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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第2話 再会 第3章
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02 馬鹿だろうと道化だろうと

 盗賊はよほど焦って馬車を飛ばしたと見えた。

 タイオスももともと上手な乗り手ではなく、ましてやいまは負傷をしている。サングの術で痛みは抑えられているものの、巻いた包帯は手綱が取りにくくさせた。本気で逃げゆく馬車に追いつくのは、容易ではなかった。

 一本道であるからして分岐に迷うことはない。しかし思い切り馬を走らせても、先ほどのように馬車の影が見えることはない。

「くそ」

 タイオスは馬をもっと急かそうとした。だがそこで、馬の息が荒いのに気づく。

「ん……?」

 彼は躊躇ったが、思いきって手綱を引いた。ぶるる、と鼻を鳴らして馬はゆっくりと止まった。

「これしきで、へたったのか。お前、病気か何かだったのか?」

 馬に話しかけて返事のあるはずもないのだが、タイオスはつい、声を発していた。

「追いつけなきゃ困るが、死なれても、困る」

 疾駆の最中に落とされれば、今度こそ彼も酷く怪我をするかもしれないし、単純に、足がなくなっては追うのも難しくなる。

(仕方ない。行き先は判ってることだし、少し速度を落とすか……)

 もう既に見失っているのである。こうしてわざわざ北へ向かっているからには、途上でリダールを殺すこともあるまい。サングの言うところの「生け贄の儀式」は、カヌハで行われるのだろう。

 根拠はないが、信憑性はある。いままでいつだって、連中はリダールを殺せたのだ。

(要するに)

(それまでに、追いつきゃいい)

 次の町に入って、どうにか交渉をして、この馬と元気のいい馬を取り替えられないだろうか、などと考えながらタイオスは馬を動かそうとした。だが、不意に馬は、びくりとして立ち止まった。

「ん?」

 見れば、前左脚を不自然に上げている。

「怪我か?」

 呟いて、彼ははたとなる。

「そうか。あのときの」

 彼が振り落とされた原因である、強烈な魔術。あれは馬に傷を負わせていたのだ。

 出血している様子はないが、驚きのあまりおかしな動きをして足をくじいたとか、そういうことなら有り得そうだった。

「すまなかったなあ、気づいてやれなくて」

 うーむ、とタイオスはうなった。

 それでもここまで走った、大した馬である。だがびっこを引くようでは、これ以上は無理そうだと判断せざるを得なかった。

「仕方ない」

 息を吐いて戦士は、馬から下りた。

「装備品はもらう。お前はカル・ディアへ戻れ」

 馬をなくすのは痛い。だが、どうしようもない。彼は医者でも癒やし手でもないのだ。カル・ディアに戻るも、この先のリゼンへ向かうにも、馬を引いてのんびり歩く訳にもいかない。

 嘆息してタイオスは、馬の身体をきた方角に向けると尻を叩いた。馬は、乗り手を置いて走り出すことを躊躇うかのようにタイオスを見た。

「いいんだよ。行けって。乗り手も荷物もなけりゃ少しは走れんだろ。悪い奴に見つからんようにな」

 いささか馬鹿みたいだと思いながら馬を諭し、彼は再度、先ほどより強く馬を叩く。今度は理解して、馬はおっかなびっくり走り出した。

(ティージと言ったか。奴の馬だったのかね)

 タイオスは、カル・ディアで邂逅し、サングに雇われたと言って彼に馬と装備品を与えた男を思い出した。

(だとしたら悪いことをした)

(無事に戻ればいいが)

 山賊の類がはぐれ馬を見つけて捕らえ、自分たちで使ったり、売り飛ばしたり、はたまた食ったり、というのはよくある話だ。カル・ディアからそんなに離れた訳ではないから山賊の根城など近くにないと思うが、単に小悪党が捕らえて売り飛ばす、はたまた善良な人間でも魔が差すことはある。

 馬のためのみならず、ティージのためにちゃんと戻ればいいとタイオスは思ったのだが、ティージはサングから保障を受け取っている可能性もあるのだと気づくと、必要以上に感謝したり申し訳なく思ったりすることはないなと考え直した。

「さて」

 彼は北を向き直りながら呟いた。

「まいったね」

 どうしたらいいのか。いや、追うしかないのだ。徒歩でも。

 馬から外した荷物は、簡易ながら的確な旅拵えがなされていた。だが問題がある。荷は、馬が背負うための袋に詰められており、人間が背負い歩くには向いていないのだ。

 タイオスは馬の腹に回すための帯を短剣で切り裂き、適当に結び合わせるなどして、無理矢理、格好の悪い背負い袋を作った。誰に見せる訳でもないから見た目は悪くてもかまわないのだが、にわか(・・・)紐が切れて路上に中身をこぼすようなことになるのは勘弁だ。

(全部は無理だな)

(最低限の水と食料、あとは治療用具か)

 惜しいな、と思いながら彼は寝具やら何やらを眺めやった。

 何しろいまのタイオスは無一文同然。次の町で新たに買い直すこともできない。

(だが、仕方ない)

