11 一致
「タイオス! 逃げて!」
「逃げるなら最初から、追っちゃこんだろう」
ジョードがもっともなことを言ったときだった。仮面男が片手を高々と上げた。と、まるで号令を下すかのように、それを勢いよく振り下ろす。
すると、そこから何かが、放たれた。
「何だ」
と、言う間もなかった。明るい、炎の帯のようなそれはタイオスにこそ命中しなかったが、その手前の地面に雷のように落ちた。そしてやはり雷のように、大きな音と火花を散らした。馬が大きな声で鳴いて急停止し、乗り手を放り出した。
「タイオス!」
リダールは悲鳴を上げた。どうにか頭をかばった戦士はよろよろと立ち上がり、剣を抜いた。
「この野郎! 上等じゃねえか。やるなら降りてきやがれ、嫌ならリダールを返せ」
戦士は怒号を浴びせた。
「子供は、無理矢理さらわれた訳ではない」
仮面が言った。リダールは唇を噛んだ。
「ぼく、ぼくは……」
「リダール!」
タイオスが叫んだ。
「どんな話で言いくるめられたのか知らないがな! 聞け! そいつらは、お前を殺すつもりだぞ。サングの話で理解できなかったのか!?」
「え」
と言ったのはジョードだった。
「まじで?」
彼はミヴェルを見た。ミヴェルはタイオスを見ていた。動じた様子はなかった。
(そうなのか?)
(殺すために、連れて行こうってのか?)
(意味が……判らんが)
「仮面殿。早く……」
「言われずとも」
仮面の男は苛ついたようだった。その表情は前から見ていても判らないが、それは却って、無表情な仮面に惑わされるためだった。背後からその様子を見ていたジョードには、タイオスが仮面を無視してリダールに話しかけたことに、仮面が腹を立てているようだと判った。
(こいつ)
(こんな……激しい奴だったのか)
仮面が無表情なものだから、無感動な男なのだと思っていた。だがジョードは、それが誤りであったことに気づいた。
「ここまでだ。死ぬといい、タイオス」
憎々しげに仮面は言った。そして再び手を高く上げ、風を切るように振り下ろした。今度は炎よりも白い、光のようなものが走った。
戦士は飛び退いて、それを避けた。光はやはり地面に落ちて、先ほどよりも派手な轟音を生じさせた。首を伸ばしてのぞいたジョードは、整備された石の街道が衝撃でえぐれているのを見た。
「な、何だありゃ」
彼は目をぱちくりとさせ、リダールは顔をますます青くした。
「あんなのが、当たったら」
死ぬことは間違いない。遺体はかなり目も当てられない状態になるだろうな、とジョードは顔をしかめた。
「やめて! タイオス、お願い、逃げて!」
「ううむ、俺もちょっと同意したい」
つい、盗賊は言ってしまった。殺害までは目をつぶるにしても、凄惨な遺体を目の当たりにしたくはない。
「おのれ、ちょこまかと」
仮面は舌打ちした。
「あんなもん見せられて、ぼうっと立ってる奴があるか!」
タイオスは叫び返した。
「くそう……あれも魔術か」
額の汗を拭って、タイオスは呟いた。
あのあと、彼がティージに教わった通りの馬を見つけ、必死でそれを走らせて馬車に追いついたのは、殺されるためではない。
「あんなもん、見たことないぞ」
「それは、普通、ああした魔術を振るわれたら死にますから」
戦士の隣で、知ったような口調の声がした。
「むしろよくあるものと言えるほどです。ええ、よくある攻撃魔術。そう見えますが、いささか、おかしい。奇妙です。一体感がない」
「おまっ……サング」
タイオスはぎょっとして魔術師の名を呼んだ。前触れもなく、現れる。彼ら魔術師はそうした術を操るのだと知っていても、驚くものは驚く。
「深入りは、避けたく思います。ですが、向こうから手を出してきている状態であり、まだどうにか契約時間内。お手伝いしましょう、タイオス殿」
言うと魔術師は、空中に手を走らせた。すると、そこに白い杖が現れた。
「これ以上は、術に警戒しなくてけっこうです」
「有難い」
タイオスは口の端を上げた。
「げ」
見ていたジョードは焦った。
「おい、どうすんだ、仮面さんよ。逃げるか」
