04 気味が悪いだろうが
フェルナーはリダールの英雄だった。
彼が帰って、くるのならば。
『まず有り得ません』
魔術師は言った。だが、こうも言った。
実験的なものなら、考えられると。
戦士は言った。つい先ほどのことだ。彼に向かって。馬車の外から。
『そいつらは、お前を殺すつもりだぞ』
『サングの話で理解できなかったのか』
理解、できていた。
サングは言っていた。生け贄を捧げて死者を蘇らせる、そうした技を成そうとする人間は、魔術師に限らず、古今東西存在するというようなことを。
同じ誕辰ということで、フェルナーのためにリダールが必要だということ。
そこで、リダールは理解した。理解したのだ。
フェルナーを蘇らせるために、同じ日に生まれたリダールが要るのだ。
「実験」が成功するのかどうか、それは判らない。だがその「実験」のために、リダールは殺されるだろう。
判っていた。彼は魔術のことにも呪わしい儀式にも少しも詳しくなかったが、サングの話はよく理解できた。おとなしい少年は、「勉強」が苦手であっても頭は決して悪くはなかった。書物をたくさん読んでいたためかもしれない。実際のところ、戦士よりもずっとよく、魔術師の話を理解した。
その上で、彼は早朝に抜け出した。
自分が、フェルナーを取り戻すために、必要とされている。
自分の命が。
(ごめんなさい)
彼は誰かに謝った。
(でも、ぼく)
(ぼくが生きているよりも、フェルナーが帰った方がいいと思うんだ)
死にたいと思うのでは、ない。むしろ、少年時代にフェルナーやサナースの死を身近に経験してきた彼は、人の生死ということに敏感だった。
死ぬ、というのはどういうことなのか。リダールはよくそうしたことを考えた。
神官たちは、人が死ねば導きの精霊ラファランに連れられて、冥界を流れる大河ラ・ムールにたどり着くと言う。そこで〈迎える者〉女神アルムーディ・ルーの案内を受けて大河に浸かり、生きていた頃の汚れを落として、〈魂の救済者〉冥界の主神コズディムの判定を受け、次なる人生のために再び大河に戻って、〈送る者〉ザルムーディに新たなる誕生を言い渡されるときまで待つのだと。
そんな話ならば、聞いている。だが、それでは判らなかった。
どんな思いで、人はラファランに導かれるのだろう。大河に浸かる間、どんな哀しみを覚えるのだろう。ラ・ムールの水はどんな痛みも苦しみも癒すと言うが、老齢や病で死の覚悟を決めた者ならばともかく、突然の事故で死んだ者でも、その出来事を受け入れられるのだろうか。
――フェルナーは、どうだったのだろう。
リダールに会いに出かけたことを悔やんだだろうか。リダールとつき合わなければキルヴンの町に出向くことはなく、死ぬこともなかったのにと思わなかっただろうか。
いや、そう思うのはリダールだ。少年は、自分が友人を殺したように思えて仕方がなかった。
そのフェルナーが、帰ってくるのならば。
(ぼくなんて、どうなっても)
自己犠牲と言うのとも、少し違っただろう。
ただ少年は、それが正しいと思った。フェルナーが死んでリダールが生きていた六年間は間違いだったと。
フェルナーはきっと立派な青年になって、立派な伯爵になるはずだった。リダールはこれからどれだけ生きたって、とても立派にはなれない。
自己卑下と言うのでもなかった。少なくとも当人には、そのつもりはなかった。
ただ、その考えはとても安心できたのだ。
六年前に戻って、代わりにリダールが死ぬことはできない。
でもいまからでも、彼に代われるのならば。
おかしなことを考えていると、頭のどこかでは判っていた。
でも、帰れない。もう帰らないと少年は決めていた。リダールではなく、フェルナーが帰るのだ。
馬鹿げている。それも判っている。
ただ、思っていた。
彼らは、対等な友だちでいようと約束した。そして、本当に困れば助けると――約束したのだ。
死ぬのだろうと思うと、怖かった。
だがつらくはなかった。それが正しいと思った。
少しだけ、申し訳なくも思う。彼に優しくしてくれた人たちに。
でも彼らはきっと、フェルナーにも同じようにしてくれるはずだ。
その考えには何の根拠もなく、また、何の解決ももたらさないのであったが、リダールは安心していた。
死んだ友人との約束を果たせるのだと、彼はそんなふうに思い込んでいた。
気味が悪い、と男は呟いた。
「何がだ」
判らない、と女は片眉を上げた。
「あれと」
ジョードはこっそり指をさした。
「あれと。両方」
「リダールと、仮面殿か」
盗賊の指の先を見て、ミヴェルはやはり首をひねった。
「ただの子供と、ライサイ様のお使いだ。お前は何を言っているんだ?」
「気味が悪いだろうが」
ジョードは繰り返し主張した。
「何でガキは、あんなにおとなしいんだ」
戦士が救出にきたときは逃げ出すつもりかと思ったが、その後は取り押さえたり縛ったりしなくてももとのように静かになった。馬車がとまれば逃げ出すつもりではないかとジョードは警戒していたが、そんな様子はかけらほどもなく、こいと言えば素直にやってきた。
彼らと行けば殺されると、少年の護衛はそう告げたのに、聞こえなかったのか。信じていないのか。
まさか盗賊は、リダールが友人の帰還のために死んでもいいと思っているなど考えもしなかった。当然である。ジョードはフェルナー云々の話を知らないが、知っていても、思いもよらないだろう。
大切な誰かのために死ぬ。それは、時に美しいとも見える自己儀性だが、ジョードはそんな性分ではないし、だいたい、リダールが死ねばフェルナーが戻ると決まった訳でもない。だと言うのにのこのこ殺されについてくる神経など、ジョードに判るはずもなかった。
「おとなしいんだから、いいじゃないか」
ミヴェルは肩をすくめた。
「縛りつけたかったのか?」
「俺には少年趣味も緊縛趣味もない」
「何?」
「ちょっとした冗談だ。判らないなら気にするな」
つまらないことを言ってしまった、とジョードはひらひら手を振った。
「あいつ、びびって身動きが取れないってんでもなし。普通に喋るしなあ」
物怖じしている様子はなかった。
さすがに仮面には話しかけづらいようだったが、ミヴェルにもジョードにも、まるで乗合馬車に同乗したひとときの旅仲間にでも対するように、リゼンはもうすぐかだの、着いたらどうするだのと尋ねてきた。
ミヴェルは質問をされれば答えられることは答えたが、そこで終わった。ジョードはついつい話を広げてしまって、気づけばリダールと何だか仲良くなっていた。
こうしてリゼンへたどり着き、馬車で待っていろと言えば素直にうなずいた。御者台から降りるジョードに「行ってらっしゃい」とまで言ったものだ。