09 相応しいか、否か
結局、苛立っていたのだ。
がむしゃらに走ることでそれは解消され、やがてタイオスはすっきりしてきた頭に気づくと、無茶な真似をやめた。
途端に馬鹿らしい気分になる。あふれかえる力をもてあます思春期の少年でもあるまいに。
(狭い街道だが)
(絶対に馬車が通らんということもない)
事実、リダールを連れた奴らはこの道を選んだのである。リゼンに行く馬車や、馬に乗った誰かが通りかかることだって皆無ではないはずだ。
運よく何かが通りかかれば、金はないが、最悪脅してでも同乗してやろう、などといささか不穏なことを考えながら、タイオスは北へと向かい続けた。
それでも足を止めて休憩を取る気にはなれず、食事は歩きながら済ませた。旅路用の簡易食料は正直に言って不味いが、何もないよりはましだ。飲み物は水だけだったが、これまた、あるだけまし。気持ちとしては酒でも飲みたかったものの、あったところで、酔う訳にもいかない状況だ。
太陽はとっくに天頂を越え、ゆっくりと西の方に沈み出している。
(今日は、あれが顔を出す前から走りっぱなしだ)
そうと気づくと、げんなりした。
(こんな無茶は、せめてあと十年、いや、五年は若い頃にやりたかったもんだな)
戦士は体力自慢だが、無尽蔵とはいかない。ましてや盛りを過ぎた中年男。よくやっている、と彼は自分に感心した。
「――通過、だな」
それは、薄暗くなりゆく辺りの光景に、彼が少し焦りはじめた頃だった。月明かりだけでも歩けないことはないが、心許ない。
「何」
突然聞こえた声に、タイオスはびくっとして足を止めた。
「此度も、考査を通過した。祝福を。ヴォース・タイオス」
「何を……何だって?」
タイオスは目をしばたたき、それから、顔を険しくすると左腰に手をやった。それから躊躇なく、愛用の剣を抜く。静かな街道に、鞘走る音がかすかに鳴った。
「何だか知らんがね。ここでなら、受けて立つぜ」
彼はぎろりと、魔術師のように突然現れた相手を睨んだ。
「〈青竜の騎士〉エククシアさんよ」
「私は、お前に決闘を申し込みにきた訳ではない、〈白鷲〉」
金目銀目の騎士は、囁くような声を風に乗せた。
「それじゃ、何しにきた。わざわざ。こんなところまで」
「――誇りと名誉」
「はあ?」
タイオスはぽかんと口を開けた。エククシアはかまわなかった。
「騎士に必要なものだが、それらばかり守っているようでも騎士とは言えない」
「何が言いたい?」
「騎士らしくあれ」と言うのか、それとも「お前には似合わない」とでも言うのか。はっきりしろ、と彼は言ったものの、やはりエククシアはかまわなかった。
「使命感。初めは甚だ、疑問だった。ただの雇われ戦士と何が違うか、とな。だが話をして、金だけで動く男ではないと判った」
「俺の話か?」
タイオスは渋面を作った。
「名誉を貶められたことにどう対処するかと思えば、その怒りよりも使命を優先した。盗賊を見つけ、的確に追いかけた。だがまだ、判らなかった」
「……何がだ」
「〈シリンディンの白鷲〉。神の騎士と言われるほどの、何があるのか」
淡々とエククシアは言い、タイオスは黙った。
「あの白い光。神の力の具現か」
「さあな」
タイオスは肩をすくめた。
「生憎、俺も初見でな」
「子供を取り戻し、一旦は油断したようだが、魔術師を連れた。意味のない自尊心で他者の手を借りぬ愚は犯さなかった」
「何だ? 褒めてくれてんのか?」
「助力を与えている子供の裏切りにも怒ることなく、救おうと追ってきた。馬に無理をさせれば数ゴウズの距離を稼ぐこともできたが、それを避け、馬を生き長らえさせた」
「……何だか、俺は自分がものすごく聖人のような気がしてきたぞ」
しかめ面のままで、タイオスは言った。
「ご立派ですね、とでも言いたいのかい」
「そういうことになるだろう」
「何ぃ」
馬鹿にされているようにしか感じない。
「考査を通過した、と言った通り。ヴォース・タイオスは神の騎士〈白鷲〉である、とライサイは認めるだろう」
「ちっとも嬉しくないんだが」
戦士はうなった。
「何だ。何なんだ、いったい。何で俺が、ライサイに認められなきゃならん。認めてもらわんでけっこうだ。こちとら、シリンドルの王子殿下……王陛下に認められてるだけでも嘘臭いと思ってるのに」
「そして」
またしても、エククシアはタイオスの言葉を無視して続けた。
「〈白鷲〉の護符」
騎士の言葉に、戦士はぴくりとした。
「本物だな」
「そりゃまあ」
気軽なふうを装って、タイオスは呟いた。
「本物か偽物かって話になりゃ、本物だろうよ。何しろ、王子殿下手ずから、賜ってくださったんだからな」
それが何だ、とタイオスは尋ねた。エククシアは答えなかった。
