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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第2話 再会 第3章
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11 もっと聞かせてくれ

 夕暮れ刻の部屋に、赤い日射しが差し込んでいた。

 広い部屋は空虚だった。大きな書斎机がひとつ、窓を背にしてそれに座る椅子が一脚。

 壁には一枚の絵画もなく、細長い棚はがらんどうで、酒杯と酒瓶がふたつみっつあるばかり。ぱっと見たところでは、空き部屋のようだった。

 だが、その部屋は空いてはいなかった。

 部屋の主が、赤い窓を背にして、ただ一脚の椅子に腰を下ろしている。相対する人物は、卓から一ラクトほど離れた場所で立ったままだった。

 それで、と部屋の主は書物に目を落としたまま、続きを促した。

「どうだった」

「そのような曖昧な問い方では、困るな」

 訪問者は肩をすくめた。

「何を知りたいのか、具体的に」

「具体的か」

 主はそこで書物を閉じ、訪問者を見た。

「お前の印象を」

「印象」

 訪問者は繰り返し、考えるように両腕を組んだ。

「最初の印象は、『ただの戦士』。気にとめる理由が、さっぱり判らなかった」

「ほう?」

 主は肩をすくめた。

「判らなかったか」

「そう。最初はな」

 訪問者はうなずいた。

「だが、あの」

 彼は右掌を上に向け、何かを握るような仕草をした。

「――護符」

 息を吐いて、彼は首を振った。

「驚いた。あのようなものが、文献のなかにではなく、現実に存在すること」

「そこに興味を持ったのか」

「ああ。とても興味深い」

 ゆっくりと、訪問者は掌を開いた。

「ヴォース・タイオス自身は、護符の力にほとんど気づいていない。戦士である故、仕方のないことだろう。だが、正直に言って」

 彼は肩をすくめた。

「宝の持ち腐れ」

「言うものだ」

 主は少し笑った。

「お前はもしや、自分であれば、例の護符をあますところなく利用できると考えているか」

「それは、判らない」

 慎重に訪問者は返した。

「我が物としてみなければ」

「奪うか?」

「その必要はないだろう」

 彼は答えた。

「護符は彼の手元に在って力を発揮した。私はそれを見ていようと思う。少し揺さぶれば、簡単に手放しそうな態度も」

「ほう?」

「売り払うなどして金に換える気はないようだが、助力の引き替えに護符を――という取引には、迷いながらも応じかけた」

「手放すことが何を意味するか、知らぬ故か」

「知らなかったようだ。だが、私は教えた」

「何」

「教えた。自らの意志で手放すことは、時に奪われるより危険であると」

「教えたのか」

 またしても、主は笑った。

「お前が手にするも、容易であったであろうに」

「だからこそ」

 訪問者は言った。

「危険を教え、いつか、自らの意志で手放すときがくれば――どうなるか」

「成程」

 知ったように主はうなずき、にやりとした。

「そのときがくれば、私も見ていたいものだ」

「お前も?」

その通り(アレイス)。私は、護符そのものには興味がないが、そのときに何が起こるものかは気にかかる」

「おかしなことを気にかける」

「それは、お互い様だ」

 主は肩をすくめた。

「では、次だ。何か、力の発現はあったか」

「あった」

 こくりと彼はうなずいた。

「一度は大きく、二度目は小さく」

 訪問者は片手を上下させた。

「ひとつ目のそれは、攻撃的だった。だが同時に、攻撃の意志はなかった。牽制と感じた」

 それから、と彼は続けた。

「ふたつ目のものは、ささやかだ。何かの効力を打ち消した。タイオスは二度目の出来事に気づいていない。面白いことに、彼は何も(ことわり)を知らぬまま、護符の力を引き出している」

「いや」

 報告を遮り、主は片手を上げた。

「彼の仕業ではない」

「何と」

 訪問者は目をしばたたいた。

「彼でなければ、誰だ」

「それを成すのは」

 ふ、と主は笑った。

「神秘――だ」

「これは、また」

 訪問者も少し笑った。

「らしからぬことを」

「そうかな?」

 主はかすかに首をかしげた。

「私がいつでも、説明のつけられぬことを探していると、知らずにいたか?」

 その問いかけに訪問者は黙り、考えるように沈黙した。

「そうだな」

 数(トーア)ののちに、彼は答えた。

「お前はいつでも、神秘を探していた」

 彼の返答に、部屋の主はにっと笑った。

「もっと聞かせてくれ。〈白鷲〉ヴォース・タイオスはお前にどんな依頼をし、どんな話をし、どんな行動を取ったのか。そして、〈峠〉の神は」

「欲をかくな」

 訪問者は手を振った。

「全て、話して聞かせよう。そのために、私は出向いたのだから」

「生憎だが、いまは少し、出なければならない。話の続きはまたあとで聞かせてもらうことにしよう。それでいいな」

 部屋の主は音もなく立ち上がった。

「――サング導師」

「仰せのままに」

 優雅に宮廷式の礼をして、戦士の前で一度も笑わなかった黒ローブ姿の魔術師は、ふっと笑った。


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