の奥まで入る必要もないと、扉の近くで給仕を捕まえ、葡萄酒(ウィスト)を一本、持ってこさせたのだ。

 だが手が届くほど近い訳でもなければ、戦士は当然、彼の逃亡を警戒している。タイオスがまっすぐジョードに向かってくれば彼は扉に行き着いたが、戦士は出口を視野に入れて動いている。ちょうど扉の前で捕まることになりそうだ。

「ええい!」

 ジョードは再び、今度は皿を投げた。そして出口と反対方向に走り出す。

「どこへ」

 行く気だ、とタイオスは顔をしかめ、角にある開いた窓に気づいた。

 身軽な盗賊は猫のように窓枠に飛び乗ると、ぱっとその向こうに姿を消す。

「待ちやがれっ」

 タイオスは反射的にそれをそのまま追いそうになったが、はっとして行き先を扉に戻した。彼の体格では、窓を抜けるのに意味のない時間がかかってしまう。

(急げ)

 小道に入り込まれては、見失う。よく知るコミンならばともかく、そうではない。

 ばたん、と扉を開けて、戦士は夜のリゼンに飛び出した。

(さっきは追われたが、今度は追う方だ)

(ええい、忙しい!)

 すぐさまタイオスはジョードの逃げた窓の方角へ地面を蹴り、盗賊を探した。

 そこは、十字路だった。まっすぐ先には誰もいない。ならば右か左か。

「いない」

 右にも、左にも。

 戦士はまさかと思った。いくら盗賊が素早くても、素早すぎると。

(いや、待てよ)

 彼ははたと気づくと、目線を高くした。案の定、塀の上を走る盗賊の姿が目に入る。

(この年になっても)

(まだ、覚えることはあるもんだ)

 町憲兵でもない彼としては、町のなかで盗賊を追うなどやったことがなかった。だがこの数日で二度。ジョードのような盗賊を追うのは平原で山賊を追い回すのとは違うコツが必要だと判明した。

 タイオスは視線を上に向けたまま走り出す。だが、見つけたからと言って容易には追い続けられない。たとえ道が行き止まりでも塀の上ならば曲がれるし、もっと上――屋根の上などに昇られれば、見えなくなってしまう。

 そうした事態になる前に、すぐさまルー=フィンが追いついてきた。

「あれだ」

 戦士が盗賊を指せば、若者は少し驚いた顔をして、それからうなずいた。

「判った」

「判ったって」

 何が、とタイオスが問うより早く、ルー=フィンは路地に無造作に置かれている樽を足がかりにして、盗賊のごとくひょいと塀に登ってしまった。

「お、おい」

 タイオスは焦った。

「危ないだろ」

「大丈夫だ」

「俺には、無理だぞ!」

 念のためにタイオスは叫んだ。彼には昇るだけでも難しい、ましてや、その上を追いかけるなど。

「任せろ」

 言う間にルー=フィンは、ジョードを追いかけて、実に器用に、極細の「盗賊たちの道」を駆け出した。

「お前は、そこで待っていろ!」

 ルー=フィンはどうやら、そうしたことを言ったようだった。と言うのは、既に遠ざかりつつあった若者の声は、あまり明確に届かなかったからだ。

「うーむ、大したもんだ」

 思わず呟きが洩れる。

「できる奴ぁ、何をやってもできるんだな」

 剣に特化して優れる戦士や、逃げ足に特化して優れる盗賊からすると、腹立たしいくらいの万能さである。もちろんいまは、助かるのだが。

「しかし」

 待っていろと言われたからと言って、ではお願いしますと呑気に待っているのも気が引ける。いや、彼の気分などはどうでもいい。落ち合う先を決めてなどいないのだから、ルー=フィンがジョードを捕まえて宿を吐かせたり、或いはやはり本業には敵わずに見失って戻ってくるのをじっと待つのが無難な策ではあるだろう。

(だが)

(俺だって、ジョードを捕まえた。だが、あいつはなかなか吐かなくて)

(その上、エククシアが)

 〈青竜の騎士〉が現れて、盗賊を逃がしたのだ。

(あの野郎、どこにでも現れやがるからな)

