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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第2話 再会 第4章
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10 厄介の先々で

 などと、盗賊とソディの女と貴族の息子が奇妙な酒盛りをはじめた頃、中年戦士と青年剣士は町憲兵からの逃亡劇に一段落をつけていた。

「あんまり、しつこくはなかったな」

 息を切らせながら、タイオスは判定した。

「血痕でもあったらやばかったろうがな。いやあ、斬らなくてよかったよかった」

「〈白鷲〉があのようなことで捕縛などは不名誉だ。気をつけろ」

 淡々とルー=フィンは言った。タイオスは片眉を上げる。

「そりゃ、油断だと言われたら仕方ないがな。まさか予測しないだろう、角を曲がったらいきなり殴られるかもなんざ」

「それを責めたんじゃない。私の話を聞いていなかったのか」

 説教する口調で、彼は続けた。

「無防備な相手を殴りつけたりするからだ」

「だから、無防備な俺が殴りつけられたことはどうでもいいのかと」

「やられたことを同じようにやり返す、それがお前の正義なのか」

「そこまで大げさな話にせんでも……」

 タイオスは頭をかいた。

「理不尽な仕打ちを何でも耐え忍んだら偉いってもんでもなかろうに」

 それはもしかしたら美徳かもしれないが、彼の柄ではない。そんなふうに言えば、ルー=フィンは納得したのかどうなのか、少なくとも黙った。

「ともあれ、今夜をどう過ごすかだが」

 ジョードが、つまりはリダールがこのリゼンにいるのであれば、呑気に宿など取って休むより、どうにかして見つけ出したい。

 しかし難しいだろう。おそらく、夜明けの〈縞々鼠〉だけが機会だ。タイオスとルー=フィンとふたり揃って〈ひょろ長ジョード〉を逃すことになるとは思えないが、向こうには魔術師ではない魔術の使い手もいる。

(――本当に)

(ヨアティアだったのか)

 何だかだんだん、怪しくなってきた。自分はとんでもない勘違いをして、ルー=フィンを巻き込んでいるのではないか。

(いや、しかし)

(あれがヨアティアだからこそ、黒髪のガキがうだうだ(・・・・)と)

(……それならそうと、判りやすい啓示をくれりゃあいいのに)

 神というのはケチなものだ、などとタイオスは不敬なことを考えた。

「何を考えている」

「え? あー、いやいや、〈峠〉の神に、無事に逃げ切れた感謝の祈りをね」

 適当なことを言えば、適当なことだと見破られたようで、ルー=フィンは彼を睨んでいた。

「〈鼠の踊り〉だかに行くのか」

 ルー=フィンが問いたかったのはそちらだったようだ。

「そうだなあ」

 タイオスは考えた。

「そうだな。そうするか。ジョードがその店を指定したなら、昼間か夕刻の内に利用した可能性もある。ここじゃ色の濃い肌は比較的珍しいから、誰か覚えてるかもしれん」

 船乗りの多いカル・ディアならば日に灼けた肌の持ち主も多いし、南のラスカルト地方であれば、南岸線の住民はみな生まれつき肌が黒いと言う話だが、リゼンは海から離れている。驚かれるほど珍しくはないものの、印象は強いはずだと思った。

「ええと、向こうから走ってきたんだから……」

 タイオスは、先ほど頭のなかに作り上げた地図と現状を一致させようと、空中に指を走らせた。

「あちらだ」

 だが彼が答えを出す前に、ルー=フィンが指を差す。

「少し走っただけで迷ったのか?」

 片眉を上げて、銀髪の若者は尋ねた。

「――〈白鷲〉が情けない、とか言うなよ」

 顔をしかめて、タイオスは釘を刺した。

「そうは言わない。ただ、熟練の戦士としては、情けないかもしれないが」

 ちくりとやられた。中年戦士は天を仰ぐ。

「そう言うがなあ、俺は」

「判っている」

 剣士は片手を上げた。

「お前は、逃げることを主眼にした。だから私はそれを任せ、位置の把握に努めた。それだけだ」

「……判ってるじゃねえか」

「だから、『判っている』と言った」

 ルー=フィンは肩をすくめた。

「行こう」

「おうよ」

 言うことはいささか生意気だが、これはなかなかよい相方ではないか、とタイオスはにやりとした。

 大口を叩く気質など持たない銀髪の剣士は、確かに街路の位置関係を上手に理解していた。彼らはほどなく、〈縞々鼠の楽しい踊り〉なる、「ふざけた」名前の店にたどり着く。

 それは大して特徴的なところのないごく普通の酒場に見えた。客には二十代から三十代の男が多く、仲間たち同士で大笑いなどしているが、酔っぱらって暴れているようなことはない。奥の方にある小舞台らしきところには吟遊詩人(フィエテ)が座って弦楽器(フラット)を奏でており、その近くには恋人同士と思しき男女が肩を寄せ合っている。

