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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第2話 再会 第3章
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01 見栄と意地

 仮面の男は魔術師ではないと、それが魔術師の説明だった。

「とても奇妙でした。まるで手品(トランティエ)のよう。でも、そうではない。彼の手から発せられたのは五大魔印の理に則った術であり、たとえばはじけ(・・・)草の実が投げつけられた訳ではありません」

 首を振ってサングは講義をした。

「かなり強力な魔術師の助力は受けています。先ほどの魔術は、その術師によるものでしょう。一体感がなかったのはそのためではないかと」

 魔術師には、魔術師が判るのだと言う。彼らの持つ「魔力」は、決して隠すことのできないものであり、戦士が抜き身の剣を手にしているかのごとく絶対に見誤らないものなのだとタイオスも聞いたことがあった。

「ああして、非魔術師の自由に魔術を振るわせるというのは……正直に申し上げて、初めて目にしました。現実にもですが、文献でも読んだことがない。どういう術構成なのか見当がつきません」

 サングは息を吐いた。

「ライサイその人の魔術かもしれないし、ほかにも強力な術師がいるのかもしれませんが、とにかくあなたが死ななかったのは彼が魔術師ではないからです」

 本物ならばもっと上手に照準を合わせられる、と魔術師は言った。

「あいつは魔術師じゃない、か」

 当然だ。

 あれが、ヨアティア・シリンドレンなら。

 タイオスは顔をしかめながら、手の甲の傷口を押さえた。

「いったい何で、あいつがリダールを……」

 何故、ライサイやらエククシアやらのもとにいるのか。理由は判らない。しかし、判ったこともひとつ。

「俺の情報は、あいつから駄々洩れだったってことだ」

 エククシアが〈峠〉の神のことなどを知っていたのは、そのためだ。

 仮面がリーラリーから聞き出そうとしていたのは「最近の」タイオスのこと。どういう人物であるのか、などという問いは彼女に向けられなかった。ヨアティアならば彼を知っている。そうだ、「金で何でもする男」という評価をしていたとか? 成程、ヨアティアからすればタイオスはそういう男だ。

 くそう、とタイオスは片拳をもう片方の掌に打ちつけて、いてえと悲鳴を上げるとのけぞった。

「ほら、言わんこっちゃない」

 喜劇のような戦士の態度を笑うことはせず、サングは息を吐いて首を振った。

「血を止めましょう。手を出して」

「ああ、すまんな」

 素直に戦士は、赤くなった手を差し出した。魔術師はそれを取ると、口のなかでぶつぶつと何か呟く。出血は止まったように見えたが、ずきずきという痛みは引かなかった。

「痛みも、どうにかしましょう」

 続けて魔術師が術を使えば、不思議にと言うのか当然のことにと言うのか、手が膨れあがったかのような感覚と痛みは、すうっと消えた。

「傷を治したのではありませんから、誤解のありませんよう」

「判ってる」

 タイオスは感謝の仕草をしながらうなずいた。

「痛みを感じないようにしてるだけだ、って言うんだろ」

「よくご存知で」

「長年やってりゃ、そうした術をかけてもらった経験も一度や二度はあらあな」

「結果は?」

「何?」

「魔術師の忠告を忘れて暴れ回り、傷口を開かせたりしませんでしたか」

「人を何だと思ってる」

 タイオスは鼻を鳴らした。

「そんなのは、二回だけだ」

「では、三度目になりませんよう」

 言って魔術師は、杖をしまった。正確に言うならば、手にしていた杖を術で消したのであって、荷袋などにしまい込んだ訳ではなかったが。

(口先だけじゃ、ないな)

 とタイオスが思ったのは、その様子を見たためだった。

 これまでつき合いのあった魔術師には、杖を魔術で小さくして持ち歩く者が多かった。

 長い杖を持ち歩くのは面倒でもあれば、「魔術師の杖」即ち「魔術師のしるし」を手にして自ら「魔術師でござい」と喧伝して歩くのは要らない騒動を招くと言うので、彼らはそれを隠すことを覚える。手持ちの杖を小さくする術というのは初等魔術師の内に学ぶ基礎的な技のひとつであるとか何とか。

 高位の術師になっていくと、杖を荷や懐にしまうのではなく、タイオスには意味の判りかねることだが、「異層」にしまう。現実の空間と少し異なる場所、というような説明を聞いたが、やっぱり戦士には判らなかった。

