01 いったいどんな悪党が
〈化け狐の二本目の尻尾〉という言葉がある。
「人間を化かす妖怪狐には尾が二本生えている」との伝承から発生した言い方で、容易に信じられないものを目にしたときなどに「二本目の尻尾を見た」と言い習わす。
ヴォース・タイオスが感じていたのは、まさしくそれだった。
どうして、ルー=フィン・シリンドラスがここに?
もしや彼は、奇妙な夢を見ているのではないのか。どこかから――そう、たとえばリダールが思いがけぬ逃亡を図り出した頃から彼は夢の世界にいて、仮面男がヨアティアだとか、エククシアがまたしても彼に挑んできただとか、やっぱり負けそうになっただとか、そこにルー=フィンが現れただとか、これらは全て夢なのでは。
そんなことを思った。一瞬だけ。
「夢だ」という結論は、この上ないほど腑に落ちる解釈なのだが、同時に有り得ないと判っていた。〈二本目の尻尾〉を見たかのような出来事は、幸か不幸か、全て現実だ。
「何だ。人の顔をじろじろと」
「そりゃ、見る」
タイオスはうなった。
「お前さんが本物なのかどうか、悩んでるんでな」
〈白鷲〉がシリンドルの剣士にそう言ったのは、あれから少しあとのことだった。
ルー=フィンの登場をどう思ったか、エククシアはリダールの部屋から去ったときと同じようにライサイを呼び、同じように姿を消した。そのことに何か反応するよりも、タイオスは銀髪の剣士の存在に呆然とした。
「で、お前、本物なのか?」
「当たり前だ」
本物に決まっている、とルー=フィンは肩をすくめた。
タイオスは彼と数月前に会って以来だが、そのときよりも若者は痩せたように見えた。旅の暮らしなど、慣れていないのだ。
と言っても、病的だと言うほどではない。彼の鍛えた身体にはもともと余分な肉はなかったが、それがますます研ぎ澄まされたとも見えた。
「だがどうして」
どうしてこの場に現れたのかと問おうとして、タイオスははっとした。
(こいつは)
(――ヨアティアを追ってるんだ)
仮面の男がヨアティアであるのなら、ルー=フィンはその足取りを掴んで、猟犬のごとくあとをついてきたのか。大したもんだ、と感心したタイオスだったが、しかしそれは的を外していた。
「〈銀白〉が」
「ん?」
「私の馬だ。カル・ディアの厩舎に置いていたんだが、今朝方、盗まれた」
「はあ」
タイオスは目をしばたたいた。
「そりゃ運が悪かったな。管理の悪いとこだったんだろう」
「全くだ。装備品一式までやられた。北へ向かったと聞き、馬を借りて追ったんだが、石畳の壊れた路上で荷物が散らされていて」
「……ん?」
「怪我をした〈銀白〉に会った。いったいどんな悪党が彼を乱暴に扱ったのか」
「……ええと」
それはとても心当たりのある話だ、と戦士は思った。
「もしかすると〈銀白〉ってのは」
慎重にタイオスは尋ねた。
「白地に、灰色のまだら模様がある……」
「盗人を見たのか。どんな奴だ」
ルー=フィンは顔を険しくした。
「成敗してくれる」
「あー……」
タイオスは曖昧な方角に指をさし、カル・ディアの方角に戻して、それから頭をかきむしった。
「あの、ティージめ! なあにが、支度をしてあるから使え、だ! ひとのもんじゃねえか!」
「何」
「すまん、ルー=フィン。お前の馬だとは知らなかった」
装備も、とタイオスは正直に言った。今度はルー=フィンが目をしばたたく。
「どういうことだ」
「それがだな」
彼はかいつまんで経緯を話した。緊急で北へ悪党を追わなければならずにいたところ、協力者を名乗る人物が現れて、自分の馬だと言わんばかりに〈銀白〉を連れていけと言ったのだ、と。
「では」
じろりと若者は中年戦士を睨んだ。
「お前が盗人か」
「違う!」
反射的に言ってから、がっくりとタイオスはうなだれた。
「それとも、違わないことに、なるんかな」
あの野郎、と戦士はうなった。
「いったい何のつもりで」
ティージ。それとも。
「サングの考えなのか」
彼は息を吐いて首を振った。
盗んだ馬でもいいからタイオスに与えろと、ティージの雇い主はそんな指示をしたのだろうか。魔術師の倫理観は一般と差異のあるところだが、それにしても非常識ではないかと戦士は思った。
「すまん。まじですまん。怪我のことは、不可抗力だ。俺が〈銀白〉を乱暴に扱った訳じゃなくて」
そこでタイオスは言葉を切った。
「――なあ、ルー=フィン」
「つまり、こうか。お前は盗品を掴まされたと」
「まあ、そんな感じだ。だが、その話より」
「釈然としないが、〈白鷲〉が盗賊に身を落としたと聞かされるよりは、ましなようだ」
「もちろん、そんなんじゃないとも」
まじで、と彼は繰り返し、うなった。
「なあ」
「奇態な偶然だが、これもまた〈峠〉の神の御意志なのかもしれないな」
シリンドルの剣士は、シリンドル人らしいことを言った。
「そうだな」
シリンドル人ではない戦士も、同意の言葉を発した。
「俺もそろそろ、うっかり、〈峠〉の神を崇めちまいそうだ」
不敬と言えば不敬なタイオスの台詞に、ルー=フィンは片眉を上げた。
「あのな」
とタイオスは、先ほどから言おうとしていることを三度口にしようとしたが、どう言えばいいものか、定まっていなかった。
「お前」
考えながら、彼は続けた。
「どこまで掴んだ。――ヨアティアの足取りを」
問われてルー=フィンはぴくりとした。
「奴に金を出している人物が判った」
ゆっくりと若者は答えた。
「陛下や団長の危惧とは幸いにして異なり、シリンドルの人間ではなかった」
(へえ)
(団長、ね)
ハルディールの「陛下」もタイオスには聞き慣れない呼称だが、王子殿下が王位を継いだら王陛下になる。ルー=フィンがハルディールをそう呼ぶことは当たり前だ。
ただ、アンエスカを団長と呼んでいるのは、初めて聞いた。
何も、騎士団の一員でなければそう呼んでならない、などということはないのだし、不思議ではないものの、少し新鮮と言おうか――。
(安心、かな)
タイオスは思った。
(〈シリンディンの騎士〉の座に就いてはいなくても、こいつの心根はあいつらと同じだ)