その代わり、騎士は笑った。
唇の両端を上げて。声を出さずに笑った。
「シリンディン。〈峠〉の神。面白い。非常に、面白い。ライサイも興味を持っているが、私自身、もっと知りたいのだ、〈白鷲〉よ」
エククシアは笑みをたたえたままでいた。
もしもタイオスが何も知らずにこのときの騎士をただ見たなら、とても愉快な気分でいるのだなと思っただろう。いや、知っていても、そう思えた。
「〈白鷲の騎士〉は、ライサイが求むる神秘に相応しいか、否か」
「神秘を求める……だと?」
「ロスムとリダールの件は、時機を得た。〈白鷲〉の交代と一致したことは、啓示でもあるのだろう」
「何だか知らんが」
彼はまた言った。
「勝手なことばっか、言ってんじゃねえぞ」
剣をかまえ直してタイオスはエククシアを睨んだ。
「――ヨアティア」
それから慎重に、彼はその名を発した。
「どこで、あいつを拾った」
エククシアは何も言わなかった。
だがそれは、肯定でもある。あれは、ヨアティア・シリンドレンだという。
「あいつから俺のことを聞いたんだな。〈白鷲〉のことも」
「お前が〈白鷲〉であろう」
「まあ、そうらしい」
仕方なく彼は認めた。
「ただ、俺の言うのはそうじゃない。交代だの何だの、詳しいようだからさ」
あれがヨアティアであるならば、そこから伝わったのだと考えるのは当然だ。やはりエククシアはそれについて何も答えなかったものの、少なくとも否定はなかった。
(相変わらず、判らん奴だ)
こうして〈青竜の騎士〉と相対するのは、既に六度目。
リダールとともに軽食処で顔を合わせ、次にはリダールの警護で。伯爵の話からエククシアを疑っていたはずなのに、リダールを救おうするかの様子に騙された。
のこのこと招きに応じれば、やくたいのない話をされた上で甘い香りの薬を嗅がされ、怒り心頭で盗賊を追いかければそれをとめた。
そしてキルヴン邸にまで侵入をし、直接リダールを連れ去ろうという行動に出た。
それはタイオスが防いだが――。
(いや、待てよ)
(目的が、リダールを連れること自体じゃなく、あることないこと吹き込んで、リダールが自分から奴のところへ行こうとさせることなら)
(俺は何も防いじゃいない)
追いかけたタイオスの動きを全て見ていたと言わんばかりに、こうして目の前に現れ、意味の判らないことを。
「満月だ」
「何」
タイオスは片眉を上げた。思わず空を見上げそうになったが、どうにかこらえる。
「満月まではまだ一旬くらい、あったと思うがね」
暦を思い起こして彼はそう返した。
「その通り。一旬だ」
〈青竜の騎士〉はうなずいた。
「ヴォース・タイオス。〈白鷲〉よ。次の満月の夜までに、リダール・キルヴンを取り戻してみよ」
「何だと?」
「さもなくば、かの少年には二度と会うことが叶わぬと知れ」
騎士の声音は、いつもと変わらなかった。囁くような、腹に力の入っていない声に聞こえるのに、はっきりと耳に届く。
またしても「訳の判らないこと」だ。しかし心当たることも、あった。
「てめえ……てめえら、やっぱりあれか」
タイオスは犬のようにうなった。
「リダールを殺して、フェルナーとかを蘇らせようってんだな? 満月だの〈時〉の月だのってのは、特殊な儀式をやりたがる連中が大好きな暦だとか聞いたぜ」
戦士は以前に聞いた魔術師の「講義」を思い出していた。
魔術のものでも神に関わるものでも、儀式の類に重要なのは時と場所。年越し、年明けの日、夏至の日、冬至の日、歴史や伝説上の記念日などに、夜明けや正午や日暮れや深更など、定められた時刻、時間帯に行うことで意味と力を持たせる。
なかでも毎月やってくる新月〈月の女神の生まれる日〉と満月〈女神の最も輝く日〉は、定期的な神秘として、魔術師たちに人気がある。六十年に一度訪れる〈変異〉の年にだけ存在する十三番目の月〈時〉は逆に貴重な機会であり、ごく普通の人々が厄除けの祭りを開催する裏で、魔術師は様々な術を試すことで忙しいのだとか。
ライサイがリダールを連れようとしている「北」――「場所」が彼の陣地カヌハであることが第一であろうと魔術師は推測した。「時」の要素もあるかもしれないと。
「話が早くて、けっこうだ」
エククシアは否定しなかった。タイオスは騎士を睨みつける。
「そんな真似は、させねえ」
死んだ人間を蘇らせる。そんな馬鹿げた、有り得ないことのために、いま現在生きている少年を殺すなど。
「昨日も、言ったが」
タイオスの形相など露とも気にせぬように、エククシアはゆっくりと言葉を発する。
「〈白鷲〉の剣技は、まだ見ていないようだ」
「ほう」
タイオスは舌なめずりした。
「やっぱり、決闘かい」