 ともあれ、本来の大きさのままで見る間に杖を取り出したりしまったりできるのは、けっこうな能力の持ち主ということになった。

 手品師や、手品を商売とする魔力の持ち主であれば小手先の目眩ましや仕掛け杖でそう見せることもあろうが、サングはそうではない。そもそもタイオスに芸事を見せる意味はないはずだ。

 銀貨三百枚では雇えない魔術師であるというのは、はったりではなさそうだった。

 もっとも、その契約時間も、もうじき終わる。タイオスは息を吐いた。

「術は、いつまで保つ?」

「数刻は」

「じゃ、次の町までは微妙なところだな。装備に包帯でもあればいいが」

「――追うのですか」

 目を細めて、サングは尋ねた。

「ほかに、どうしろと?」

 タイオスは肩をすくめた。

「リダールはあっち」

 彼は、馬車の去った方角を指した。

「それに、リダールだけじゃなくなっちまった」

「ヨアティア」

 サングは言い、タイオスはぴくりとした。

「そんな名前を口にしていましたが、仮面の男のことですか」

「たぶんな」

 曖昧に彼は言った。

 あの声、あの口調、ヨアティアのように思う。しかし、名乗った訳ではないし、顔も見ていない。

「ん、いたか」

 少し離れたところで興奮さめやらぬように前脚で地面をかいている馬を認めると、タイオスは呟いた。

「いい馬だな。音にびびったが、逃げ出しゃしなかった、と」

(そう言や、落馬もしたんだったな、俺は)

 思い出すと急に、身体が痛んできたような気がする。とっさに受け身を取ったものの左肩を打った。胸当ての境目は、紫色に腫れ上がっているだろう。思い出さなければよかった、とあまり意味のなさそうなことを思いながら、馬に括りつけた装備品を漁れば、簡単な治療用具が見つかった。

「そろそろ契約時間も終了だな。世話になった、サング」

 左手だけで右手に包帯を巻くのは難しい。仕方なく魔術師の手を借りてそれを済ませたあと、タイオスはそう挨拶をした。

「お待ちを」

 魔術師は、馬に乗る戦士を呼び止めた。

「仮面の男は魔術師ではない。ですが、ほかに魔術師がいるんです。お判りですか」

「判ってるさ」

「なのに、闇雲に追いかけると」

「だから、ほかにどうしろってんだ」

「あなたはカル・ディアを出た。このまま逃げることも可能です」

「馬鹿言うな」

 タイオスはうなった。

「魅惑的なんだよ、その考えは」

 なかったことにして、逃げてしまう。名誉も何も知るかと。もう、いっそのこと、〈白鷲〉の護符も投げ捨ててしまえば、黒髪の子供が彼に苦情を言うこともあるまい。ヴォース・タイオスに〈白鷲〉の資格なしと、認めてくれるだろう。

 だがそれは――嫌なのだ。

 つまらない、くだらないと思っていた「名誉」。いや、いまでも思う。そんなものに命を賭けるのは阿呆のすることだと。

 だから彼のこれは、見栄だ。

 彼を信じたハルディールを裏切りたくない。〈白鷲〉が死ぬか、その資格なしとなれば護符はシリンドルに戻ると言う。それを手にしたハルディールに落胆されたくない。

 それとも、意地だ。

 彼を信じたリダールを見捨てたくない。何を勘違いしてエククシアについていこうとしているにせよ、助けると約束した相手だ。生け贄などという馬鹿らしい事情のために、みすみす死なせたくはない。

 見栄と意地で命を賭けるのだって、阿呆らしい。逃げてしまえ、と頭のどこかでは声がする。しかし、ここでそれの誘惑に従ったら、顔を上げていられなくなるような気がする。

「そうだ、最後にひとつ、頼む」

 ふと思いついてタイオスは馬上からサングを見た。

「キルヴン閣下に、状況を伝えてくれ。時間的にこれで契約終了だな」

 太陽(リィキア)を見上げて戦士は言った。魔術師はただ、うなずいた。タイオスの依頼を了承することと、時間切れを認めることを兼ねたようだった。

「じゃあな、サング。言い忘れてたが、馬と装備の件も、助かった」

 魔術師への言葉はそれを最後に、戦士はかけ声をかけて、馬の腹を蹴った。サングはしばらくその場に佇んで彼を見送るようにしたが、やはり何の表情もその(おもて)に浮かべることのないまま、現れたときと同じように音もなく姿を消した。


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