08 どこか行くの?
「それはもしかして、目鼻口だけ開いてて、あとは顔全部を覆う、金属っぽい仮面か?」
「じゃ、やっぱり、知り合いなの?」
女は目をしばたたいた。
「変わった友だちがいるのね」
「オトモダチじゃないがな」
戦士は額に手を当てた。
「どういうことだ」
知らず、彼は呟いていた。
「何でまた、仮面がリーラリーに俺の話を聞く」
それどころか、何故〈青薔薇の蕾〉でリーラリーという春女を買うことを知っているのか。魔術というのは、そんなふうに何でも判るものか。いや、何でも判るならば話を聞く必要はない。知っているのは――彼を尾けてでもいたのか。
「今朝方だと、言ったな」
「ついさっきよ」
女は答えた。
「あたし、もう帰るところだったのよ。そしたらそのお客がきて、ご指名」
リーラリーは自分を指した。
「仮面は、初めてきたのか」
「たぶんね」
彼女はうなずいた。
「少なくとも、あたしは初めて見たわ」
「話をしてどんな感じだったか、聞かせてくれ」
「うーん、どんなことを言えばいい?」
「お前さんの印象でいい」
彼はあの仮面の男と言葉を交わしていない。エククシアの仲間であることだけは間違いないが、どんな人物であるのかさっぱりだ。
「そうねえ。年齢は、二十代……ううん、三十から四十ってところかな」
考えながら春女は答えた。
「ぼそぼそと神経質そうな声してたよ。ああいうお客って、普段、虐げられてるタイプなのよね。その分、女に乱暴にして喜んだりするから、本当は指名されなくてほっとしたんだ」
病気のことより、乱暴な扱いを受けることの方が心配だったと春女は言った。病気は伝染らないかもしれないが、殴られれば痛い。それも当然だが、病気の心配もした方がいい、とついタイオスは助言した。
「大丈夫よう。タイオスに伝染したりしないから」
「意志で伝染したり伝染さなかったりできるもんじゃないだろう。いや、俺は自分の心配をしてるんじゃないぞ。しない訳でもないが」
彼は春女の肩に手を置いた。
「若い娘が、性病なんかにかかったら可哀想じゃないか」
「優しいなあ、タイオス」
リーラリーは戦士の腕を強く握って、自分の胸に押し当てるようにした。
「そんなこと言ってくれる人、いないよ。好きになっちゃいそ」
「そりゃどうも」
中年男は苦笑した。リーラリーはいい子だが、こうした言いようは商法の一種でもある。
「あーっ、信じてないなあ?」
彼女は曲げていた手を下に伸ばすと、組んでいたタイオスの手の甲をつねった。
「よせよ、ちゃんと礼を言ったろ」
「口先だけだと、思ってるでしょ」
「おじさんにあんまりサービスしすぎるなよ」
彼は腕に押し当てられる胸の感触に苦笑いしたまま言った。
「本気にされてしつこくされたら、商売に差し支えるだろう。まあ、若いの相手でも同じだがな」
「何よう」
リーラリーは頬をふくらませた。
「冷たいなあ」
「『優しい』んじゃなかったのか」
「優しくて、冷たいね。……もしかして、恋人とか、いるの?」
「ああ? ああ、まあな」
コミンにいるティエ。どちらかと言うと友人で、恋人とは言わないように思うが、何となくタイオスはそう答えていた。
「……何だ」
ぱっと、彼女は手を放した。
「なあんだ」
「おじさんなら簡単だと思ったか? 生憎だが、知っての通り俺は流れ戦士で金持ちじゃない。貴族の客がいるって言ってたよな。狙うならそういうところにしとけよ」
身体を売る暮らしに嫌気がさして、富豪が自分の身請けをしてくれたら、と夢見る春女は珍しくない。タイオスはリーラリーの言葉を本気に取らず、「誰かいい男」を探しているのだと考えた。
「そうね」
リーラリーは肩をすくめた。
「あのお客さんなんか、仮面と暴力に我慢して尽くせば、案外行けるのかも」
「やめとけ」
素早くタイオスは言った。
「あいつには、近寄るな」
その言葉に春女が目をしばたたいているので、タイオスは適当な理由を考えた。
「……その手の暴力は、次第に激しくなるもんだぞ。自分は大事にな」
言い訳として思いついたことだったが、本音でもある。今度はリーラリーが苦笑した。
「やっぱり、優しいね」
「口先だけだよ」
戦士は肩をすくめた。リーラリーはちらりとタイオスを見た。