(飯が食えなくなる前に、どうにか片を)

(……つくかね、片が)

 今日中には、まず無理だ。馬で追いつけば或いは巧く行ったかもしれないが、もはやそれは有り得ないこととなった。

 戦士は急ぎの歩調で街道を歩き、荷馬車でも通りかからないかと背後に気遣った。

 だが生憎、ここは賑やかな大街道とは違う。馬やら馬車やらより徒歩の旅人が多用する、狭い道だ。

(そろそろ幸運神にご機嫌よくなってもらいたいもんだ)

 どうにもしばらく不運続き。生きているだけの運はあるが、もう少しどうにかならないものか、と戦士は天を仰ぐ。

(それとも)

 じっとタイオスは、見えなくなったままの馬車を見た。

(〈峠〉の神さんよお。あんたが口を出す理由は――ようやく判ったが)

(それならそれで、もっと親切はない訳か?)

 ヨアティアを追え、というのが〈峠〉の神の望みなら、もっと助けがあって然るべきではないか。それとも、〈白鷲〉なら神様に頼らずとも解決できるはずだ、という放任主義だろうか。

(使いに選んでおいて)

(矛盾だ)

 ううう、とタイオスは、自分の縄張りに違う(オス)を目撃した(テュラス)のようにうなった。

(どうして俺がこんな目に)

(逃げたい)

 げんなりと考えるのは、逃げるつもりがないからこそである。ただの愚痴だ。

(――リゼンの町か)

 タイオスは、半日も歩けばたどり着く隣町のことを考えた。

(確か……イリエードの奴が、その辺に行くとか言ってたな)

 コミンの〈ひび割れ落花生〉で護衛をしていたイリエードは、かつて共に仕事をしたことがある戦士仲間だ。何月か前、そこを辞めて知り合いの酒場の護衛をすることになったと話していた。カル・ディアの北、と言っていたことは間違いないが、リゼンだったような、そうではなかったような。

(頼むぜ、神様)

 どの神とも定めず、タイオスはいささかめちゃくちゃに祈りの仕草をした。

(リゼンにイリエードがいて、俺に金を貸してくれますように)

 どうにも情けない願いだが、現実的な願いでもある。

 サングがキルヴンに報告をしてくれれば、伯爵はタイオスが逃げたのではなくリダールを探しているのだと知る。後顧の憂いはこれで絶たれるが、ついでに魔術師が気を利かせて、彼が最低限の装備で旅に出ている話までしてくれれば――。

(いや)

(閣下が金を出そうとしてくれても、届かんわな)

(サングがもうちょっと小金を欲しがりそうな奴なら協会の指示を無視させることもできたろうが、あの様子じゃ無理だろう)

 もはやサングとの縁は切れた、と見るべきだ。既に切れたものを惜しんでみても、益はない。

 いま現在の状況、手札、手数で、リダールを奪還し、エククシアと対峙し、ヨアティアの――。

(まずは仮面をはがして、顔を見てやらなけりゃな)

 よく似た声の別人でないとは、言い切れない。

 あの瞬間は、まるで天啓を受けたかのように、仮面男はヨアティア・シリンドレンであると確信した。だが、時間を置くと怪しくなってくる。自分は何か勘違いをしただけではないのか。

(ええい)

(ぐだぐだと考えたって仕方がない)

 彼は荷を背負った。

 いまのタイオスにできることは、馬鹿みたいに徒歩で馬車に追いつこうとすることだけ。それならば馬鹿だろうと道化だろうと、そうするしかない。

 戦士は思考を遮断し、軽く地面を蹴った。

(のたのたと歩くよりは、ましだ)

 街道を走るだなんて、間の抜けた感じがする。急ぎの旅ならば、乗合馬車など利用するのが普通だし、金がなければないで、肉体労働と引き替えに無料か格安で乗せてくれるような隊商を探すものである。

 金も時間もなければ、仕方ない、徒歩ということになるだろう。だが、普通は、走らない。足早になることはあっても、本当に走っている者など、タイオスは見たことがない。

 当然だ。体力を消耗するだけ。一刻とかからずにたどり着く場所ならばともかく、馬で半日はかかる隣町まで、走りきれるものではない。疲れ切って倒れでもすれば、山賊に襲われるかもしれず、そうでなかったとしても回復は遅く、結局、地道に歩いた方が早かったなどということになりかねない。

 体力の有り余っている子供ならばともかく、四十を超した戦士がやるにはあまりにも馬鹿げた行為である。

 判っているが、それでもタイオスは走った。

 まるでそれは、失態続きの自分を罰するかのようだった。

 生産性のない非合理的な行動だ。走ったところで追いつかず、ただ疲れるだけ。判っていた。だが、何かが彼を駆り立てた。

 自分への怒り。少年への心配。仮面の男への疑念。

 ないまぜとなった感情の行き所がなくて、タイオスはまるで、考えなしの子供のように走り続けた。


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