08 侮り難いですから
「ですが生憎、タイオス殿との契約はあと一カイとかからずに切れる。そうなれば、私は〈星姫ラクアーラ〉のごとく、話の途中でも消え去らねばなりません」
「何を馬鹿な」
キルヴンは顔をしかめた。
「ならば契約を更新すればよい」
金なら出す、と伯爵は告げたが、魔術師は首を振った。
「協会の事情で、それはできません。タイオス殿は納得済みです。それについて説明をしてもよろしいですが、むしろ、実のある話をした方がよろしいかと」
「むむ」
キルヴンに「協会の事情」はさっぱり判らなかったが、彼も愚かではない。サングの言うことは理解できた。契約するのしないのと言っている間に、サングの言う「一カイ」が過ぎてしまう。
「では、ロスムのことだ」
頭を切り換えてキルヴンは卓をとんと叩いた。
「そなたは先に、ロスムと話をする必要はないと言ったようだが、あやつの騎士が、リダールを……直接拐かしたのではないにしても、昨日の無礼な訪問だけで抗議に値する。ましてやそなたは、そやつがリダールをそそのかしたと」
そこで伯爵はうなった。
「十八の男が自身の意志で家を出たのだ。そそのかしたも何もないな」
彼の息子は、いつまでも「可愛いリダール坊や」ではないのだ。そのように見えることは確かだが、彼らが甘やかしたせいもあれば生まれ持った気質もあろう。
だがどんな理由があれ、世の中は身内だけで回ってはいない。爵位を継ぐのであればなおさら、リダールは年齢相応にならねばならない。父親がかばい続けることは何の結果も生まない。
「だがエククシアだ。あの騎士の行動については、たとえロスムの預かり知らぬところであったとて、大いに責め立てられて然るべき」
「ロスム閣下の評価を貶めて返すことが目的ですか」
サングは尋ね、キルヴンは詰まった。
「嫌なことを言う魔術師だな」
「失敬。出過ぎましたやもしれません。しかしキルヴン閣下、父親同士のいがみ合いをお続けになりたいのでしたらどうぞ」
明らかに揶揄を含んだ物言いだった。伯爵は顔をしかめる。
「もちろん私は、リダールが無事に戻りさえすれば、それでいい。ロスムが王陛下に取り立てられて、私が田舎に引っ込む羽目になろうとかまわん」
「けっこうです。ではわたくしに許される範囲で、いくつかの助言を」
魔術師は宮廷式の礼をした。なかなか上手いものだ、とキルヴンは感じた。
「キルヴン殿からロスム閣下に接触することはお避けなさい。王城で言葉を交わさざるを得ないときにも、この件には触れぬよう、慎重に」
キルヴンは応とも否とも言わなかった。それは、魔術師の提案にいくらかの引っかかりを覚えたためもあれば、彼の返答や質問で、残り少ない契約時間を無駄にすることがないようにでもあった。
「タイオス殿への連絡は、私の手配した者が取ります」
「何」
しかしここには、思わずキルヴンは声を出していた。
「ティージという男で、魔術師ではありませんが、有能だ。協会の禁止により私は直接関われませんが、彼を通すことでいくらかの助力が可能になります」
「ううむ」
やはり伯爵は、確答を避けた。その人物を使うとも使わないとも、現状では判断しかねたからだ。
「閣下は、何も変わったことなど起きておらぬという調子で日々をお送りください。必ず、タイオス殿は戻ってくる」
「――疑いはせぬが」
キルヴンは少し迷って、それから問うた。
「リダールが必ず戻るとは、言わぬのだな」
「私に、未来を読む力はありません」
魔術師はまた言った。
「ただ、〈峠〉の神の力は、侮り難いですから」
まるで神官のように彼は言った。
「〈峠〉の神は、シリンドルを離れても〈白鷲〉に護りを与える。これはどういうことなのか。あの護符――」
サングの言葉は、独り言のように小さくなった。〈白鷲〉の護符のことかとキルヴンが問おうとしたとき、サングは顔を上げた。
「生憎と、時間切れです」
彼は肩をすくめる。
「ティージから連絡をお待ちください。では」
「ま、待て、魔術師!」
伯爵は厳しく叫んだが、魔術師が彼の命令に従うことはなかった。キルヴンが泡を食って立ち上がったときには、もうサングの姿はかき消えていた。
「……何と」
魔術に対する驚きと、好き勝手にやってきたり去られたりすることへの憤慨と、両方が入り交じった複雑な表情でキルヴンは首を振った。
「ええい」
釈然としない気分で、彼は呟いた。
「この中途半端な苛立ちはどこへ持っていけばよいのだ!」
「ナイシェイア様、支度が……」
ちょうどそのとき主人のもとへ戻ってきた使用人は、普段穏やかな伯爵が――まるでタイオスのように――罵りの言葉を発しているのに目をぱちくりとさせた。
「あの……ナイシェイア様?」
「ああ、ハシン」
顔をしかめて彼は手を振った。
「すまんが、中止だ」
「は?」
使用人は、何を言われたのか判らないという顔をした。キルヴンはただ、行けと手を振った。首をひねりながら、ハシンは踵を返そうとした。
「ハシン」
「は」
「彼らに中止を伝えたら、お前も休め」
「ですが……」
休んでなどいられる気分ではないと、使用人は渋面を作った。休め、と伯爵は繰り返した。
「何かあれば必ず知らせる」
頭痛をこらえるように額に手を当てて、キルヴンは息を吐いた。
「ほかでもない、我が子のことだ。私とて、こうしてただ座して他者の報告を待つなど望んでいない」
「も、申し訳ありません」
ハシンは深く頭を下げた。
「私などより、ナイシェイア様こそが坊ちゃまの身をご心配なさっているのに」
父親が息子を案じないはずもない。ハシンは、出過ぎたことを言ったと謝罪した。かまわない、とキルヴンはまた手を振って、使用人の退出を促した。再び礼をして、ハシンは部屋を出た。
「……あのように言われては、待つしかない」
苦々しく伯爵は呟いた。それからやり慣れぬ風情で両手を組み合わせると、神界の神々とそして〈峠〉の神に、息子と戦士の無事を祈った。