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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第2話 再会 第2章
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06 彼自身の意志で

「のどが乾いたな」

「枕元に水差しがあったろ」

「うん。でも、あったかいものが飲みたい」

「……俺は使用人じゃないと判ってるよな?」

「も、もちろんだよ! タイオスに持ってきてくれなんて言ってないじゃないか。そういうのはいつもハシンが」

 そこでリダールは黙った。タイオスはうなる。少年につきっきりの初老の使用人は、診療所に行ったきりだ。

「判ったよ。俺じゃ茶を淹れるのは無理だが……誰に言えばいいんだ?」

「だ、誰でもいいよ」

 少年はぱちぱちと目をしばたたかせた。

 そうか、とタイオスは応じたものの、叩き起こしてよい使用人の部屋など判らない。

「厨房に行けば、誰かもう起きてるかもしれんな」

 戦士はリダールを手招いた。

「早めの朝食と行くか」

「早すぎるよ」

 少年は笑った。

「それに、まだ誰も起きていないんじゃないかな」

 躊躇いがちに彼はつけ加えた。

「ぼく、自分で淹れるよ。ハシンがやるのをいつも見ているから、上手にできると思う」

「無茶言うなよ」

 湯と茶葉と茶杯と揃っていればリダールでもできるだろうが、それならおそらくタイオスでもできる。水を汲み、火を起こし、湯を沸かして、器を用意し云々、と具体的になると、お坊ちゃまには厳しいだろう。

「まあ、誰もいないようなら、我慢してあとひと眠りするんだな」

「うん……」

 曖昧にうなずいて、少年は戦士と厨房への通路をたどった。

 やはりと言おうか、いくら朝の早い料理人(テイリー)にもまだ早すぎる時間帯であり、厨房には人気(ひとけ)がなかった。リダールは部屋に戻ることに同意し、彼らは一部の護衛兵を除いて誰も彼も眠っている館のなかを歩く。

「……ハシン」

 ふと、少年は呟いた。

「あいつなら、大丈夫だ」

 使用人を案じているのだなと考えて、タイオスは言った。

「医者がどんな治療をしたのかは知らんが、閣下もかかるような立派な先生に診てもらったんだろ。一日だけ様子を見て、すぐに戻ってくる。仕事を全部こなすのはまだ難しいだろうが、何、お前さんの話し相手くらいなら問題ない」

「ハシンの部屋、そこなんです」

 少年は戦士の言葉に応じず、そんなことを言った。

「そうか」

 としか言いようがない。

(何だかこいつ)

(さっきから、散漫だな)

 目が覚めたなどと言っているが、寝ぼけているのだろうかとタイオスは思った。

「そうだ」

 リダールは呟いた。

「ぼく、ちょっとあなたに見せたいものがあるんです。ハシンの部屋にある。取ってくるから、待っててください」

「何?」

 今度はいったい何だ、と戦士は目をしばたたいた。その間にリダールは小走りになり、鍵のかかっていないハシンの部屋にするりと入り込む。

「何なんだ」

 戦士は歩いてついていき、扉をのぞき込んだ。

「おい」

「見ないで! 内緒です」

「そうは言っても」

「すぐですから!」

「……何なんだ」

 仕方なくタイオスは、部屋の外で待つ。

 十(トーア)、二十秒。がさがさ音がする。だが探し物は見つからないようだった。

 一(ティム)、一分半。とんとん、とタイオスは指で自身の腿を叩いた。

 いつしか部屋のなかから、何かを探っている音はしなくなっていた。

「おい、リダール」

 返事はなかった。

「……リダール?」

 そっと部屋をのぞいて、タイオスは目を見開いた。

「――おい!」

 いない。

 開け放たれた一階の窓から、朝の風がふうわりと吹き込んだ。

「な……」

 彼は使用人の部屋に駆け込むと、窓の向こうを眺めやった。

 いない。どこにも。

「な、何だ。どういうことだ」

 自分こそ寝ぼけているのか、と戦士は思わざるを得なかった。

 まさか、あのリダール少年が、彼から――。

逃げた(・・・)

 悲鳴などはなかった。たまたまハシンの部屋に誰かが忍び込んでいたとは考えづらい。魔術師であれば、不審な物音ひとつ立てず、リダール自身に気づかせずに、つまり抵抗をさせずに連れることができるかもしれなかったが、そうではないと感じた。

(蒸し暑いから、窓を)

(厠に)

(のどが渇いた)

(ハシンの部屋に)

 不自然な言動が、思い出される。

 間違いない。リダールは、彼自身の意志で、タイオスから離れようとしていた。

「何を考えてる!」

 戦士は怒鳴って、窓枠を飛び越えた。

「リダール!」

 彼は叫んだが、一分もあれば充分すぎるほど余裕で、裏庭の向こうにたどり着ける。裏門には護衛兵がいるが、伯爵の息子が外へ出ようとするのをとめる理由もないだろう。彼らはリダールが狙われているなど知らないのだ。夜着姿のままというのは不自然だが、いや、ハシンの上着くらい借り受けたのかもしれない。

(ずっと様子が、おかしかった)

 走りながら、戦士は思った。

(なのに俺はサングとばかり話して、リダールと話さなかった)

(どうしたんだ、ともっと訊いてやらなきゃならなかったのか)

 エククシアに何か吹き込まれたのだ。

 死者が、戻ってくるというようなことを言っていた。タイオスもサングも一蹴したし、納得したようなことも言っていたが、内心では違ったのか。

(フェルナー、か)

(そんなに……会いたがってるのか)

 タイオスはここで、それに思い至った。

 何故、もっと早く気づかなかった。彼を子供と考えて蚊帳の外に置き、サングやキルヴンとばかり、話を。

「いいや、ガキだ」

 クソ、とタイオスは罵りの言葉を吐いた。

「ガキだから、馬鹿なことをしやがるんだ」

 サングの話をちゃんと聞いていれば、奴らの狙いは判ったはずだ。フェルナーが戻るためには「何」が必要かということ。だいたい、その話自体、ちっとも信憑性がない。

 だと言うのに。

 逃げたのだ。友人に会いたくて。

「馬鹿野郎! どこ行った! 戻ってこい!」

 戦士の虚しい叫びが、早朝の裏庭に木霊した。


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