「何を。敵に背中を見せるなど」
答えたのはミヴェルだった。
「そんなこと言ってる場合じゃないだろう。向こうにも魔術師がいるんじゃ、こっちもただじゃ済まないぞ」
「ちぃっ」
表情の見えない仮面の奥で、男は明らかに動じていた。
「まずい。走れ、盗賊」
「了解っ」
ジョードはリダールを放して、御者台に向かった。
「タイオス!」
少年はぱっと立ち上がった。仮面が素早く反応して、少年を押さえた。
「お前は、一緒にくるんだ。エククシアの言葉を忘れた訳じゃあるまい」
「サング! 仮面野郎を頼む!」
好機と見てタイオスは駆け出した。馬車に飛び乗ろうと荷台に手をかけた彼だったが、そこで悲鳴を上げることになる。
「うぎゃあっ」
「この……くるな!」
ミヴェルがとっさに、その手を思い切り踏みつけていた。
「タイオス! タイオス!」
少年の悲鳴が響く。
「お、女だからって容赦せんぞ」
タイオスは痛みに酷い顔をしながら、もう片方の手でミヴェルの足首を払った。
「ああっ」
すぐに彼女は均衡を崩し、その場に尻餅をつく。
「リダー……」
痛みにこらえ、改めてタイオスは手足に力を込めた。と、仮面の手が動く。片手でリダールを捕まえながら、もう片方の手が短剣を取り出した。
「動くな」
仮面は言った。
「ガキがどうなってもいいのか」
「――お前らは、リダールがほしいんだろ」
動きを止めながら、タイオスは低く言った。
「殺さないと判ってる。脅しにしちゃ、巧くないぜ」
「何も、殺さずともよい。可愛い顔に、生涯消えぬ傷をつけてやるだけでも」
神経質な声が言った。
(何だ?)
(いま……何か)
何かが引っかかった。だが、その引っかかりを追及する暇はなかった。
「ひ……」
少年は刃を頬に当てられ、失神しそうに顔を白くした。
「くそ、サング!」
「巧いこと考えましたね。あれでは私は、手出しができません」
戦士の背後でどこかのんびりと魔術師は言った。
「な、何ぃ!?」
「何しろ、魔術を使ってきたら魔術で対抗というお約束ですから。契約の隙を突かれました」
「この野郎! 少しは応用を利かせろ!」
がたん、と音がして馬車が動き出した。今度はタイオスが焦る番だった。
「ま、待て。とまれ」
「ミヴェル、もう一度だ」
「は、はいっ」
「やめろ、踏むな、このクソ女っ」
戦士の言葉に、ミヴェルが従うはずもなかった。それこそ容赦なく、彼女はタイオスの手を再度、先ほどよりも強く踏みつけた。
「ぐ……」
こらえようとしたタイオスだが、走り出した馬車は彼から両足の安定を奪い、もう片手でもう一度ミヴェルの足を捕まえるのも巧くいかない。
「くそっ……」
手が、離れた。そのまま戦士は、地面に前のめりに倒れ込むことになる。
「は、ははははは」
仮面の笑い声がした。
「いいざまだな、タイオス!」
少年を捕まえたまま、仮面の男は笑った。
「何を――」
ヴォース・タイオスは、はっとなった。
「お前……」
再び、引っかかりを覚えた。
この声に、聞き覚えが、あるような。
「追ってくるなら、次には必ず、殺してやる。そうとも、追ってこい。楽しみにしているぞ!」
「待て! くそう、待ちやがれ!」
無論、馬車が止まることはなかった。それどころか速度を上げ、どんどん彼を引き離していく。
「くそ、馬……馬は無事か」
彼は立ち上がり、彼を振り落とした馬を探そうとした。その手をサングが掴む。
「酷い。皮膚が破れましたね。治療を」
「あと回しだ!」
大胆にも戦士は言い切って、魔術師の手を振り払った。
「どういう……どうなってるんだ」
タイオスは血のにじむ手で額を押さえた。
「あいつ……仮面野郎……」
聞き覚えのある、高い声。
『いいざまだな』
『タイオス』
『俺を――侮った、罰だ』
蘇る、記憶。
耳に残る仮面男の声音と口調は、それと一致した。
思い浮かぶは、遠い南の小国の神殿で聞いた、台詞。
もう完治したはずの左肩が、ずきりと痛んだ気がした。
「――ヨアティア」
思いも寄らぬ事態に、タイオスは右手の痛みを感じてなど、いられなかった。