「どうしたの?」
「何?」
「緊張してる、みたい」
なかなか鋭いな、とタイオスは舌を巻いた。気軽な調子でやり取りをしていたが、頭のなかでは、仮面男が、それともエククシアがどういうつもりであるのか、答えの出なさそうなことをぐるぐると考えていた。
「仮面とは、本当に話をしただけか」
「手だけ、握られたわ」
春女は肩をすくめてひらひらと左手を振った。
「まるで緊張しすぎた童貞か、そうじゃなけりゃ女と隣り合わせに座るだけでも背徳だと思うような真面目な神官みたいよね。でも、そういうんじゃなったの」
男は「手を握るしかできなかった」のではなく、それを目的としていた。彼女はそういうことを言った。
「占い師かもって思ったわ。何か予言をされた訳じゃないけど、雰囲気がそんな感じで」
「あー……」
タイオスは迷った。
「魔術師……と言ったらびびるか、お前さん」
「あら、魔術師なんだ」
女は目をしばたたいて、平気よと答えた。
「ちっとも怖くないわ。そりゃあ魔術師は忌まわしいとか言われてるけど、実際には『魔術師だから悪人』っていうんでもないもんね」
意外にと言うのか、それとも彼女らしくと言うのか、さらりとリーラリーは言った。もしや彼女の幅広い顧客のなかには異性に興味がないと言われる魔術師も混ざっているのだろうか、などとタイオスは考えた。
「話をしてる最中、ずっと手を取られてたわ。出鱈目を言ってないか、魔術で調べてたのかな?」
「有り得るな」
魔術師がどういう術を使うものか、タイオスには判らないこともあるが、大いにありそうな感じだと思った。
「ねえ、タイオス。どこか行くの?」
突然の問いかけに、彼は首をひねった。
「どこかって、何だ」
カル・ディアに住んでいる訳ではないのだから、いずれコミンに帰るなりなんなりするが、そういうことを尋ねられているのかと彼は考えた。
「――あのお客さんのこと、追いかけてるの?」
「あ? いや、あいつを追ってるって訳じゃ」
誰かを追いかけるのだとすれば、それは仮面やエククシアよりも、リダール少年ということになるだろう。そこで彼は、はたとなった。
「そうだ、奴も一緒なら、目立つ」
面と向かえば騎士の金目銀目も大きな特徴だが、旅人の多い門の傍では剣士の格好など埋もれるだろう。しかし、あの仮面ならば。
「ああ、だが、どっちの北門か判らんことは同じだな」
彼はうなった。名案だと思ったのだが、現状では大した役に立たなさそうだ。
「やっぱり」
リーラリーは呟いた。
「あの人、北へ行くんですって」
それから少し間を置いて、彼女は続けた。
「大門よ」
「何」
「あたし、この時季なら海が穏やかで、景色がきれいでしょうねって言ったの。そうしたら、海沿いは通らないって」
「でかした、リーラリー!」
タイオスは指を弾いた。
「よし、早速――」
「待って、タイオス」
彼女は呼び止めた。
「あの人ね、タイオスのこと、嫌ってるみたいだった」
「……何」
真剣な口調に、戦士はそのまま走り去ることはできなかった。
「知った仲同士の、軽口かなとも思ったの。ほら、仲いいからこそ相手を悪く言うってこともあるし」
でも、とリーラリーは続けた。
「そんな感じでもなかった。タイオスのこと、金さえ出せば何でもする、汚い男だって。いずれ必ず罰が下る、なんて言ってたの」
「……何」
「ううん、あたしはそんなふうに思ってないよ。タイオスはほんと、優しいもん」
取り繕うように彼女は手を振った。
「ただ、ちょっと気になったの。……気をつけて」
「あ、ああ」
戸惑いながら彼はうなずいた。
(あれに嫌われる理由なんざあるか?)
むしろタイオスの方に、向こうを嫌う理由がたくさんあるくらいだ。
(そりゃ好かれる理由もないが)
敵対している、ということになるだろう。どういう動機であれリダールを欲しがる連中と、少年の護衛たる戦士。好かれる理由はもちろんなく、好いてほしいとも思わない。
(魔術を破ったからか?)
戦士にも、そういう手合いがいる。他者に破れたことは自分の訓練不足、または実力不足であると認められず、相手を逆恨みするような。
仮面の向こうの表情は見えなかったが、実は腹を立てていたとでもいうところだろうか。
(それとも)
(ライサイに逆らうから)