 ルー=フィンと、エククシア。剣の腕、少なくとも速さは、ルー=フィンの方が上ではないかと思う。しかし経験は、エククシアの方が上だ。

 彼らが剣を合わせたらどちらが勝つものか、タイオスには見当もつかなかった。

(……一(リア)

(見てみたい、とか思っちまったな)

 タイオスは首を振って、不謹慎な好奇心を振り払った。

(俺もできる限り追うか)

 彼はぱっと走り出したが、すぐにうなり声を上げて足を止める羽目になった。道は袋小路だったのである。タイオスは背伸びなどして塀の上を見上げてみたが、もはや盗賊と剣士がどちらに行ったのか、さっぱり判らなかった。

「気をつけろよ、ルー=フィン」

 彼はそっと、腰の護符に手を触れた。

(俺よりあいつを守ってやってくれや)

「――ヴォース!」

「イリエードか」

 彼は後ろを振り向いた。

「どうした。見失ったのか」

「あの上を」

 と彼は塀を指す。

「ひょいひょい逃げて行きやがった。俺にゃ無理だが、相棒が器用に追いかけてるよ」

「ははあ」

 イリエードはにやりとした。

「爺さんは待機か」

「誰が爺さんだ」

 中年戦士は顔をしかめた。

「お前だって、俺と大して変わらないだろうが」

「だから、待機だよ」

 もうひとりの中年戦士は肩をすくめた。

「俺はもう、街道に出て剣を振り回すのはやめた。店の護衛なら剣を佩いて睨みを利かせてるだけでいいんだからな、楽なもんさ。たまに喧嘩してる奴を放り出す必要はあるが、そういうのはこっちを殺ろうと暴れてる訳じゃない」

 外壁の内側での仕事をして、彼は「待機」と言ったようだった。

「あの銀髪は、いい腕してそうだな。若いのに任せて、お前は店で酒でも飲んでろよ」

「そうもいかんわ」

 タイオスは顔をしかめた。

「実はな」

 と彼は簡単に、事情を説明した。誘拐された子供を追ってカル・ディアからリゼンへきたのだという程度の話だ。

「さっきのジョードって盗賊が、その子供をどっかの宿にでも捕まえてるはずなんだ」

「それなら町憲兵隊にでも協力を仰いだらどうだ。宿を適当に当たって今日の客の人相風体を確認するくらいなら、手伝ってくれるかもしれんぞ」

「俺ぁさっき、ちんぴらに絡まれて剣を抜いたところを町憲兵に見られちまってね」

「阿呆。何をやってんだ」

「仕方ないだろ、いきなり殴りかかられて。自衛だよ」

「なら、そう言えばいい」

「信じてもらえると思うか?」

「思わん」

 旅の戦士など、町憲兵隊にとっては「余所からやってきた厄介な暴れん坊」だ。ちんぴらを擁護する訳ではないにせよ、旅の戦士も肩入れはしてもらえないのが普通。

「じゃ、仕方ない。俺が手伝ってやろう」

 にやにやとイリエードは言った。

「はあ? 酒場の護衛が、何を手伝えるってんだ」

 胡乱そうにタイオスは尋ねた。

「あの店の主人はな、名付けのセンス以外は、けっこうな人物なんだよ」

 〈縞々鼠の楽しい踊り〉亭の護衛は肩をすくめた。

「彼の望みで盗賊を探してる、と言や、協力してくれる宿屋も多いはずだ」

「ほう?」

 タイオスは片眉を上げた。

「だが、お前は仕事があるだろう」

「なあに、営業時間中、ずっと店内で客を睨んでなきゃならんってこともないさ。騒ぎがあって呼ばれれば、出ていきゃいいんだ。それに、今日は夜半でほかの奴と交替なんだが、そいつは暇だったらしくてね。もうきてるんだ」

 いまも任せてきた、と〈縞々鼠〉の護衛は言った。確かに楽な商売のようだな、と戦士は納得した。

「それじゃ、頼めるか」

「アスト酒一本で引き受けてやる」

「よし」

 乗った、とタイオスは片手を差し出した。イリエードはその掌をぱちんと叩いて、ついてこいよと踵を返した。


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