03 抵抗があるような
「何だ。はっきりと言え」
「誘拐自体にどう関わっているのか、よく判らん。ああ、それより実際のところ、絶対にヨアティアと決まった訳でも」
「何を言っているんだ」
ルー=フィンは顔をしかめる。
「お前は、何の根拠もない出鱈目を言ったのか?」
「根拠。は、あるような、ないような」
「タイオス」
苛ついたように彼は戦士を呼んだ。
「はっきりと言え」
「あの野郎によく似た声を聞いた。喋り方の調子もな」
宣誓するように片手を上げるとタイオスは告げた。
「そいつは俺に恨みを持っている風情だ。すっ転んだ俺を見て嬉しそうに笑ったさ」
「……待て」
「仕方ないだろう、馬車の荷台にな、こう、手をかけてのぼろうとしたら、その手を踏みつけられて」
彼は包帯を巻き直した右手で状況を再現しつつ主張した。また、〈白鷲〉のくせに転ぶなど情けない、などと糾弾されないように予防線を張ったのだ。
「それならば、面と向かったのだろう」
「ん」
何を言われたのかと目をしばたたき、それからタイオスはああと言った。
「ああ、そうだ。正面から顔を……」
戦士はまたうなる。
「合わせたような、合わせなかったような」
「タイオス」
今度は間違いなく、ルー=フィンは苛ついた声を出した。
「私を煙に巻こうと言うのか?」
「違う違う」
手を振って、タイオスは誤解をとこうとした。
「あのな。そいつはな。……こう、仮面で」
彼は自分の顔の前に手を出し、上から下へゆっくりと動かした。
「顔を隠してた」
「仮面だと?」
ルー=フィンは困惑した顔を見せた。
「何故だ。素性を隠すためか」
「それを隠したいとすりゃ俺になんだろうが、あんまり、隠そうって感じでもなかった」
肩をすくめながら、戦士は思い出していた。
『いいざまだな、タイオス』
優越感に満ちた、あの声。タイオスを騙したいのであれば、無言を保った方が適当だったろうに。
(もっとも、俺を馬鹿にする機会を棒に振りたくなかっただけかもしれんが)
声を聞かせるべきではないと判っていたがどうしても笑ってやりたくなった、などという理由かもしれない。戦士はそんなことを思った。有り得そうである。
「仮面」
ルー=フィンは繰り返し、考えるようにあごに手を当てた。
「心当たりでも?」
今度はタイオスがそう尋ねた。
「もしかしたら、ロスムのとこで見た……ってこた、ないな」
尋ねながら、すぐにタイオスは否定した。案の定ルー=フィンも、ないと答えた。
タイオスは、仮面をひと目見ても、まさかその奥に知った顔があるとは思わなかった。だから路地裏では、仮面を「エククシアに連れ添った魔術師」と考えたのだ。彼を嘲笑う声を聞いてようやく、記憶が刺激された。
だがルー=フィンが見れば、おそらくひと目で判るのではないか。彼はヨアティアのことを追ってきているのだし、何より、つき合いが長い。
タイオスがヨアティアと顔をつき合わせたのは、多く見積もっても、合計で一刻分もあるかどうか。一方でルー=フィンは、十年くらいほぼ毎日、ヨアティアと顔を合わせていたはずだ。
たとえ仮面を身につけていようと、体格や身のこなしだけで、ルー=フィンはヨアティアに気づくだろう。
「仮面」
またしてもルー=フィンは呟き、息を吐いた。
「奇妙な話だ」
「いやはや全く」
タイオスは大いに同意した。
「念のために訊くが、ヨアティアに魔力なんてなかったよな?」
サングという本物の魔術師が否定したのだから、仮面男は魔術師ではない。非魔術師が魔術を振るう、サングも知らない特殊な術だという話だ。
タイオスはそこを理解していたが、話のとば口としてそういう言い方をした。
「何だって?」
「いや、それが」
かいつまんで戦士は説明した。
「魔術を……」
ルー=フィンは顔をしかめた。
彼にはどちらかと言えば「魔術師嫌い」の傾向があったが、そのためだけでもあるまい。
「奇妙な話だ」
「いやはや全く」
彼らは同じ台詞を繰り返した。
「その魔術のことはさておいても、それがヨアティアならば私は判る」
きっぱりとルー=フィンは言った。
「どんな理由で顔を隠したとて」
彼もまたタイオスと同じことを考えたようだった。
「行こう」
「ん?」
「私も、北へ行く」
「まあ、何だ」
タイオスは苦笑いをした。
「当然、そうなるわなあ」
だからこそ思ったのだ。
もしかしたら。
(まじで、神様のお導きか……とね)
段々、その思考に慣れて――慣らされていくかのようだ。中年戦士は乾いた笑いを浮かべた。
「何を笑う?」
「いいや」
彼は手を振った。
「何でもない」
ルー=フィンは首をひねっていたが、特に追及はしなかった。
「馬は向こうにつないだ」
若者は少し後方を指した。彼は街道上にタイオスとエククシアの影を見て、何か奇妙だと思って様子を見にきたのだと改めて話した。
「迷ったが、〈銀白〉も連れた。彼には私が乗る。疾駆は無理だが、歩きよりはましだ。もう一頭にお前が乗るといい」
「そりゃ、助かる」
タイオスでは〈銀白〉号に無理強いができなかったが、ルー=フィンにはよく慣れて、あれくらいの怪我ならば押して走るとのことだ。と言うより、結局〈銀白〉は主人からあれ以上離れることを嫌がっただけで、大して痛みを覚えていないのかもしれない。
(こうなりゃ、夜が更ける前にリゼンへ着くだろう)
(本当に……)
神のご加護、と考えることに抵抗があるような気もした。
これまでならば気軽に考えて、幸運神に感謝した。その時々に応じて、相応しい神に祈った。だが本気で、心の底からそうすると言うより、一種の形式みたいなものだ。
しかし、〈峠〉の神はそうではない。
信者とは言えないタイオスにも、その存在が信じられる。
その奇跡、その神秘を体験したからだ。その導きも。
(加護には感謝するが)
(操られているようで……好かないな)
自分の運命は自分が決めるものだと、そう考えて生きてきた。いまさら、全て神様の思し召しです、などと考えられるものか。
無駄な抵抗のように感じながらも、タイオスは〈峠〉の神に素直に感謝することができずにいた。