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墨色の満月―シリンディンの白鷲―  作者: 一枝 唯
第2話 再会 第2章
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04 春の一日

 以前には、世界はこんなふうではなかった。

 以前には、何もかもが明るく鮮やかで、ただ笑っているだけで喜びが感じられた。

 あれは花咲き乱れる春の一日のこと。

 かすかな風に乗るように、それとも喧騒から逃れるように、一匹の蝶が庭園を飛んでいた。

 大人たちの笑いさざめく声は遠い。館の前にある広場で行われている春の宴から少し離れて、小さな男の子がひとり、飾り彫りのされた木の長椅子に座っていた。

 そこに、もうひとりの男の子が走って現れた。目を合わせて、ふたりは一緒にびっくりする。

「あ、あの」

 挨拶をしようか、と座っていた子供は立ち上がった。

「どっちへ行った?」

 やってきた子供の第一声はそれだった。

「え?」

「蝶だ。珍しい色の蝶を見た。追いかけてきたんだ」

 真剣な顔で子供は説明した。

「どっちへ行ったか、見ていないか」

「蝶なら、あっちへ行ったと思う」

 子供は指差した。

「でも別に珍しくなんかなかったよ。普通の白羽蝶だと思った」

 彼が言えば、新来者は顔をしかめた。

「お前の暮らす町には、青い白羽蝶がいるのか?」

「いないよ、そんなの。白いから、白羽蝶と言うんじゃないか」

「白かったのか。それなら、違う。僕が見たのは」

 子供は言葉をとめ、大きく目を見開いた。

「いた! あれだ」

「えっ?」

「あれだよ、ほら!」

「あっ、ほんとだ。青い!」

「よし」

 子供は拳を握った。

「捕まえるぞ。こい!」

「え」

「お前、暇なんだろ? こんなとこでぼうっとして」

「まあ、うん、向こうだと、どうしていいか判んなくて」

「僕もだ。ちょうどいいひまつぶしができた。行こう」

 子供は子供の手を引っ張った。

「お前、名前は?」

「リダール」

「そうか。僕はフェルナーだ」

 走りながらフェルナーは名乗った。どこか可笑しい気持ちになって、リダールは笑いながらついていった。


 知った姿を見つけると、彼は手を上げて走り寄った。

「フェルナー、ひさしぶり」

「ああ、リダール。元気だったか?」

「うん。ねえ、フェルナー。この前の蝶、わかったよ」

「なに?」

「オーズ大青蝶と言うんだって。本で見つけたんだ」

「ほんとか? どの本だ。僕も見る」

「コーギン侯爵のおやしきで見せてもらったんだ。こんど、フェルナーもお願いしてみるといいよ」

「聞かない名前だな。父上の友だちじゃないかもしれない」

「ふうん? ぼくの父上とは仲がいいよ。いつでもおいでって言ってくださったから、こんど、行ってみる?」

「……父上がゆるしてくだされば」

「ああ、ぼくも父上におゆるしはもらわないといけないけど」

「そうじゃない」

「え?」

「何でもない」

 フェルナーは手を振った。

「蝶のことは、もういい。それよりリダール、ナイフを買いにいかないか?」

「ナイフだって? どうして」

「使用人が、ずいぶんかっこいいものを持っていたんだ。僕も欲しくなった」

「ぼくは、いいよ」

 リダールは手を振った。

「なんだって? 嫌なのか?」

「ナイフなんて、危ないじゃないか」

「つかいかたをまちがえなければ、危なくなんかない」

 フェルナーは自信たっぷりに言った。

「おそろいのを買おう。友だちになった記念だ」

「記念」

 リダールは目をしばたたいた。

「……うん!」

 笑みを浮かべて、リダールはフェルナーの提案に乗った。

「――これなんかどうだ。かっこいいだろう?」

「ぼく、よくわからないよ」

 リダールは正直に言った。フェルナーは笑った。

「男なら、こういうものを持っているべきだぞ」

 十歳程度の子供がそんなふうに言うのを聞きながら、店の人間は微笑ましく彼らを見ていた。

「ここの飾り、すごくいい。そう思わないか?」

「うん、それは思う」

 リダールはうなずいた。

「ここに、石をはめ込んだらきれいじゃないかな。赤っぽい色の……」

「それ、いいな」

 フェルナーは同意した。

「おい、これのここに石をつけられるか?」

 おとなびて呼びつけるフェルナーに、店員は怒らず接した。

「できますよ。ただちょっと、料金がかかりますね」

「どれくらいだ」

「ナイフ自体とは別に、五百ほど」

「何だ、それくらいか」

 貴族の息子はふんと鼻を鳴らした。

「大したこと、ない」

「ぼく、ちょっとお小遣いが足りないかも」

 がっかりしてリダールはうなだれた。

「そんなにもらってないんだ。買い物はいつも、ハシンと一緒だし」

「気にするな。僕が買ってやる」

「ええ? だめだよ、そんなの」

「僕が誘ったんだから、いいんだ。おい、いつできる?」

「お急ぎでしたら、三日の内には」

「支払いはまとめて、ロスム伯爵邸のフェルナーに」

「だめだってば。あの、ひとつは……キルヴン邸のリダールに」

「足りないんだろう?」

「ハシンに言えば、だいじょうぶだと思う」

「友だちなんだから、気にするな」

「友だちだからこそ、気になるよ」

 リダールは主張した。

ふひつよう(・・・・・)なお金のやり取りは、むだな争いを生むんだよ」

「何だって?」

「父上が、そう言うんだ」

 少し恥ずかしそうにリダールは言った。フェルナーはまばたきをして、それからにっと笑った。

「よし。それじゃ僕たちの間では、どうしてもっていうとき以外、金のかしかりはなしだ。その代わり、手助けはおしまない。何か困っていれば、かならず助ける。そういう……ええと」

 フェルナーは両腕を組んで考えた。

「一緒……おんなじ……何て言うんだ」

「対等?」

 思いついて、リダールは口にした。

「そう、それだ」

 彼はぱんと手を叩いた。

「僕たちは対等だ。いいな、リダール」

「うん!」

 目を輝かせて、幼い子供たちは約束を交わした。

 ――あの頃の世界は、こんなふうではなかった。

 友人と一緒にいるだけで世界はとても光り輝いていて、何か残念なことがあってもすぐに忘れてしまった。

 哀しみや憤りは尾を引かなかった。

 友人と笑っていられた間は。

 いま、彼を取り巻く世界は灰色だった。色はなく、笑いや喜びは続かない。

 彼はあの日からずっと、墨色の王国にいた。


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