「思ったより広いな」

 タイオスは言った。

「これじゃ、訊いても無駄かもしれんが」

 念のため、と戦士は給仕たちが複数集まっている厨房の出入り口の付近に向かうと、これこれこういう男を見なかったかと尋ねた。

 残念なことに結果は芳しくなく、彼らは一様に首を振った。

「駄目か」

 おとなしく夜明けを待つか、はたまたほかにやりようがあるか、と戦士が両腕を組んだときである。

「――おい、お前」

 背後から、どすの利いた低い声がかけられた。

「まさかここで、騒ぎを起こそうって言うんじゃないだろうな」

「何だと?」

 顔をしかめて、彼は振り向いた。

「どうして俺がそんな……イリエード!」

 覚えのある顔に、タイオスは叫ぶ。

「はは、やっぱりヴォースか」

 彼の背後に立ったのは、戦士仲間のイリエードだった。差し出された手に、タイオスはぱしんと手を合わせる。

「リゼンに用事でも?」

「いや、そうじゃないが」

「まさか、わざわざきてくれた訳でもないだろうな」

「生憎、違う」

 戦士は肩をすくめた。

「いやあ、確かお前さんがリゼンで仕事してたなとは思ったが」

 タイオスはにやりとした。

「こんな素敵な店名の酒場とはな」

「それを言うな」

 イリエードは苦笑いした。

「言いたくなかったからな、言わなかったはずだ。それじゃ、偶然か」

「ああ、どうやらお前とは、厄介の先々で再会する運命らしい」

「厄介だって?」

 戦士仲間は眉をひそめた。

「今度は何だ。また、ここが襲撃されたりせんだろうな」

「それはない。たぶん」

 かつてコミンの〈ひび割れ落花生〉でタイオスが、と言うよりもハルディール王子が襲われそうになったとき、そこの護衛戦士をしていたのがイリエードだった。

 自分の人生は「運命」などで定められてはいない、と思うタイオスだが、これにはいくらか不思議なものを感じた。偶然だとしても「不思議な偶然」だ。

「そっちの若いのは?」

「ルー=フィンだ。ルー=フィン、こっちはイリエード。昔馴染みだ」

 紹介された若者は、軽く会釈をした。

「ちょうどいい、実は人捜しをしてるんだ」

 そう言ってタイオスは、それ以上の前置きなく、ジョードの背格好を語った。

「お前、見なかったか」

 正直なところ、期待はしなかった。だが尋ねておくに越したことはないと思ったのだ。

「あー……」

 記憶を探るかのように、イリエードは両腕を組んだ。

「そいつ、もしかして、盗賊か?」

当たりだ(レグル)!」

 タイオスは大きな声を上げた。

「見たんだな」

「ああ。歩き方が盗賊っぽかったからな、護衛戦士としちゃ、気にして見てたのよ」

 イリエードはうなずいて説明し、タイオスは口笛を吹いた。

「さすがだね。うん、やるじゃないか」

「何も出ないぞ」

 彼は苦笑した。

「いいや、出してもらう」

 タイオスは言った。

「あいつがいま現在、どこで寝泊まりしてるか、それをいますぐ、知りたいんだ」

「無茶なことを言いやがる」

 イリエードは笑った。

「俺は、尾行までした訳じゃないんだぞ」

 店でおかしなことをしないかどうか見張っていただけだ、と〈縞々鼠〉亭の護衛は肩をすくめた。

「そいつは」

 ルー=フィンが声を出した。

「食事をしにきたのか?」

「いや、酒を買いにきただけだ」

「酒だあ?」

 タイオスは顔をしかめた。

「調子こいて酒盛りでもしてんじゃないだろうなあっ」

 皮肉にも彼は、現状を言い当てた。もっとも、リダール少年までその酒盛りに参加しているとは、思いも寄らなかったが。

「あの野郎、いまに」

 彼がどんな罵詈雑言を発しようとしたのであっても、その言葉はとめられた。

「ん?」

 タイオスはルー=フィンを振り返った。

「どうした」

「どうしたとは、何がだ」

 銀髪の若者は緑眼に疑念を浮かべた。

「何がって、いま」

 注意を引くように、彼の袖口辺りを引かなかったか。そう問おうとして、タイオスははっとした。

「ガキ!」

「何?」

「あ、いや」

 ルー=フィンには、此度の件における黒髪の子供の話をしていない。隠し立てするつもりではなく、彼自身、どうにも胡散臭く感じる話だからだ。

 しかし、この感触。この感覚。

 子供はいま、彼に、何かを伝えようとしなかったか。


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